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ブログ 心's LOOM

里山

2012年07月15日

今日も無事一日が終わりました。
ふとカレンダーを見たら、明日は海の日。あー。海見たいなー。時々行きたくなるのは、松崎町あたりの西伊豆です。水は苦手だけれど、眺める分には開放感と潤いを味わうことができます。
先日、日本の「里山」が見直されているという、番組を観ました。湿原が世界的な条約で保護されるならば、里山も条約で保護されてもいいのになと思います。
では「里山」とはなにか?
それは、人の手が入った山と、田んぼや畑と、集落などの人と自然の共同体。海外にも田舎はあるけれど、なにが違うかと言えば、水(田んぼの水など)が身近にあることが特徴的なのだとか。
(東京から少し南に行けば、千枚田などがあるの知っていました?能登まで行かずとも…)
田んぼは巨大なビオトープ。オタマジャクシ、蛙、イモリ、タニシ、トンボ、ゲンゴロウなど無数の生き物たちが豊かに暮らしています。生き物が安心して暮らせるところは、人にも優しい環境です。
むかーし、「シオカラトンボ(塩辛蜻蛉)」というトンボがいることを東京出身の友人に話したら、「それはウソだ」と頑なに信じてくれなかったことを思い出しました。彼女には、卓上にだされる塩辛しか想像つかなかったようなのです(笑)。
溜め池
↑ 溜め池で釣りをする人たち。

錯誤

2012年07月14日

今朝は町内放送に叩き起こされました。
「午前7時に大雨洪水警報が発令されました。引き続き気象情報に注意して☓〇△◇…」というもの。午前7時だと寝坊なので慌てて起きると、なんとまだ5時半。
「何だ、人騒がせな…」と再び床に就き、「7時ではなく、1時って言ったのかな?」とか、「1時なら5時に放送しないだろう…」とか、うつらうつら考えていました。結局判明せず。午前7時には陽が射して、小鳥ピチピチ鳴いていました。
ある時、ラーメン屋さんに入りました。そこはつけ麺が主なメニューなんですが、つけ麺も温かくラーメンのように食べられると言うことを友人から教わっていたので、温かいものを注文しようとしました。「温盛」を、「おんもりでお願いします」と言ったら、何と出てきたのはつけ麺の700g 盛り。アジア系外国人の店員さんが「おおもり」と思ったのでしょう。「あつもりで」と言えば良かったことを後で知りました。700g!、食べられるわけがありません。
言い間違い、聞き間違い、というのはしばしばあるもの。
言い間違いをはじめとする、ついうっかりやってしまった、言ってしまった、という行為を錯誤行為といい、そこに無意識が出ると言われています。じゃあ私は大盛りを食べたかったのか?天ぷらそば大盛りは食べてみたいのですが…。
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a frog

夏嫌い

2012年07月13日

ここのところ朝辛い日が続きます。別に何かあったわけではなく、ただ朝動けないだけ。
起きてぼーっと。一つ動作をするたびにぼーっと。腰が立たない。テレビを付けて、ギンギンに冷たい(お腹に良くない)カフェオレを飲むまでは、まったく体が動かないのです。多分湿度と温度のせい。
近所の人たちは、恐らく1-2時間も早く起きていろいろ家事などをやっているらしく、その様子がよく伝わってきます。朝の6,7時から身なりを整えてゴミ出しに行って偉いなあと心から思う。同時に、辛い。自分が同じように動けないから。
朝の時間の有効利用、というものを本当はしたいのですが、夜それなりの時間に寝ても起きられないのはどうしてなのでしょう。どうしても早く起きなければいけないことなんかがあると、すくっと起きることができるのですが。
今日もこんな具合で家を出たら、何台ものデイケアサービスの車を見かけました。お年寄りがそれだけ多いんだなと思って眺めていたら、ドライバーさんがなんと知り合いの方で驚きました。女性でやや大きめの介護車を操縦しているのがすごい。道なんか狭いし、お年寄りを乗せていたら気も遣うであろうし、なにより車に乗せたり降ろしたりと移乗も楽ではないでしょう。
自分の知らない至るところで、町は随分早くから動いているんですよね。
たぶん、明日も明後日も私はギリギリに起きてダラダラ準備して慌てて家を出るとは思うけれど…、爽やかな気持ちをもらった朝となりました。
mini胡蝶蘭
↑ 若葉すくすく。ミニ胡蝶蘭。

