2016年02月19日
最近読み始めたばかりの『スタンフォードの自分を変える教室』。
実はまだ車内広告にあって、しかも『スタンフォードのストレスにうんたら…』という本まで出ていることを知りました。スタンフォードスタンフォードって五月蠅いなと思いますが、原題は至ってシンプル。『The willpower instinct 』(based on wildly popular course at Sanford University)。
つまりは『意志力』ないしは『意志力の本能』。副題も「スタンフォード大学生涯学習講座より」くらいのものなのだから、現役の学生以外に社会人にも広く門戸の開かれた講義なのでしょうね。この意志力。努力や根性みたいなものかと冷ややかに見ていたら、定義はそうではありませんでした。
すなわち、”意志力とは進化によって得た能力であり、誰もがもっている本能であり、脳と体で起きている現象を対応させる能力”とのこと。食欲と同じような本能なのだと聞くと、なんだかとても安心できますね。そしてこれは筋肉みたいなものなので、鍛えていくと強化できると。
著者の先生は、ヨガや瞑想など随分東洋的なものの影響を受けている人なので、その鍛え方もしなやかで優しい印象をうけました。まだ第2章まで。
2016年02月14日
今日はヴァレンタインデーですね。東京駅銀の鈴の裏は、ベティーちゃんのオブジェが派手にありました。特にベティーちゃん好きではないけれど。
女だってチョコが食べたい!ということで、帰りに買って帰ろうと思います。既に下見済み。
自分には他に、今頃になって『スタンフォードの自分を変える教室』を購入しました。中吊りで騒がれているときは買わない主義なのです。クライエントさんで読まれた方も多かったように思いますが、読み終わったらまた感想を記したいと思います。ケリー・マクゴニガル先生には申し訳ありませんが、アマゾンで1円でした。送料200幾らのみ。最近は便利で、配送先を自宅近所のコンビニに指定できるところがいいですね。これなら不在でも延び延びになりません。コンビニの店員さんが、1冊毎にバックヤードに取りに行って処理をするので時間がかかりますが(笑)。全部まとめて取りに行けば済むと思うのですが、処理が煩雑なのかしら?
2016年02月12日
本日は昨日封切りの映画について。今年の米アカデミー主演・助演女優賞にノミネートされており、映画館の予告の段階から観ようと思っていた作品でした。どうしてもヒーローものよりヒロインものの方に関心が向くのは同性だからでしょうか…。ヒーローものはどうもドンパチドンパチしたもの、やられていても最後は屈強の男といったものが多く、非現実的であまり観る気にならないのです。
さて、女性同士の恋愛を描いた『キャロル』。期待以上にとても素晴らしい映画でした。同性愛の方も異性愛の方も関係なく、恋愛作品として共感できる内容だと思います。ただの恋愛ものではなく、女性の自立(自律、選択)もテーマでした。自立といってもそこにはやはり同性愛というものが絡んできます。
階級も年齢も違う二人の女性が、クリスマスシーズンにふと出逢ったことから話は進みます。富裕層のお飾り的な妻の座を捨てようとしている中年女性キャロルと、恋人はいても家族はいない孤独なデパート勤務の若い女性テレーズ。キャロルの方は元々同性愛的な sex orientation をもっている人ですが、二人は少しずつ惹かれあっていきます。
「アイゼンハワーに乾杯!」って言っているので1950年頃の話です。敗戦後の日本とは比べものにならないくらい富める国・強い国アメリカの富裕層において、当時の女性に求められる理想像は「家庭を明るく切り盛りする美しき良妻賢母」でした。そういう社会のなかで同性愛であるということは、今のアメリカよりずっと強く、アウトサイダーの立場に追いやられる深い苦悩があったのです。
キャロルは夫と幼い愛娘の共同親権を巡って争いますが、当時のアメリカでは同性愛が親権に不利な疾患として捉えられていたようです。職業柄ギョっとしてしまったシーンですが、娘に会える条件として、キャロルは高額な心理療法家の治療を受けなくてはいけなくなります。治療のシーンがあるのではなく、姑や舅のいる家族の会話の中でそれが当然のことのように語られるのです。夫の側(=社会の側)は「同性愛」を問題とし、キャロルの側は「偽りのない生き方」の問題とする、その相違が頑として根底にあるように思いました。
後は観てのお楽しみ。どのように思われるかはそれぞれの自由です。
こういう映画の後は最寄り駅で酔っ払いに会いたくないので、東京駅まで丸の内のストリートを歩きました。空気がひんやり冷たくて、ほとんど人がいなくて気持ちよかった。
丸の内ストリート
2016年02月07日
前半に調子を崩したこともあり、疲れたなー、でも一週間が終わったなーと思っていたら、たった今、比較的長い地震がありました。ここのところまた地震が増えていますね。東京23区で震度3の場合、相談室のビルは+1度くらいの体感なので、思わずドアを開けました。おさまってくれたので一安心ですが…。
