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ブログ 心's LOOM

作品の中の女性たち

2012年06月03日

何年ぶりでしょうか。
昨夜は映画館に行きました。数年ぶり?約10年ぶり?の日比谷シネシャンテ、です。もうこの頃は、スピーカーを良くすれば家で十分楽しめるのですっかり映画館から遠ざかっていました。しかし…。違う。風景が全く違う。人の顔も違う。女優さんたちの顔の皺も陰影もリアルで(だからこそナチュラルで美しく)、安心しました。
鑑賞したのは「ジェーン・エア」。古典もの、文芸ものは、衣装やインテリア、エクステリアなどの時代考証を観るのが好きなのと、何より捨ててはおけない内容だったので公開初日にネットで予約をして行ってきました。そして今日は早速アマゾンでブロンテ姉妹の本を注文しました。
「ジェーン・エア」は19世紀半ばのビクトリア調時代に出版され、物議を醸した作品とのことです。主人公のジェーンは別に器量よしのヒロインではなく、質素で、自由と自立を求め、しかしながら階級の異なる男性に自分から求婚するという、当時では考えられないほど大胆で、真の意味で自分を大切にできる女性です。
今回の映画作品では、「アリス・イン・ワンダーランド」の若いヒロインが演じていました。抑制して落ちついていてしっかりと芯のある女性像でしたが、今の時代ならばややもすると「頑な、暗い」などと評価されるのではないか、と思いました。「女は愛嬌」というのとは、全く異なります。この世の中、もう少しこういう女性が増えてもいいんじゃないか、と思います。
まあ、とにかく、大ロマンスなので身も心もゾワゾワし、すっかりボーッとしながら帰りの電車に揺られていました。後は本が届くことを心待ちにしています。
ジェーン・エアのサムネイル画像

支援の形

2012年06月02日

昨夜は神田のとある居酒屋さんにでかけました。
昨年の3月12日、長野県の栄村でも震度6強の地震があったことが知られています。東日本大震災の翌日に起きたこの地震の被害も凄まじく、村はまだ復興の途上にあります。私が訪れたお店とは、「ふるさと酒場さかえむら」という、栄村の食材や郷土料理で復興の応援をしようというコンセプトのお店です。都内の大学と村の協力で運営されています。
さてお料理ですが、村で採れる山菜料理がメインで、たいへん素朴でえぐみと苦みのある大人向けの料理です。あけびの蔓とか、行者ニンニクは初めて食べました。この他、村のお米で炊いたおにぎりや根曲がり竹のお味噌汁などもあり、このお味噌汁は具だくさんでとても美味しかった!食事は全般的にボリュームが期待できないのが残念なところですが…。
こういった復興支援のスタイルのお店が、今後増えていくといいなと思います。
山菜料理
↑ 食べかけなのでセピア色に…。

就職

2012年06月01日

昨日の続きはまた後日に…。
6月に入りましたね。季節も徐々に暑くなってきました。
間もなくやってくる梅雨の季節。
恵みの雨ではあるけれど、気分は鬱陶しくもあります。
この間、家では既に2匹のむかでが発生し、それはそれは大変でした。どう大変なのかといえば、高いところでちょろちょろ動くむかでに殺虫剤をスプレーしたところ、当然ですか落ちてきて、そこに猫がすっ飛んでいき…。あとはご想像にお任せします。
スプレーを少し浴びてしまった馬鹿な子は、しばらくクシュンクシュンしていました。
さて、今日読んでいた記事に、新卒の有効求人倍率はやや回復しているものの、大学生の就職活動が依然厳しいとありました。就職活動の早期化と長期化が見られ、大学では3年生,4年生が就活に苦労しているとのことです。勿論、就職難は大学生ばかりでなく、更に若い人たちや中高年層の間でも大変深刻な問題です。就職難が理由で亡くなった10-20代の若者は、平成22年で150人だと伝えられていました。そのうち男性の割合は78.0%だそうです。
就職活動に苦しんでいる人たちに向かって軽々しくは言えませんが、仕事で人の価値は決まりません。仕事はその人の能力ではなく、育った環境や時代に左右されるものだと私は考えています。森田療法の森田正馬の言葉に、「職に貴賤はあらず、人に貴賤あり」というものがありました。若い人にはピンとこない言葉かもしれませんが、正にそうだと今では思います。
再教育や再就職、再婚、再活用etc.など、人生のあらゆる局面で再起可能な国であってほしいものです。
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涙目のねこ
↑ 目薬をさしました。少々ムっとしています。

