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ブログ 心's LOOM

休日の駄文より

2012年06月11日

前置きはちょっと?とても?くだらない話。本日はなんとなく気分がいいのです。なんとなく、というよりもとても気分がいいのです。
というのは、とある外国の俳優さん(この人は私と同じくらいの歳、年下だけど)が、12歳年下のキュートな、言い換えるとちんけ(?!)な女優さんと破局していたことがわかったからです。
わずか数ヶ月で。にんまり…。
しかも女優さんの方は既に別の熱々のボーイフレンドがいる…。やっぱり…。
どうせ別世界の人なので、何を思うのも、どう想うのも自由。とっても好みの俳優さんなので、我ながら悪意を感じた、幸福な一日なのでした。
閑話休題。
一昨日掲載した文献について、説明をしていませんでしたので補足しておきます。この本は、「神経質」の各症状に即した具体的な考え方や治療法を説明しているのではなく、森田正馬の伝記のようなものとして読むと大変面白いと思いました。そのなかには勿論、いろいろな概念(こう言ってよいのやら?)の紹介が含まれているのですが、森田正馬の「人となり」がわかり、それはそのまま私たちの「生」を勇気づけてくれる気がします。なんでも、桁外れの記録魔(ええっ、むつみごとの回数も?一体何のために…)だったとは、一種病的でさえありますが、なーんだ、これでいいんだなと感じました。
大概、高名な先生方の個人史がちりばめられたエッセイ風な文章を読むと、自分とはあまりにかけ離れた世界で「ふーーん」というくらいの感想しかもたないことが多いのですが、この違いは森田正馬先生の個性から来るのでしょうか。あるいはただ単に私の個人的な事情からくるのでしょうか…。
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どくだみ
↑ 幾何学模様的魅力のどくだみ。

明日…

2012年06月10日

本日は睡魔に襲われているために、撮りためたもののなかより、この1枚を。

水に映った影や、水面に揺れる光を眺めると、なんとも更にねむーくなってきます。
水沼


梅雨入り

2012年06月09日

どうやら本格的な梅雨入りのようです。肌寒かったり、蒸したりと、体調管理が難しい季節ですね。

先日、森田療法の文献をご紹介したところ、「読んでいてためになる」と感想を述べてくださったクライアントさんがいらしたので、それでは同じ著者によるもう1冊もご参考までにあげておきますね。
 
私は多数の文献を同時進行で読みますが、ビブリオセラピー(読書療法)としては、気楽に、睡眠導入剤?ぐらいに行うのがいいと思います。それから夜間の読書は目にも注意しましょう。
私的にはここのところまた読書の喜びを味わっており、それも学術文献ではなく、小説や文学作品です。登場人物の心情の機微が描かれており、やはり人の心を扱ううえでとても勉強になります。なにより、自分の内に眠っていた感情や感覚が徐々に目覚めていくような気がします。感情や感覚は、使っていないと(こういう言い方もおかしなものですが…)、顧慮せずに放ったらかしておくと、日々の生活の中で鈍麻していきますね。
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ねこつぐら
↑ とある居酒屋さんで展示されていた「ねこつぐら」。新潟、長野北部辺りのねこのハウスだそうです。超小型犬でもいけますね。

コミュニティーのなかで

2012年06月08日

今週はゴミ当番をやっています。どこの集落にもあると思いますが、ゴミ回収後、ゴミステーションが汚れていないかチェックして、汚れていたら軽く掃く程度の簡単な係です。
日中は不在なのでどこまで義務を果たせているかわかりませんが、たまたま休みの月曜日、こんなことがありました。既に生ゴミ(ネットを組み立ててそのなかへ入れる)の回収が終わり、後は樹木などの緑の資源ゴミだけが残っていました。そこへ、誰かが資源ゴミの上に生ゴミの袋を置いたようで、狙っていたカラスがやってきて、あっという間に路上が生ゴミだらけになりました。
人をなめきったカラス(カラスも必死?)と、折りからの風と格闘しながらゴミを集め、新しい袋にまとめ、再びカラスにやられないようにネットボックスを組み立てて入れました。はぁ、これで何度目でしょう…。
ご近所には高齢の方もおり、曜日とゴミの分別がわからなくなってしまう場合もありました。これは致し方ないことです。しかし、今回のはどうもちがうような。以前、自分が係の場合はゴミを家に持ち帰っていましたが、同じことの繰り返しなので、今回はゴミ袋に張り紙をして出した方に持って帰っていただこうと思いました。
ところが、後から資源ゴミを回収に来た自治体のクリーンセンターの人が、残された生ゴミも持って行ってくれました。これはありがたいことなのか、どうなのか、何とも言えない気持ちになりました。クリーンスタッフの人の優しさは感じましたが、捨てた人はカラスの襲撃などいつまでも気付かないままでしょう。いやはや…。
みどり

