2016年05月27日
竹内まりやの歌ではありません。
伊勢志摩サミットも今日で閉会。
ここ一週間、東京駅や地下鉄各駅の警察官の数が半端なく非常に多いことに気付かされました。例えば、エスカレーターを昇ったり降りたりしていると、3-4人連れの警官が必ず同乗している。改札にも通路にもウヨウヨ。コインロッカーは使用禁止。複数の若い女性警官たちは何やらお喋りしながら。腰回りの拳銃、大丈夫?と思うほど、隙だらけに見えましたが…。それにしても警官は物々しい数で、これだけ集めたらさぞや全国規模で手薄なのでは?と心配になるくらいでした。
警官の数は関東近郊の地元の駅でも増えていたようで、個人的には心強く安心していました。というのは先日、朝のホームで嫌がらせを受けたことがあったからでした。先頭に並んで本を読みながら入線を待っていると、何やら足元が冷たいのです。後ろの人が絡んできていることにやっと気づき、その場をそっと離れることにしました。まるで何か急に用事を思い出し、敵のなかを立ち退く猫のように(笑)。でも、こういうとき逃げてはいけないのですね。逃げれば追いかけてくるのは犬と同じなのです。
恐怖に駆られたときというのは、認知が歪みます。よく人は、なんで助けを求めないの?といいますが、あれは認知が歪むからです。冷静に考えれば、朝の陽光に溢れたホームには、人が沢山います。屈強の男性たちも、どこかにお出かけの中高年女性グループも。そんな人々の顔はもはや見えなくなってしまうのです。
それでもってやっと辿り着いたのは、改札にいた駅員さんでした。最近の駅員さんは実に頼もしく、対応に慣れています。「また何かあったらすぐに言ってください」ともおっしゃっていただきました。さて、今日でG7 も終わり駅は通常体制に戻るでしょう。大変心細くもありますが、今度何かあれば、迷うことなく私は近隣の男性にhelp を求めようと思いました。助けてくれなければショックですが(笑)。
ですから男性陣は、時々はスマフォや読み物から目を離す余裕を持っていてくださいね。男性に徒手空拳で助けてと言っているのではなく、危険もあるので下手に手出だしをせずに少しでも知恵と力を貸してもらえればとても嬉しいのです。
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すずらん a lily of the valley
2016年05月19日
2016年05月15日
この両日、暑いくらいの一日でした。それでも夜は肌寒くて…。
昨日今日と神田でエリクソニアン催眠の研修を受けてきました。不思議と今までの様々な研修と違い、疲れが溜まらずにとても心地よさが残る体験となりました。人数が少なめだったのも良かったのかもしれません。まあ、回想と復習は後でじっくり行うとし、アメリカからいらした先生がユーモラスで楽しかったのかもしれません。
どう楽しかったって?
まずは一日目のネクタイが、五色模様。ご〜しき〜のた〜んざく〜♪の五色です。
二日目のネクタイは、まるで張り子の虎の配色。さすが虎柄ではありませんが、幾何学的で目がチカチカするもの。
あら?一日目も二日目も、要するに同じような原色の配色、ということでしょうか。
参加者の間で、日本じゃ売っていないよね?、と話題になりました。これのみならず全体が華やか。東洋系の人には絶対に真似できない、真似したらただの悪趣味の人になってしまう、その着こなしはcoolでした。さすが、グランド・キャニオンがある州の方です。土地は人を育てるのですね。
なぜこんなことを気にするかって?心理療法家の背景にも興味を持ちなさい、と以前教わったからです(笑)。現代催眠の祖、ミルトン・エリクソンも同じ州の出身なのでした。復習は後で…。
2016年05月11日
GW も過ぎ街に日常が戻ってきたと思ったら、今朝は公共交通のトラブルで参りました。はぁ…。目的地の一つ手前でルートを替えてギリギリ間に合ったものの、プラス1時間半の時間がかかってかなり焦りました。鉄道というのは実はトラブルに弱いものなのですよね。
こういう場合、大事を取って早めに要所要所の駅で降りて、路線変更をする乗客の方というのが必ずいます。咄嗟の判断と、機敏な動きがものをいう。早めの行動というのが見ていても素晴らしいです。でも私はダメ。
何回学習しても効果が上がらないというか、一度座ると重い腰が上がらないのです。下手に動くより時間のロスが少ないのではないか、行けるところまで行こうという思いがどんどん強まって、結局、地面の下で何十分も待たされているとき、乗客はまばらなのでした。
今回学習したのは、たまには右に倣ってみよう、ということでした。たまにはね。
2016年05月06日
気付けば端午の節句、立夏を過ぎ、暑さを感じる頃となりました。明日は更に気温が上がるようですね。
昨日はスーパーで菖蒲を買って帰り、菖蒲湯にしました。大量に残っており一束100円以下です。菖蒲は葉ではなく茎の下方から効能のある成分が出てくるそうで、茎元の匂いをかいでみたら微かにウドのような香りがし、ウドが食べたくなってしまいました。これで暑い夏を乗り越えられたらと思います。
There are lots of pure hearts.
