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ブログ 心's LOOM

気づく、観察する

2017年07月28日

さて前回のブログから引き続き、最近読んだ『脳と瞑想』(2016 サンガ新書)という本がなかなか面白く興味を引きました。うつや不安に効果が高いとされる瞑想が脳にどのように働くのか、また脳の仕組みの解明は一体どこまで進んでいるのか、近年のトピックですよね。著書はタイ在住の日本人僧侶・瞑想指導者のプラユキ・ナラテボー氏と脳外科医の篠浦伸禎氏で、お二方の対談形式となっています。

篠浦氏は最先端脳外科手術の大家であり、10年程前から「覚醒下手術」というのをやっているそうです。昔の海外のモノクロ映像で覚醒下手術の様子を見たような記憶がありますが(ホラー映画じゃなくて何かのドキュメンタリーでね)、開頭した状態なのに患者さんの意識があって医師の質問に答えている、という光景にそら恐ろしさを感じていました。それが今日では、覚醒下手術は脳腫瘍摘出などの手術において成功率が高く予後が良い、また脳機能の解明が一層進む手段であるなど極めて有用なものとして期待できるとのことでした。

ところで瞑想というのは(瞑想にも種類がありますが)、俗に言われるように「心を無にする」ということを最終的に目指すのではなく、「心のありようをあるがままに気づく、観察する」ことから、ひいては慈悲の心(受容力、共感力etc.)を育むことだとナラテボー氏は述べています。慈悲、受容、共感というと一切衆生や他者の存在が念頭に置かれますが、その前にまずは自分、つまり自分の心の内に湧いてくるもの(考えや感情、イメージなど)を「あるがままに観察する、受容する、共感する」態度を培うことが重要なのでしょう。例えば、負の感情、不安や心配、怒りを感じている自分を嫌悪したり「嫌な奴だ」と冷たく評価するのではなく、「今、怒りを感じているな」ということに気づく、観察するのです。感情があることに気づくことと、感情の渦中にどっぷり浸かること、この二つは異なります。

脳外科医の篠浦氏は、観察する時に使われる脳の部位は、どうも脳の頭頂葉系のプレクネウスという場所のようだと、日頃の知見から述べています。このプレクネウスという部位は脳の中で一番線維の集まっているところ、つまり一番情報が集まるところで、俯瞰的、受動的な役目を果たしている大変重要なところなのだそうです。そしてここはアルツハイマーが始まる場所でもあるとのこと。つまりアルツハイマーは、情報のシャットアウト、現実からの逃避を起こしているのではないか、ということを示唆していました。これは日常において私も多少感じていたところです。

「あるがままに気づく」ことの大切さ。仏教の智慧が脳科学の発展によって裏付けされていくようですね。それだけでなく私が感銘を受けたのは、ナラテボー氏の心理学にまで知悉し、愛情深く温かく格式のある言葉なのでした。


 

 


暑気払い

2017年07月22日

いやぁ、暑い。暑さで調子を崩される方もおられるようです。スタミナをつけ、休息を十分に取り、どうにか乗り切りたいものですね。

休息というわけでもないのですが、ここのところ夜はまた瞑想法(マインドフルネス)の本を読んでだらだら過ごしています。これがなんとも心地よく…。

最近新聞の書評欄で紹介があったのですが、そのなかで評者は昨今のマインドフルネスブームを少し危惧していました。ブームは過剰な期待と、その後の失望を生むとのこと、確かにそうだなと思います。怖いくらいメディアで取り上げられていますが、いつなんどきも「驚くほど効果があって万能なのだ」というような言説に惑わされてはいけませんね。心理療法は自分に合うものを探しながら時に複数取り入れ、地道に取り組んでいくのが大事なのだろうと思います。

さて、今読んでいる脳と瞑想の文献の感想は後回しにするとして、そこには脳の使い方を判定する検査がついていたのでやってみました。よくありますよね、あなたは右脳型か左脳型か、どのタイプ?というようなもの。この検査では全部で15タイプあるとのこと。検査といっても書籍の中にIDとパスワードが付いていてオンライン上で行うものでした。敵?もよくやるものでIDとパスワードは1回こっきりの使用のみ(笑)。再チャレンジも使い回しもできない(泣)。60問の質問紙検査で、その前に簡単な原家族構成や年齢なども確か入力したと思うので、統計をとっているのでしょうね。

