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ブログ 心's LOOM

児童書のなかの解離

2017年02月16日

雑感。
最近、研修で「解離(かいり)dissociation 」について触れる機会が多くなってきています。dis-sociation の sociation とはsocial(ソーシャル、社会的、集合的)と同意で、その否定形なので(dis)、まとまりのなくなった、バラバラになった、という意味に大体なりますね。

随分前からメディアで派手に扱われた「多重人格障害」という言葉を知らない人はいないでしょう。今ではその名称は使わず「解離性同一性障害」となりました。解離性同一性障害などを重篤な疾患とすれば、それとは異なって、正常な解離というものもあるのです。何か(例えば読書や白昼夢)に没頭していて人に話しかけられても気づかなかったり、どこをどう歩いて帰ったかおぼえていない、などの経験はあると思います。

また、子どもはそもそも人格が統合されていないので、色々なタイプの解離を生じやすいようです。病的かどうかは慎重に見る必要がありますが、児童書のなかで解離を起こしている子は多いですね。

例えば赤毛のアン。彼女は鏡のなかの子と親友になって、お話に夢中になって孤独な時期を凌いだのでした。アンはきっと、鏡のなかの子を自分の鏡像とは思っていなかったことでしょう。どうも子どもというものは、「もう一人の子」や「人影、人の気配」、ひいては「幽霊」などの存在を作ることによって(勿論無意識で)、解離を起こすことが多いのでしょうか…。

スウェーデンの著名な児童文学作家、アストリッド・リンドグレーン著「ひみつのいもうと」もそのようなお話です。待合のところに置いておくので興味のある方はどうぞ。正常な範囲の解離とはいえ、寂しさや辛さ、大人の世界の事情を、子どもなりに乗り越えるための健気な戦略なのだということがとてもよく伝わってきます。

アストリッド・リンドグレーン著・石井登志子訳『ひみつのいもうと』(岩波書店)より


如月

2017年02月12日

ブログの更新を御無沙汰しています。研修やら何やらあって…、と言い分けですね。

エネルギーを備蓄しておいて、次回更新を…。

相談室から2

麝香豌豆

相談室から


街角から3

2017年02月02日

明日は節分です。季節の分かれ目ですが、これから寒さが本格化しそうで嫌ですね。それでも日が延びてきて、午後4時頃はだいぶ明るくなってきたことに気付かされます。春を感じる瞬間です。

この間、時間の空いたときに書店巡りで靖国通りを歩いていたら、「岩波ブックセンター」の店主が急逝で再開の目処が立たないと張り紙され閉店していました。その前に新聞記事の斜め読みで、この書店の経営会社が破産したとの記事を読んでいたので、ああー、やっぱりそうなのね…と改めてしんみりした次第です。

岩波ブックセンターは岩波書店の書籍を中心に、人文系の文献が豊富な神保町でも有名な本屋でした。巷間に軽い読み物は溢れかえっていますが、学術書などは行くところに行かないと実物感を確かめられません。出版社も書店も経営が厳しい時代だというのはわかりますが、何とも残念なことです。

あるコラムでは、人文系の書籍の需要は無くならないという展望が語られていましたが、果たしてどうなるのでしょうね…。

画像は、これまた神保町の猫関係の本やカレンダーなどが揃っている本屋さんのブックカバー。街の小さな小さな本屋さんという感じで、こちらも有名。

So many books, So little time.

だから何を読むのか…。

姉川書店のブックカバー

姉川書店のブックカバー 味わいがあるでしょ?


leading edge of science 1/25付アメリカ公共放送(PBS)より

2017年01月29日

leading edgeとは最前線、最先端のことですが…

目を疑って何度も見てしまったのが、PTSD(心的外傷後ストレス障害)治療にMDMAを使用する臨床研究が進んでいるというニュースでした。あくまでも心理療法に併せてMDMAを服用するという併用治療のお話なのですが…。アメリカにおけるMDMA(俗にいうエクスタシー)の扱いは知りませんが、日本では規制薬物です。

精神科医やサイコセラピストの管理のもとMDMAを適量・適切に併用すれば、PTSDの症状改善に「迅速で著しい効果」があると唱えている専門家たちや、実際に服用した被験者である患者の様子を報じていました。戦闘帰還兵など、重篤なPTSDやうつ病の患者に効果が高いようです。

作用機序としては、脳のおよそ中央に位置するamygdara(扁桃体:一つには、悲しみ、恐怖、不安などの情動を司る)の過活動を抑制し、prefrontal cortex(前頭前皮質:行動、計画、判断などをする)の活動を活性化させ、自分の体験を言語化したり、社会的行動ができるようにするのだそうです。

果たしてこの薬(麻薬)が流通するようになるのか?同じことを心理療法でする場合、ある程度の時間とお金がかかるので、ともすれば薬物療法だけに流れていかないのか?一体、人は薬(合成化学物質)によって管理されることをどこまで許していいのか。心の問題が究極的に脳の問題に置き換えられていってしまうのか。これから様々な問題が生じてくると思うので、関心をもっていたいと思います。

八重のトルコ桔梗

 

 