2016年05月01日
緑輝く5月になりました。
大型連休の人も小型連休の人も、無聊を託つ人にオススメの一冊です。通勤の車内でも思わず笑ってしまったのが、『インスタント リア充 人生に「いいね!」をつける21の方法』(2016)地主恵亮著・扶桑社、です。
数年前のセッションで初めて「リア充」という言葉を聞き、それなに?と質問したら「現実生活が充実している人です」という返答がきました。リア充ねえ…。面白いと思い調べましたが、その中身は随分皮相的というか。つまるところリア充は、友達、家族、学校、仕事、趣味など愛すべき生活をワイワイエンジョイしているように見える人なのですよね。肝心なのは「見える」というところで、「あの人はリア充」と判断している大元はSNSのようなのです。
特にSNSに添付されたフォトに何が写っているか。場所、食べもの、仲間、持ち物など、他人と自分の生活を比較して嘆いている人が結構多いのです。これはまたSNSで情報を発信する側にも意識的か無意識裏に働く承認欲求があるからなのでしょうね。自己表現と自己顕示の境界は極めて不明瞭で、ネットを介して表現をする人は(自分も含めて)もう少しこの辺りのことを自覚してもいいんじゃないかとあれやこれや考えています。
さて、そんな状況を逆手に取って笑いにしているのが、地主恵亮氏の上記の本。爆笑するくらい面白いです。自分一人で演出してリア充に見せる写真を撮って投稿しているんです。しかも法に触れるような嘘、偽りはない(笑)。
ただ見誤っていけないのは、著者は「せめて上辺だけでも、モテまくってリッチでエリートで公私共々リア充な生活を送っているように見せたい!」のではないのです。これは昨今のセレブやアーティストやクリエイター志向の社会を風刺し、またSNS上でのやり取りを「よくやるよな〜」と揶揄し、面白可笑しく大笑いに変換しているのです。読んでみて心もホッと和むので、そう感じさせる力もすごいなあと思います。
2016年04月28日
ただいま、非常に噴飯もののおバカな愛すべき本を読んでいるのですが、それはゴールデンウィーク休暇前にご紹介するとして…。
昨夜は岩波ホールで映画を観てきました。
23日から公開のイタリアの巨匠エルマンノ・オルミ監督の『緑はよみがえる』です。76分という程よい時間の珠玉の作品でした。オルミ監督といえば『木靴の樹』という作品が有名ですが、これは子どもの頃見せられたものの眠ってしまっていつまでたっても観終わらない作品のなかの一つとなっています。そんなふうに心に引っ掛かっていたところ、『緑はよみがえる』を先に観ることになったわけですが、この監督は何て偉大な人なのだろうと改めて知ることになりました。
『緑はよみがえる』は第一次世界大戦の激戦地、北イタリアのアジアーゴ高原における、厳冬期の塹壕が舞台となっています。一面雪に埋もれた静寂の銀世界。美しいアルプスの山並みと皓々と輝く月、一本の落葉松の木、青々と茂る樅の木たち、時々姿を見せるウサギやキツネ。それらは、雪に埋もれた塹壕の小さな覗き窓から、兵士たちが見ることの出来る外の世界です。塹壕のなかは疫病、飢え、極寒で兵士たちの士気は落ち、追い詰められ、時折届く故郷からの手紙などによって辛うじて命を保っているような極限状態です。
オルミ監督は「これは戦争映画ではなく、兵士たちの恐れや痛みを描いた作品だ」と言っています。激しい敵の砲撃は映画の後半で一回描かれるくらいで、後は夜空に打ち上げられる敵の照明弾や、司令部からの電話による無謀な指示命令、精神のバランスを崩していく兵士の行動などから、極度の緊張感と恐怖感がひしひしと伝わってきます。大それた手柄を立てるヒーローなど不在ですし、不必要に涙を誘う作品でもありません。
実際に手を汚す者、苦しむ者は、いつの世も現場の人間、末端の人間であることを思い知らされ、人の命の尊さを考えさせられるものとなっています。