タイプの説明はさておき、私は歴史上の人物で例えると西郷隆盛なんだそうな。……。犬とごっつい感じしかイメージが湧きません。幕末の歴史をよく知らないので何とも言えません。どうして男なのかもわからないし、それならば源義経あたりがよかった。まあくだらないことはともかく、脳と瞑想の関係は大変面白いので後日感想を述べたいと思います。

山百合

 

 

 


大海原へ

2017年07月16日

最近ものの1時間もあれば読めて面白かった本が、漫画家西原理恵子著『女の子が生きていくときに 覚えていてほしいこと』(2017 角川書店)でした。「覚える」というのは覚醒の覚えるですから、これは一種の啓蒙エッセイですね。

「王子様を待たないで。誰かから幸せにしてもらうのではなく、自分の幸せは自分の手でつかもう。人生という航路において絶対に安全というものはないのだから」という趣旨で、今のご時世至極当たり前のことをユーモアたっぷりに、自身の青春期や子育て、子離れの体験を通して著していました。何といっても地に足が着いている。100万円の上京資金と過酷な体験から人生を切り拓いてきた人だから説得力がある。たとえ安定した男性と結婚してもリストラや病気などはいつ起きるかわからない(男性の方だって、打ち出の小槌をもった王子様にされても困ると思います)。また結婚生活の箱を開けてみればDVやハラスメントだってある。それだけでなく、愛情関係が変化することも人間ならあり得るのです。

「失敗を恐れるな。男のことでも何でも人生に失敗はつきものだ。大事なのはそこから這い上がること。だからせめて食べていく力を自分でつけろ」みたいなことをストレートに語っている。綺麗事をいうお母さんより、こういうお母さんに育てられた方が知恵と力が身に付き、何より楽しいだろうと思うことしきりでした。

読者レビューなんかを読んでいると、これがまた何というか…。DVとかアルコールとか、ヤンキー家庭の人にはこの本は有効なのかもしれないけど…という意見があり、ああ…、そうかと…。まるでヤンキーや肉体労働や非正規の人と結婚しなければ関係ない、自分とは無縁だと思っている人がいることが驚きでした。

DV、アルコール等の問題や家庭内のゴタゴタなどは、何もヤンキー家庭や貧困家庭だけの問題ではないのです。そこは違う。高学歴高収入の男性でもDVなどざらにあるし、DVというとやはりどこか顔や体をボコスカ殴ったり罵詈雑言を浴びせることだと思っている人が依然として多いような気がします。

暴力はなくとも非常に冷たい夫婦関係に陥っている場合は沢山ありますし、世間的には仲の良い家庭を築いているように見えても不倫や浮気など相手の人格を無視した行動を平気でとる人もいます。フェアな関係であるはずの夫婦関係が、男のほうが偉いと思っているのか意思決定において妻を完全にコントロール下に置いている場合も多いのです。

そういう息苦しい状況に耐え忍ぶのではなく、「あなたの人格を否定したり無視したりするような人からは、離れる勇気ももとう。いい人、一途な人は損をするよ。だからまず自分でしっかり稼げるようになろうよ」と著者は言っているのですが、そうなると今度は「一途なことのどこがいけないのか」といった意見もみられました。はぁ、そうとってしまうのか…。別に一途でもいいのですけどね、「耐え忍ぶ、一途」がもし誰か(夫や子供)のためであると思っているのならば、それは利他ではなく利己のためでもあるのは断然明らかです。

筆者はこれからの若い女の子たちにエールを送っています。誰かを幸せにしたいならば、まずは自分が幸せになること。そして「ダイヤモンドをくれる人より、リヤカーを一緒に引っ張って行ってくれるような人を見つけよう!」と。私もそうだと思います。汗水を一緒に流してくれる人のほうが、人生が楽しく充実すると思います。人生は享楽に耽るものでもなく、耐え忍ぶものでもない。たった一度きりの尊い人生なのですから。

山、海、空

 


夏の夜の夢

2017年07月13日

ここのところグングンと蒸し暑さが増してきました。
この時季そろそろ疲れが溜まってきている方も多いのではないでしょうか。

私もこの暑さでけだるさを感じるせいか、昨夜は帰宅時に今まで見たことのない動物に遭遇してしまいました。あー、写真撮れば良かった!以前は同じ場所で狸に出逢ったのですが、どうも狸と違う。猫とも違う。犬とも違う。兎とも違う。