一つの出来事から

2012年07月12日

東京はとても暑いです。ビルが多くて風が通らないのと、緑が少ないからでしょうか。
さて、最近読み終えたのが、中島岳志という学者さんが書いたある刑事事件を扱った本です。
この事件は4年前になるようですが、世間の耳目を集めている間はこういった類いの事件に関する報道などはあまり見ないようにしています。必然的に目に入ってくるので。
この本が出版されたのは昨年3月。
事件を起こした人物が事件当日に至るまでの過程が、取材や裁判の傍聴を通して書かれています。アジア地域研究の学者が書いているので、ジャーナリスト臭さがなく、事実を淡々と積み重ねていくような印象を受けました。あまり家族やプライベートに踏み込んでいないので、それはそれでいいと思います。
読後は妙に悲しくなりました。今後、このような悲劇を防ぐ手立てはどこにあるのでしょうか。
原因は何かというと生い立ちや人格に帰結されがちですが、色々なことが複雑に絡み合っているのだと思います。
一つ気になったのが、やはり心理学者が書いていないせいか、母のことばかり主に言及されていたことです。母親の子どもへの徹底した侵入(虐待)についてです。しかし…。母の傍らの父はどうであったのでしょう。母と父の関係はいかに。母はどのような思いでいたのか etc.
二人は恋愛結婚です。
私がいつも不思議に思うのが、かつては恋愛結婚で結婚した夫婦なのに、コミュニケーションが機能していないケースが非常に多いことです。夫婦が長い間連れ添ってコミュニケーションが希薄になっていくのではなく、ほぼ最初から何かしら齟齬がある。
恋愛をするのは実は簡単なのだと思います。恋愛は幻想?問題はその後から。
二者関係を築くことこそ、最大の課題なのかもしれません。これは自分も含め、誰にとっても言えることだと思いました。
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aroma

投影(project)

2012年07月11日

先日『クロエ』(2009,米etc.)という大人の映画を観ました。『恍惚』という仏映画のリメイクです。中盤からホラーサスペンス映画?並の恐ろしさを若干感じ、久々に面白い作品でした。
舞台はカナダのトロント。
クロエは、若い娼婦です。
主人公は50代の主婦で婦人科医。大学教授の夫とピアノを学ぶ息子との3人家族。絵に描いたようなハイソな家庭で、主人公は、冬のトロントの町でもハイヒール姿で生活感が薄い。美しい人ではある。
あるとき、この主婦に一つの疑念がわく。夫が浮気しているのではないか…と。夫はふだんから若い学生たちと過ごしているし、ウェイトレスの女性にも優しい。疑惑がどんどん膨らんでいき、妻は偶然出会った若い娼婦クロエに頼み、夫を誘惑させる。彼が浮気をするタイプか否かを確かめるために。
クロエは夫との関係を子細に渡り報告する…。
この思い詰めた青白く美しい妻は、純粋に心配しているのではなく、夫を浮気へと誘導していることに全く気付いていません。いろいろな手段で浮気へと導き、「ああ、やっぱりこの人は裏切る人なのね」と確認したがっているように思われました。
フロイトの著書に、防衛機制の一つである「投影」についての記述があったのを思い出しました。一人の妻が夫の浮気を疑う。あの人は絶対に怪しい。浮気しているに違いない。実際のところ、夫は浮気などしていない。フロイトによれば、これは妻の心の内にある「浮気がしたい」という隠された欲望が、夫に投影(project)されているのだ、とのことでした。
では、なぜこんな込み入ったことをするのか。それはこの妻にとって、浮気など以てのほか、許されないことなので、自分の内なる願望を認めるのさえ怖いからです。ですから、この欲望を夫のものにして夫を非難する。
映画のなかの妻にもそれが見受けられます、と私は思います。
因みにどこがホラー的かというと、クロエが次第にプロスティテュートらしからぬ存在になっていくからです。
この辺は映画を盛り上げるためですかね。
東京駅丸の内北口
↑ 東京駅舎・丸の内北口側

東京界隈

2012年07月10日

本日はやや遅くなるために、ものすごく簡単に終わります。
昨日の画像の答えは、東京駅丸の内北口の天井です。おそらく八角形です。東京駅が日を追う毎に、完成に向かっています。いつも使用する昭和初期のような見捨てられた印象の乗り場も、国際ステーション?に相応しく少しずつ生まれ変わっています。お店はどこもかしこも同じ様相ですが…。
水道橋風景
↑ こちらは水道橋駅界隈。ドームホテルと中央線(わかるかな?)です。

鳴き声

2012年07月09日

本日初めて蝉の鳴き声を耳にしました。
まだまだ弱い鳴き声ですが、どうりで暑くなってきているわけですね。
鳴き声と言えば、パンダの赤ちゃんの鳴き声、100数十グラムの割に、大きな声で驚きました。まるで映画に出てくる赤ちゃんエイリアンのよう。
上野動物園の公式ホームページを見ていると、まあ、随分のんきなお母さんだなと思いました。パンダは繁殖が難しい哺乳類と言われていますが、母と子の体の大きさの違いが原因だけでなく、お母さんが途中で放棄することが多々あるんですね。疲れてしまうと赤ちゃんに関心がいかず、笹や竹を食べたり、昼寝をしたり。赤ちゃんを探さず…。
動物園では綿密に人の手が入りますが、野生ではこういうふうにして自然淘汰されていくのでしょう。
かつて家で猫が出産したときに、やはり吸啜力の弱い子は途中で次々亡くなってしまいました。母親はそういうふうに亡くなった子たちを、少し脇へ追いやるか、別の薄暗い場所へ他の赤ちゃんごと移動して、とくに悪びれてもいませんでした。
パンダも猫も大らかに見えますが、実はその種にとって体力的に限界ぎりぎりのところで子育てをしているのかもしれません。そんなことを思いながら、パンダ映像を眺めていました。
パンダニュースで浮かれてなどいられない御時世だとは思うのですが…。
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丸の内北口
↑ この8角形はなんでしょう?

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