アクセスについて

2017年01月26日

ここのところ朝、外の植木鉢の土が若干凍っているように思います。寒さが続きますが、明日、東京は日中15度まで上がるようです。体調管理に気を付けたいものですね。

ところで最近気づいたのですが、相談室が入っているビルの目印が変更になりました。今まで1階は「さかいやスポーツ4号館」だったのですが、4号館のマークが外れて「さかいやスポーツ キャンプ&クライミング館」になりました。お問い合わせに4号館とお伝えしても伝わらない場合が多く、はて、何でだろう?と思っていたら看板が変わっていました。

この神保町界隈はさかいやスポーツ店が点在しているのですが、どうやら〇号館という呼称をやめたようですね。因みにキャンプ&クライミング館の前には「さかいやスポーツ エコープラザ店」があります。

さかいやさんのサイトを見て確認していたら、旧4号館まで神保町駅から徒歩7分とありました。こちらのサイトでは徒歩3分。ムム~(笑)。こちらはあくまでも不動産屋さんの広告通りに書いているのですが…。まあ、そういうこともあるのが世の常ということにしておいてください。

正確にはA4出口から少なくみて5分はかかるでしょうか。でも登山する人としない人とでは健脚さも違うでしょうから、いずれサイトを訂正する機会を設けて直しておきます。

ビオラ

 


はつもの?

2017年01月20日

大寒の今日、本格的な寒さを迎えています。お昼に外に出たら、気づくか気づかないかの粉雪が舞っていました。とっても寒いですね。どうぞ温かくして、皆さまも風邪など引きませんように。

さて、大袈裟な物言いをすると、生まれて初めてスマートフォンなるものを持つことにしました。よく言えばモノをながーく大事にする方なので、これで携帯端末は4台目です。記憶が確かならば、たぶん。2台目は段々膨らんできて危険を指摘されてやめました。3台目はピッチ。悲しいかな、ちょっと山道に入るとこれが使えないのです。そして今回。

友人たちに会うと時代遅れだの、その仕事でそれでいいのかなど随分バカにされてきましたねぇ。やっと重い腰を上げたのは、3台目の会社からいい加減買い替えろ、安くするからサ~とさんざん催促が来ていたのと、デジカメを持ち歩く不便さを考えたのと、通勤電車がしばしばフリーズするため乗り換え状況の入手が必須となったからでした。

まあ、本来あまりスマフォなどは好きではありません。親戚などが大勢集まり、あちらこちらでスマフォが鳴って話し始めたのを見たとき、何て嫌な時代になったものだろうと思いました。スマフォやタブレットはすぐに調べものが出来て話が弾むなどの良い点は沢山あります。緊急時にも役立ちます。

でも使い方を間違えると、人と人が直に会う貴重な機会の「今、ここ」がぶち壊しになりますね。失われるものも沢山あるのです。

そのことを踏まえて、利便さを享受し、楽しみながら機能を覚えていきたいと思っています。

first photo

first photo


成人の日に

2017年01月10日

昨日は成人の日でした。
ほとんど気にしていなかったのですが、この時代に新成人となる人たちは一体どのような心持ちでその日を迎えたのでしょうか…。

そういえば元旦の日に読んだ新聞に、京都大学総長の山極壽一(やまぎわじゅいち)先生のとても意義深い記事がありました。読まれた方もいらっしゃるでしょう。スクラップしておけば良かったのですが忘れてしまったので、記憶を頼りにご紹介がてら感想を書きたいと思います。

2017年へ向けて、これからの社会をどのように生きていけばいいのか、識者の立場からの提言でした。著者は霊長類(特にゴリラ)研究の第一人者であり、その点からも興味をそそります。

記事の中で、クリスマスに一人で高級ディナーを食べる若者の話を取り上げ、本来、自己とは「他者による規定」によって成立するものなのだというような内容でした。これは臨床心理学でよくいわれる「他者の欲望を生きる」「他者の評価を気にする」ということではありません。「他者の欲望を生きる」という簡単な例は、「本当はこの学校へ進学したいのに親の望みを優先させてこっちにした」というようなもので、それと山極先生の主張とは違います。

上記の例の若者は、やけ食いではなくて一年間頑張った自分へのご褒美としてディナーを設定していて、その自分の状況に満足しているようなのでした。それはそれとしてあってもいいように私は思いますが、山極先生の憂いもよく理解できます。自己完結していて、他者との交流がないことを別に何とも思わない、というのはやはり問題でしょう。

そしてここが一番大切だと思うのですが、山極先生の主張は「目的的ではない、人との関係がこれからの時代に大切だ」ということでした。目的的であるということは、「ポストが高いから、お金持ちだから、職業がいいから、外見がいいから」などの理由で付き合うような損得勘定のある関係です。目的的ではない関係とは、例えば養育者が赤ちゃんに接するような関係だとか、協力的で支え合う関係だとか、お互いに相手のことを思いやる関係といったものです。

純粋に損得勘定のない関係なんかない、この世は give & take で成り立つのだ、と考える人もきっと多く、それも一理あるのでしょうが、この両者の繊細な相違を理解できるような大人に、これからの若い人たちはなっていってほしいと切に思います。

春の香り

春の香り

 


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