耳がやや大きくて…。これが一番の特徴。
でも狐ではない。
大きさは猫ぐらい。
暗闇だからよくわからないけれど、皮膚がツルッとした感じ?
でも猫のスフィンクスとは異なります。それともスフィンクスだったのか…。
ご近所で脱走したペット情報もないし…。
おとなしい人見知りの性格のようで、くるっと向きを変えて音もたてずに行ってしまいました。
可愛らしい印象でした。

あ~、何だったのでしょう?今日も帰りに会えるでしょうか…。


 


男と女

2017年07月07日

今夜は七夕です。東京は梅雨もどこかへ行ってしまったようなとても蒸し暑い一日でした。

暑いときは、暑いときこそ冷たいものを摂取するのはなるべく控え、また体も冷房で冷やしすぎないようにしたいものですが、スーパーも電車も冷え冷えしていて困りますねぇ…。如何せん男性と女性の着ているものが違うのです。これは本当にどうにかならないものか。男性は長袖Yシャツを着ている人がいまだ多く、あれでは省エネにならないし具合が悪くなる人も出てくるはずです。

さて男と女の違いということで、最近NHKのクローズup現代やNスぺで「キレる妻特集」をやっていてなかなか興味深いということを聞きました。うちにはテレビがないのでネットでクロ現のほうを見てみると…

実際、精神的虐待や身体的虐待をふるう妻が増えているのか、それとも声をあげる男性が増えてきたのか統計的なことはわかりませんが、男性からの離婚事由として「妻の精神的虐待」が30年前8位だったのが現在2位に浮上してきたとのことでした。ちょっとしたことでキレる、怒鳴る、罵る、強制する、詰問する、無視する、疎外する、常にイライラしている、馬鹿にする、人格を否定するなどの行為が精神的虐待です。

DVといえば大体女性が被害者であることが多く、ある意味やっと平等になったのねと思わなくもないのですが、家庭のなかが強いストレスで満ちていると夫婦双方や家族の心身の健康にとって良くないことです。

クロ現では「女性の社会進出は進んだのに、女性に求められている家事育児の総量は減らず不平等感が増している」ことが一つ背景にあるのではないかとのことでした。もっともだと思います。ゴミ出しをする男性は褒められますが、ゴミ出ししかしない女性は非難を浴びますからね(笑)

こうした社会構造上の変化の話の後、番組は次に脳の構造上の話、脳の男女差についての話になります。

「不快な体験に対し、男性の脳は扁桃体が反応し、女性の脳は前頭前野が反応する。つまり、男性は短期記憶の部位、女性は長期記憶の部位が働く」ということです。つまり女性は長期に嫌なことを憶えていて、男性は割とすぐに忘れてしまう。喧嘩をすると女性が何年も何十年も前のことを持ち出すということは結構よくありますね。恨みつらみは長く尾を引くのです。

そして女性の脳は「上側頭溝」という側頭部のある部分が男性よりも大きい。つまり女性は共感能力が高く、相手の意や気持ちを汲み取ることが上手い。ということは男性にも同じような能力を要求しがちであり、「一々口で説明しなくても私の気持ちをわかってよ!」という思いが募りやすい。

そこから番組は「女性をどう扱うか」という夫婦関係を良くする方策へと話が進みますが、これはまあ目新しくはありませんでした。結局、ドゥドゥと暴れ馬をいなすコミュニケーション方法で収めるような話の展開で、それで女性の不満が鎮まるのだろうか…そんなに簡単な話なのか疑問に思いました。

また、「女性の脳の構造上の違いと女性に課される仕事量の増加」が「キレる行為」にどう結びついているのか、「脳の違いと仕事量の増加」が例えば「ボイコット、抑うつ状態など」に結びついてもいいわけで、そのあたりのことももっと知りたいと思います。恐らく複合的な要因が男女双方の「キレやすさ」に影響しているのでしょうね。

先日雨の日の車内で、女性の腕にかけていた傘の先端が席に座っていた中年男性の膝に触るか触らないかという状況がありました。段々男性の目が座ってきて女性を執拗に睨み始め一触即発のムードになり、気付いた女性はサッとそこから離れました。彼はだいぶshort temperで他人に厳しい人なのですね。いまシーズン、傘の持ち方には気を付けましょう。

 

orchid

 

 

 


男の子の成長譚5

2017年07月01日

7月になりました。
家ではまだ一度もエアコンを使っていませんが、そろそろ蒸し暑くなってきましたね。この時季の夜半の涼しいような蒸すような曖昧さが私は好きなのですが、皆様はいかに…?

