2016年03月01日
毎朝見上げる桜や松の樹々も枝の張りがどことなく柔らかくなってきました。これから日一日と空気が和らいでいって、お花見のシーズンに入っていくのでしょうね。春は意欲に燃える時季であると同時に、気だるくもあり、何となく意気消沈するところもあり、一筋縄ではいかないなと思うのですが、他の方はいかがでしょうか…。
何かとやるべきことの多いこの時季、self-esteem を高めるためにお遊び的にあることをしたら、先日ブログで取り上げた『スタンフォードの自分を変える教室』にも同様のことが書かれてありました。まあ、この仕事をしている人なら誰でも考えつきそうなことなのですがね。それは、「将来の自分にメッセージを送る」というエクササイズで、つまりは自分宛に手紙を書くのです。子供時代に手紙を書いてカプセルに入れてどこかに埋めた、という経験のある人もいらっしゃるかもしれませんが、年月を経てきちんと掘り起こして読んでいるのでしょうか?
将来といっても何十年じゃなくて、数年先でいいと思います。将来の自分がどうなっていてほしいか、将来の自分に今の自分が何を話しておきたいか、視点を逆にして、将来の自分が今の自分にしていてほしいこと、どうやって過ごしてほしいか、なども織り交ぜると段々楽しくなってきます。
よく耳にするのが、「自分が何をしたいのかわからない」という言葉です。仕事や生活を送る上で何をしたらいいのかわからないけれども、現状に満足していないという場合、このようなワークをしてみるのもいいと思います。
『自分を変える教室』のなかの第7章、「将来を売り飛ばす–手軽な快楽の経済学–」という章はなかなか厳しいことが書かれています。人は「将来の自分」を過大評価しがちで、だから今やるべきことを先に先に延ばしがちな傾向にあること。将来の自分に過大なタスクを背負わせているということですね。それはすなわち、「今の自分」と「将来の自分」の隔たりがとても大きいということでもあるわけです。将来の自分も今の自分も能力的に変わりはないのです。だからこそ、将来の自分を遠ざけるのではなく、身近に親しくなっておく。将来の自分を想像したり、メッセージを送ったり。(万能な将来像を夢想する、というのとは違います。)
人は過去・現在・未来という時間軸を自由に行ったり来たりしてみると、「自分が何をしたいのか、どうやって生きていきたいのか」ということが具体化していく、一つの手助けになるのだと思います。
2016年02月28日
一週間が無事終わりました。
寒かったり温かかったり、最近は汗をかいていらっしゃる方が多いのかなと思っていたら、どうやら花粉症のようでした。目も鼻も喉も辛い時期ですね。そろそろ抜本的な治療法はないものだろうかと思います。
辛い時期にこぼれ話(既にテレビで放映しているのかしら)。
先日、ラジオを聴いていたら、こんな面白い話がありました。面白がっていいのかわからないけれど、思わず笑ってしまいました。それは、いたずらに110番通報をするな、という市の広報だったのですが、110番に「道路の混雑情報を教えてほしい」「自宅のネットが繋がらない」などの問い合わせがあるのでやめてほしい、という内容でした。これを真顔ならぬ真剣に放送しているのです。
そして♯9110と110番の前に#9 を押せば警察相談専用電話に繋がり、緊急性を要しない生活上の安全に関する相談ができるとのことです。私は最初、早合点し、#9(キンキュウ?) は更に緊急の回線かと思ってしまいました。ややこしいですね。
2016年02月25日
『スタンフォードの自分を変える教室』
このベストセラーを今頃になって読み終えました。読む前は軽〜く見ていたのですが、とても実践的な内容で面白く読めました。世間のカスタマーレビューも概ね高評価のようですが、中には?というものも。感想は主観で構わないとはいえ、この類いの本には慣れや読解力の問題も関係してくるのだろうなと思います。
こういった本や森田療法の本などを人に薦めても、「当たり前のことしか書かれていない。じゃあ、どうするの?」という感想を得ることがしばしばあります。では、その当たり前のことを日々実践しているのかと言えば、決してそうではありません。どうするの?と問う前に、しばらく腰を据えて実践してみて、そこからどうなっていくか、自分を観察してみるのが大事なのだと思います。「衝動に駆られる前に自分の呼吸に意識を向けてみる」とか、「目の前の報酬ではなく、長期的な先の報酬を思い起こす」など、当たり前と言えば当たり前ですが、いかに虚心坦懐に取り組めるかが変化への鍵になるのです。
著者が提示している多方面(行動経済学、神経科学、行動心理学、生理学等)の科学的な実験例と彼女の主張は、決して「目の前のチョコ、クッキー、タバコ、アルコール、ドラッグ等に、いかに意志力によって手をのばさないか」という卑近な例にとどまる話ではないのです。そのように勘違いしていたレビューもなかにはあったので。目の前のチョコやクッキーに対する人の行動は、「人間関係において衝動的に動いているパターンや日常生活の諸々の行動傾向」を、分かりやすく教えてくれている比喩でもあるわけです。
一つ気になったのは「意志力が優れていれば、健康で人間関係も良好で収入も高く出世し逆境にも強く寿命も長い」というところ。うーーん、そこはそんなに単純な話ではないと私は思っています。