罪悪感

2012年05月31日

この分野の人なら知っている古典中の古典、小此木啓吾著(1983)『日本人の阿闍世(あじゃせ)コンプレックス』中公文庫、をただいま通勤時に読んでいます。
阿闍世コンプレックスという言葉、それほど流布していない気がします。教わるのも専らフロイトのエディプスコンプレックスばかり。(ご存じかと思いますが、エディプスコンプレックスとは、母の愛を得ようとして父の存在を消したいという欲求と、その衝動のために父の処罰を恐れる、という無意識の葛藤をいいます。)
阿闍世物語は仏教の経典に出てくる王子様(確か)の話。
あるインドの妃が王である夫の愛を失いたくないばかりに、男の子を授かりたいと願う。「ある山の仙人が3年後に亡くなると息子を授かることができる」というお告げがあったが、妃は待てずに仙人を殺してしまう。すると男子を授かる。妃は複雑な心情だ。何しろ、殺した仙人=我が子、なのだから。長じてこの出生の秘密を知った阿闍世(息子)は、母への恨みに駆られ母への殺意を抱く。ところが恐ろしい病に罹ったとき、一生懸命に看病をしてくれたのが母であった。母が恨み辛みの阿闍世を許し、献身的に看病したことで、阿闍世は母の温情に罪悪感を覚え、母の事情を知り、許すという物語。
つまりエディプスコンプレックスが父殺しだとしたら、阿闍世コンプレックスは母殺しがテーマで、母性社会である日本人の心性はこちらなのだという指摘でした。
ただし、阿闍世物語が出てくる経典は幾つかあるらしく、内容が違うものもあるのだとか。一つには、あるかどで幽閉された王(夫、阿闍世の父)を救うために毎晩自分の体に蜜を塗って会いに行く妃(母)のことを知り、阿闍世が父を殺したいと思ったという説もあります。これはいわば、エディプスコンプレックスと同じですね。
一体どちらなのか気になるところですが、古澤平作(阿闍世コンプレックスの提唱者)という精神科医が日本人の心性を仏典に求めたところに新鮮さがあるのだということです。西洋の論理で東洋人の全てが語れるはずはないからです。
阿闍世物語の真偽の程はともかく、2つの罪悪感についての考えが大変面白いと思いました。
1つめは、エディプスコンプレックスに見出されるように、父の「処罰」への罪悪感。
2つめは、阿闍世コンプレックスに見出されるように、母の「許し、受容」への罪悪感。
簡単にたとえると、子どもが万引きをしたとしましょう。そのとき、警察に捕まったり両親や先生に叱られるのではないかという罪悪感が生まれます。一方、万引きをしたとして、「今回に限り見逃してあげましょう」と母が言ったとする。すると、許されたことに対する罪悪感と甘えが生じるといいます。実は日本社会は、後者の「許しと罪悪感」が日本人の心の底、社会の底に厳然と横たわっているといいます。面白い話しでしょう?つづく…。
セザンヌのしおり
↑ セザンヌ展より

また明日…

2012年05月30日

今日はサイトプログラムのメンテナンスのため、長めのブログ更新はお休みします。
ここのところ日中暖かくても、午後になると外気が急にヒンヤリ感じることがありますね。雲行きが怪しくないかどうか、積乱雲がないかどうか、特に山寄りの方はどうぞ注意をしてください。先日の地元でも隣町では土砂降りだったのに、うちのほうは晴れているという(なのに、空気は高原のように冷たい)、奇妙なお天気がありました。一体どうなっているのやら。
サマーローズ

言葉いろいろ

2012年05月29日

あるコラムに、「むずかしくない言葉を使って、いかに内容豊かに伝えるか」というようなことが書かれていました。
その人のコラムは、いつもとても平明な文章と言葉(漢字もほとんどなく平仮名ばかり)で書かれており、幅広い読者層にまっすぐ訴える力と、ものごとの見方の発見と楽しさに溢れ、読むのを日課としています。なにより勉強になります。
しかし…、頭の片隅で、違和感を覚えないわけでもない…。
いたずらに難しい言葉や専門用語を弄するのは大問題ですが(例えばコンピュータの取説とか法律用語など)、世の中なんでも「らくなほうに、かんたんなほうに」流れていったら一体どうなるのだろう…、という心配がなくもありません。漢字も消え、語彙も減少したら、人の感性や情緒、表現などはどう影響されていくのでしょうか。言葉が絶対というわけではないにしろ、ないからこそ、言葉によって人の心が開拓される面もあると思うのです。この辺り、上手く伝えられないけれど。
卑近な例をあげるならば、昔の難しい、でも歴史の香りを感じさせる地名がどんどん消えていって、ひらがなやカタカナの安易な地名ばかりになるのは、とても寂しい気がするのです。彼(コラムニスト)が言っているのはそういうことじゃないのかもしれないけれど…、どうなのでしょう。
青梅

manga

2012年05月28日

日本がマンガやアニメ大国であることはもはや世界の常識となっています。マンガが日本文化の代表のように扱われるのは少々苦く思うのですが、確かに素晴らしい作品や面白い作品はたくさんあるし技術は高いと思います。
昨夜「COOL JAPAN ! 」という番組を観ていて、なるほど、世界から見てどんなふうにマンガ大国の日本が見えるのか、新しく知ったことが色々ありました。
フランスでは日本のマンガが手に入るが、イギリスやイタリアなど他のヨーロッパではあまり手に入らないので、個人輸入かフランスまで行くのだとか。また、マンガやアニメはあくまでも子どものためのもので、大人が好きだとわかると「オタク」と思われてしまうということも言っていました。外国人でも結構人の目を気にするのですね。
日本には高校の部活動や同好会活動にマンガ部があるのに、諸外国では教育的に認められないだろう、という発言も多数ありました。
しかし…、マンガを読んで日本語を覚えたり日本に親しみを感じて来日し、日本でマンガ生活を楽しんでいる外国人たちが多いことも事実です。どんなところが好きなのかと言えば、少女マンガや歴史マンガ、学園もの、など多数のジャンルがあることや、背景や景色の描写などが細かくてとてもきれいなのだとか。
漫画家にもよりますが、タッチが繊細でリアリティーがあるし、丁寧に描かれていますよね。私は北斎とか広重などの浮世絵なんかを観ると、とても漫画的、アニメ的と感じるのですが、いかがでしょう…。
マンガ雑誌  rose
↑ ひととおり読みます♪

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