さて、芸術作品にみる「男子の成長プロセスには何か起きるか」というシリーズの最終章。(オペラ『ジークフリート』の筋は前回までのブログをご参照ください。)

おそれを知らぬ若者ジークフリートが「初めておそれを知った」のは、乙女に出会った正にその時でした。自分とは異なる性に驚き、関心を抱き、戸惑い、躊躇い、そして恋心を覚えます。乙女もジークフリートを愛していますが(複雑な物語の筋は割愛)、最初は拒みます。この拒み方もなかなか面白い。「私はあなたを映す水面のようなもの。私に触れればその水面は揺らいでしまう。だから私に触れるな!」というような言葉だったと思いますが、このあたりの乙女の複雑な心情、潔癖さ、高潔さというようなものは、もはや現代では見受けられないものでしょうか(笑)

まあそうはいっても二人の恋愛感情は高まります。それは自然なことでしょう。二人の愛は美しく高らかな二重唱で表現されますが、しかし、歌詞をよーく聴いていると実は微かな隔たりがあるのです。

ジークフリートは情欲の高まりを経験し、早く結ばれたいと思い、興奮気味になっているのですが、乙女のほうはどうもそうでもない。愛の賛歌の背後には蔭りというか未来への不安があるのです。オペラ『ジークフリート』はここで幕を閉じて次の作品へ続くのですが、この乙女の不安はこの後の物語の展開上の不安を暗示するだけではなく、一般的な男女の恋愛の相違をも示しているような気がします。

男女の恋愛の相違についてはここでは取り上げませんが、『ジークフリート』では、ナルシスティックな少年期・青年期→暴力や流血騒ぎ→父殺し(父離れ)→痛みの感情や共感能力を養う→異性と出会うことによって「おそれ」を知る・情欲の高まり、という成長プロセスを読むことができます。

こうみると男子の成長というものも、大変ドラスティックで骨が折れるものであるといえますね。これらが心の内側で起こることだとしても…。ジークフリートの場合母はいませんが、「母殺し(母離れ)」というのも最大に重要なイベントであることを忘れてはいけませんね。特に日本のような母性原理優位の社会では、父殺しより母殺しの方が困難な作業になってくるのかもしれません。

彼がこの後どう成長していくのかは、また次の楽しみにとっておきたいと思います。


 

 

 


男の子の成長譚4

2017年06月25日

ふぅ…。
日曜日も無事終わりました。強い雨の朝で始まりましたが、帰りにはすっかり上がり道路も乾いているようです。梅雨といっても一日ずっと雨のことは少ないのですよね。

さて、お休みに入る前にブログの更新を。前回に続き、『ジークフリート』にみられる男子の成長プロセスに起こることを少し書いてみたいと思います。

おそれを知らぬ若者、英雄ジークフリートは、大蛇を退治し、黄金の指環を手に入れた後、精霊の導きによって次の挑戦をすることになります。孤独なジークフリートは、心を分かち合える仲間を求めて、燃え盛る火で覆われた岩山に分け入ることになります。

何といってもおそれを知らぬので、その偉業も成し遂げます。しかし、そこには…。

岩山の頂には武装した人物が眠りについていました。その武装を一つ一つ解いてやると、何と今まで見たこともないような人間が…。彼は驚いて「お母さんっ!」と叫びます。以前、ある精神科医の先生が、人は絶対的なピンチになると「お母さん!」or 「神様!」と心の中で叫ぶものだと言っていましたが、なるほどそうだなーとこのシーンには笑えました。

横たわっていたのは、彼が今まで出会ったことのない「乙女」だったのです。物語の細かい筋は飛ばしますが、初めて女子を目の当たりにして、彼は恐れおののきます。動転、動揺のあまり、乙女を前に「もしかして僕のお母さんっ?!」とも叫びます。最初の「お母さん!」と後の「お母さんっ?!」の意味するところは全く違いますが、この辺りの心情は少なからず理解できますね。後者は少し切ない。ジークフリートは何といっても母の面影を知らずに育ってきましたから。

おそれを知らぬ彼は、こうして初めて自分とは異なる性の乙女を前にしておそれを体感します。このおそれとは、未知のものに対する恐怖であると同時に、不用意には接することができないような畏れを指すと思います。この後どうなるかはまた後日。これは余談ですが、私が今の若者たちにもっとあってほしいと思うものは、この畏れの感情でしょうか。もっと誠実に恋愛をして、相手に関心を持って、リスペクトの念を抱いてほしいものです。

気になる、英雄らしからぬジークフリートの顛末は次回に…。



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