*******
星千年木。今朝来たら、地味ではあるものの繊細な花が咲いていました。夕方には閉じます。
2016年02月24日
以前、相談室にいただいた寄せ植えの観葉植物。
ふと、蕾のようなものが付いていることに気づきました。わかりますか?5年目にして、初めてです。
何ていう植物かわからずに調べたら、和名は「星千年木(ホシセンネンボク)」。緑の葉の白い細かな斑が星のようだから?蕾が開くのが待ち遠しいです…。
2016年02月19日
最近読み始めたばかりの『スタンフォードの自分を変える教室』。
実はまだ車内広告にあって、しかも『スタンフォードのストレスにうんたら…』という本まで出ていることを知りました。スタンフォードスタンフォードって五月蠅いなと思いますが、原題は至ってシンプル。『The willpower instinct 』(based on wildly popular course at Sanford University)。
つまりは『意志力』ないしは『意志力の本能』。副題も「スタンフォード大学生涯学習講座より」くらいのものなのだから、現役の学生以外に社会人にも広く門戸の開かれた講義なのでしょうね。この意志力。努力や根性みたいなものかと冷ややかに見ていたら、定義はそうではありませんでした。
すなわち、”意志力とは進化によって得た能力であり、誰もがもっている本能であり、脳と体で起きている現象を対応させる能力”とのこと。食欲と同じような本能なのだと聞くと、なんだかとても安心できますね。そしてこれは筋肉みたいなものなので、鍛えていくと強化できると。
著者の先生は、ヨガや瞑想など随分東洋的なものの影響を受けている人なので、その鍛え方もしなやかで優しい印象をうけました。まだ第2章まで。
2016年02月14日
今日はヴァレンタインデーですね。東京駅銀の鈴の裏は、ベティーちゃんのオブジェが派手にありました。特にベティーちゃん好きではないけれど。
女だってチョコが食べたい!ということで、帰りに買って帰ろうと思います。既に下見済み。
自分には他に、今頃になって『スタンフォードの自分を変える教室』を購入しました。中吊りで騒がれているときは買わない主義なのです。クライエントさんで読まれた方も多かったように思いますが、読み終わったらまた感想を記したいと思います。ケリー・マクゴニガル先生には申し訳ありませんが、アマゾンで1円でした。送料200幾らのみ。最近は便利で、配送先を自宅近所のコンビニに指定できるところがいいですね。これなら不在でも延び延びになりません。コンビニの店員さんが、1冊毎にバックヤードに取りに行って処理をするので時間がかかりますが(笑)。全部まとめて取りに行けば済むと思うのですが、処理が煩雑なのかしら?
2016年02月12日
本日は昨日封切りの映画について。今年の米アカデミー主演・助演女優賞にノミネートされており、映画館の予告の段階から観ようと思っていた作品でした。どうしてもヒーローものよりヒロインものの方に関心が向くのは同性だからでしょうか…。ヒーローものはどうもドンパチドンパチしたもの、やられていても最後は屈強の男といったものが多く、非現実的であまり観る気にならないのです。
さて、女性同士の恋愛を描いた『キャロル』。期待以上にとても素晴らしい映画でした。同性愛の方も異性愛の方も関係なく、恋愛作品として共感できる内容だと思います。ただの恋愛ものではなく、女性の自立(自律、選択)もテーマでした。自立といってもそこにはやはり同性愛というものが絡んできます。
階級も年齢も違う二人の女性が、クリスマスシーズンにふと出逢ったことから話は進みます。富裕層のお飾り的な妻の座を捨てようとしている中年女性キャロルと、恋人はいても家族はいない孤独なデパート勤務の若い女性テレーズ。キャロルの方は元々同性愛的な sex orientation をもっている人ですが、二人は少しずつ惹かれあっていきます。
「アイゼンハワーに乾杯!」って言っているので1950年頃の話です。敗戦後の日本とは比べものにならないくらい富める国・強い国アメリカの富裕層において、当時の女性に求められる理想像は「家庭を明るく切り盛りする美しき良妻賢母」でした。そういう社会のなかで同性愛であるということは、今のアメリカよりずっと強く、アウトサイダーの立場に追いやられる深い苦悩があったのです。
キャロルは夫と幼い愛娘の共同親権を巡って争いますが、当時のアメリカでは同性愛が親権に不利な疾患として捉えられていたようです。職業柄ギョっとしてしまったシーンですが、娘に会える条件として、キャロルは高額な心理療法家の治療を受けなくてはいけなくなります。治療のシーンがあるのではなく、姑や舅のいる家族の会話の中でそれが当然のことのように語られるのです。夫の側(=社会の側)は「同性愛」を問題とし、キャロルの側は「偽りのない生き方」の問題とする、その相違が頑として根底にあるように思いました。
後は観てのお楽しみ。どのように思われるかはそれぞれの自由です。
こういう映画の後は最寄り駅で酔っ払いに会いたくないので、東京駅まで丸の内のストリートを歩きました。空気がひんやり冷たくて、ほとんど人がいなくて気持ちよかった。
丸の内ストリート