さてさて、少し疲れたとき、人はそれぞれの回復方法があると思いますが、私は絵本を読むことで自分を労ります。難しいことを考えなくていいし、優しい穏やかな気持ちになるし、感覚が研ぎ澄まされるからでしょうか。
今回出会えた絵本は、『大きな木のような人』 。一人の子供(女の子)と一人の大人(男性)の出会いと別れの物語で、こういう関係あるのだろうか…、いやどこかにはきっとあるのだろうな…と思える、とても心を揺り動かされる内容でした。自分以外の誰かのことをそっと思い返してみる、そういうのが人の営みの幸せなのかもしれません。
相談室に置いておくので興味のある方はどうぞ。
『大きな木のような人』 (2009 ) いせひでこ作・絵 講談社 より
2016年02月06日
四方山話。
本日…、
「これはバラですか?」と聞かれましたが、ラナンキュラス Ranunculus です。
葉が rana (カエル)の足に似ているのが語源だそうです。確かに、葉はカエルの足に似ています。カエルの足は可愛いですね。
ちなみに下の葉は別のもの。お花屋さんが一輪じゃ寂しいからとオマケしてくれました。
2016年02月03日
相談室近所にはミニスーパーが2軒あります。以前は神保町交差点近くに比較的大きめのスーパーがありましたが数年前に無くなってしまいました。コンビニに比べて比較的大きめと言っているのに過ぎず、都会で暮らす人たちの食生活事情は一体どうなっているのだろうと前から不思議に思っていました。
でもここ最近は大型スーパーのプチ店が出来たので、私も時々利用しています。種類によっては地元のスーパーより野菜が安かったりして買って帰りたいくらいなのですが、遠路はるばるになるので諦めています。まあ地方のスーパーに比べて見劣りすることは確かですが、そこそこ頑張っています。先日は「柊」が売られていました。鰯が刺さっていたかどうかはおぼえていませんが、節分用の柊です。ね、頑張っているでしょう?柊を飾る家がどのくらいあるのかは別にして(笑)。
とにかく今日は節分の日。今日を境に季節が変わるのです。寒いのは今日まで(ですかね?)。季節の変わり目は邪気(邪鬼)が出るとされ、だから邪気(邪鬼)を追い払うために豆撒きがあるのだそうな。鬼というのは可視化・外在化したもので、実際は「気」の方なのでしょうね。ではこの邪気は一体どこから出てくるのか。自然界から?自分の内なる邪気?もしかしたらきっと誰もが、季節の変わり目に自分のなかの邪気を追い払う必要があるのかもしれません。そう考えるとこの儀式、なかなか重大なものに思えてきますね。
2016年01月31日
明日から2月ですね。3日は節分、4日は立春、寒いのはもはや勘弁といったところです。
さて、今日も新聞記事のお話。記事といっても書籍紹介のコーナーで、本日は作家の荒俣宏氏が故水木しげる先生のお薦め本3冊を紹介していました。
私などは過去「ゲゲゲの鬼太郎」をアニメ、「のんのんばあとオレ」をテレビドラマで観たぐらいで、後は「いかに大先生か」という様々な情報に触れてきただけだったのですが、ここ数年はビックコミックに連載があって読んでいました。巻末近くにカラー数ページの作品で、90歳を越えられた漫画家の現役の連載でした。作品のタイトルは『わたしの日々』。
この作品を荒俣宏氏も推薦していたのですが、その紹介文がとても良くて、ああこういう作品だったのかと目から鱗が落ちたようでした。
大顰蹙を買うであろうことを承知で正直に書くと、『わたしの日々』は私にとってすごーくつまらなかったのです(笑)。なんて言うのでしょうね、ストーリーもオチもなく感じられて、これから話が始まるのかと思いきや突然終わってしまう感じ。車のエンジンがかかってブレーキから足を外したら車が止まってしまった、というような印象、といえば伝わるでしょうか。大先生に花を持たせる連載なのだろうかと思いつつ、それでもなぜか毎回読んでしまう不思議な作品でした。
では紹介文から一部引用です。(朝日新聞2016.1.31付(ニュースの本棚)「水木しげるの人生 少年時代は一生を決める宝 荒俣宏」より)
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■なまけ者になれ
最後にもう一冊、亡くなる直前の生活ぶりを題材にした全ページ色刷り作品『わたしの日々』を紹介したい。これは日常周辺記であると同時に、含蓄ある回想録でもある。三人合わせると300歳に近い元気な水木三兄弟はじめ、仲良しのファミリーや猫たちとの生活ぶりに触れて、「穏やかなのがいちばんの幸せ」と改めて実感する。最後近くに付された「格言」は、水木名言集の総集編であり、「なまけ者になりなさい」「猫はカシコイ」「睡眠力と幸福」に続き、「屁(へ)のような人生」で締めくくられる。人生に絶対的な価値を求めず、瞬時に消えゆく屁のようなものに価値を見いだし、満足せよという格言は、良寛さまの言葉のように可笑(おか)しく、また愛(いと)おしい。
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