moonlight

2012年06月07日

昨夜はとてもきれいなお月様でした。地上から随分低いところに出ていて、スーパームーンくらいに大きくて、放し飼いの鶏卵の黄身みたいなオレンジ色をしていました。
なるべく近づきたくて、地元の駅の歩道橋の上から撮影しました。写真にするとあのオレンジ色も消え、何とも味わいがなくなってしまうのですが…。
昨日は太陽と金星の天体ショーを見た人もいらっしゃるようですね。私はニュースで見た限りですが、金星は太陽に近いのに、あんなに小さくなってしまうんだ…と今更ながら太陽の大きさに驚いていました。
6月6日の月
一晩経ち…。
早朝ニュースをつけたら、BSワールドニュースの優秀なキャスターが番組から引退するらしく、最後の挨拶をしていました。その男性キャスターが伝えていたこと。
・世界のニュースは事実であったとしても、それはその国の「一面」を伝えていることを忘れない。
・外国人記者による日本の報道は、事実誤認や誇張があったとしても、視点の異なる報道としてまずは受け入れる。
・想像力を養うこと。日本から遙か遠い異国の地で起きていることも、他人事とは思わない。
そうか…。そうだよね…。
このことは、日本にも世界各国にも共通していえるはず。
朝7時台の国内ニュースでAKB48の総選挙のことが大きく報じられていても、これは日本の一面なのです。一見、日本はとても平和そうにみえるけれど、相変わらずの「ランキング好き」という過酷な面もあることを忘れないでほしいな。はたして、あの女の子たちの心は穏やかなのでしょうか…。

日本的マゾヒズム2

2012年06月06日

肌寒い日ですね。
日課である、新聞のウェブサイトに目を通していたら、トップページの上の方にAKB総選挙速報が出ていました。別に載せるのはいいんですけどね。こんなに上に載せる必要があるのでしょうか。他に伝えるべきことは沢山あるだろうに…。
しかし、どうしてこんなに甲乙付け難い(顔の分別が難しい)アイドル集団がもてはやされるのか、そこを分析してくれたらきっと面白いでしょうね。しかも、なぜあれほど幼稚園のお遊戯会のような「集団」で歌わなくてはいけないのか。
やはり日本人は、終生、集団と集団の和を求めているのでしょうか。
昨日のブログでお伝えした、自己主張を抑え相手を許すという「日本的マゾヒズム」について、以下の特徴があるといいます(小此木,1982)。

(↑ 「日本人の阿闍世コンプレックス」の画像がなかったので、同テーマの別本です。)
1 自発的罪悪感に訴える
例えばAさんがBさんの過ちを取り立てて指摘しなかったり許してあげると、Bさんの側に「すまないな」という罪悪感が生じます。同時に、「Aさんはどうせ許してくれる」という甘えもBさんの無意識に生じます。
2 交換の原理を無視する
Aさんの「許す」行為には、表面的には give and take の精神はありません。因みに見返りを要求したら「利己的」などと非難されます。Aさんの見返りを求めない行為は、Bさんに「借り」の気持ちを生じさせます。
3 謝恩を要求しない
これは1や2と同じものと思いますが、「罪悪感」「借り」「恩」で繋がっているのが、日本の社会なのだといいます。またこういった日本的な社会は、人と人の繋がりが容易に切れない社会だといいます。個々の契約に基づいた、合理的な結びつきを重視する(契約がなくなれば人間関係は解消される)欧米型社会と異なる点です。
著者は日本人のこうした特徴を欧米人と比較して劣ったものとしてみるのではなく、戦後の「個人」や「個の自立」を追求してきた教育(タテマエ)と、「日本的マゾヒズム」(ホンネ)のギャップに気付いてそれらを統合し、新しい自我を確立していくことが大切だと説いています。
1982年から早30年。何が変わって何が変わっていないのか…。
雨のなかの紫陽花


日本的マゾヒズム

2012年06月05日

手元に届いた『ジェーン・エア』のページを繰り、映画を反芻しながら、東西の女性像の違いのようなものをあれやこれや考えていました。
5月31日付ブログでご紹介した『日本人の阿闍世コンプレックス』小此木啓吾(著)のなかに、こういったくだりがあります。米国人女子学生の発言で、「ボーイフレンドが約束を反故にしようものなら、感情を露わにしても自分への敬意を払わせる」というものです。(このあたり、私は境界性パーソナリティ傾向の人はこういった自己主張の素質があるように思います。)
著者は、欧米人にとっての嫉妬の感情は、所有権の侵害に対する正当な権利の主張であるのに対し、日本人にとっての嫉妬は、「慎みのない、はしたない」感情なのだと指摘しています。
確かに、これは男女限らずに多いと思うのですが、例えば配偶者や恋人など親密な間柄の人が自分の誕生日を忘れていたとしたら、一体どのぐらいの人が抗議するでしょうか?本当は寂しいのに、「別に気にしていないよ」という人はまだまだ多いと思います。「誕生日なんて何でもないし…」とか、「彼(彼女)は忙しいから…」という発言もよく耳にします。
こういった日本人の傾向を、著者は「日本的マゾヒズム」と呼び、この日本的マゾヒズムが人や組織、社会、政治を動かす大きな原動力、支配力となっているとのことです。
ここがポイントなのですが、この女性的かつ日本的マゾヒズムは、「ただやられっぱなし」という訳ではありません。自己主張を押し殺している深層には、「こんなにしているのだから、いつか相手は振り向いてくれる」という期待を孕んでいるといいます。そしてこの「密かな期待」が、相手に「罪悪感」と「甘え」と「恩」の気持ちを生じさせるのです。この日本的マゾヒズムの特徴については大変面白いので、またの機会にご説明しますね。
神田界隈

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