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ブログ 心's LOOM

BPD実践ワークブック

2012年06月24日

本屋さんでたまたま手にしたワークブックをここ数日やっていました。
その名も、
クリーガー.R シャーリー.J.P. 著 遊佐安一郎 監訳(2006) 境界性人格障害=BPD 実践ワークブック 星和書店

境界性パーソナリティについてはこちらを読んでいただくとして、BPDの人とどのように付き合っていくか、という具体的対処方法が書かれた内容でした。
感想として、今現在非常に悩んでいる方には、ノートと鉛筆とやる気さえあれば、ためになる箇所が多々あると思います。そうではなくて、ACということを自覚している人にも、役立つところが多々あります。ちょっと翻訳のせいなのか、主語が明確ではなく意味が通じにくいところもあるのが難点です。
ただ、BPと nonBP (ボーダーと日常的に関わる人)の二者関係の、罪のない nonBP のための対処法ということが強調されすぎているように思われました。なにしろBPDを、4タイプ「魔女・女王・世捨て人・捨て子」に分類していて(女性に多いけれど、どうして女性なの?)、あなたの関わっているBPはどのタイプ?」という項目もあるのですから、この本はなに?という感想を抱かずにはいられません。
著者がソーシャルワーカーとジャーナリストによるものなので、心理学本というのではなく、実践本と受けとめておいた方がいいでしょう。
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猫の目のサムネイル画像

Hereafter

2012年06月23日

本日は映画について。
クリント・イーストウッド監督の『ヒア アフター』(2010, 米)を観ました。
これは映画の冒頭にインドネシアの津波のシーンが描かれているために、日本では1ヶ月弱で公開中止になった作品です。hereafter とは、来世という意味です。
物語は、フランス人の女性とイギリス人の男の子(10才くらい)とアメリカ人男性のそれぞれの物語がいつしか国境を越えて接点を持ち始め、それぞれの人生に変化の兆しが見え始めるという、とてもしっとりとしたお話でした。
女性は津波の被害者で、そのとき「死後の世界」のようなものを垣間見たことから自分の生活がしっくりいかなくなる。男の子はドラッグとアルコール依存のシングルマザーの元で育てられ、ある日突然双子の兄を事故で亡くしたことで深く傷つき、心のどこかで兄を探し求めている。アメリカ人男性は、亡くなった人と交信できるという特殊な才能のために社会の中で傷つき、ディケンズの朗読ラジオ番組を毎晩楽しみに生きる孤独な青年。
私は俗的なイメージの死後の世界も霊能者の類いも信じていないのですが、もしもこのような能力のある人だったら、さぞかし社会に利用され、身内にも利用され、人間関係にも傷つき、きっとこの人のように孤独と寂しさのなかに生きることになるんだろうな…と深く共感することが出来ました。クリント・イーストウッド監督の手腕はさすがだなと…。
死後の世界があるか否かの話ではなく、人が人に出会って心の傷を癒やし、人生の一歩を踏み出す映画なのだと思いました。
一枚の葉

touching

2012年06月22日

さて、昨夜はリフレクソロジーをしてもらいました。
どうだったか?
「えっ、もう終わり?」というくらい心地よい時間はあっという間に過ぎてしまいました。憶えているのは、ラベンダー配合のオーガニックパウダーをふりかけてもらい、親指から順に優しく揉まれていったこと。「もっともっと手荒く御願いします」と思わず言いかけたけれど、指圧のようにグリグリグイグイ押すのではなく、あくまでもソフトタッチ。痛みではなく、刺激を与えれば十分なのだそうです。
何でも冷たくて(血行不良)、首、肩、頸椎、甲状腺、横隔膜、気管支のあたりがコリコリしているのだとか。横隔膜は痛みも感じました。「血行不良」は、学童期から最も自覚していること。いろいろ工夫もしているけれど、定期的に血の滴るステーキでも食べたほうがいいのか…。
開始時には既往歴や普段の生活スタイルなどを聴かれ、終わりは深呼吸で締めます。「もの足りないよ〜」と思いきや、立ってみると違いがわかる。足が軽く、とても安定しているのです。テーピングしてもらったためもあり、遠路軽々と帰ることができました。
足は毎日毎日「私」を支えてくれる大切なもの。自分でも時々、労ってあげたいものです。
一人暮らしの方は、自分で香りのいいオイルなどを付けて、「毎日ありがとう」と気持ちを込めて軽く揉む。
家族で暮らしている方は、お互いにやってあげる。どちらか一方というのはNG。
リフレクソロジーのサムネイル画像

心と体(足)

2012年06月21日

ビルの間から見えるわずかな空間にも、昨日はこんなきれいなピンク色がありました。朝と夕方の空ほどきれいなものはないな…といつも思います。ただ朝は「さあ…」という気持ちになるのに対し、夕方は少々センチメンタルな気分になります。不思議なものです。
バニラスカイ
今夜はこれからここでリフレクソロジーをしてもらいます。リフレクソロジー(反射療法?)ってご存じですか?何でも「足」は全身の反射部位らしく、そこをほぐす(?)ことで体の症状の改善をはかるのだとか。中国の足つぼとも足マッサージとも異なるようです。
今夜施術してくれるのは、一緒に臨床心理学を学んだ元クラスメイトです。彼女は「心」に向きあうより、「体」に向きあう方が性に合うかも…と現在リフレクソロジーを学んでおり、ケーススタディ実習の一環として無料でやってくれることになりました。彼女のような人格のバランスのとれた人ほどもっと臨床の世界にコミットしてほしいのですが、新しいことにチャレンジする精神は素晴らしいなと思います。
心と体は切っても切り離せないもの。いや、心身という二分法で考えること自体、今やナンセンスなのかもしれません。
これから数回に渡る施術をとても楽しみにしています。昨夜は足をごしごし洗ってきました。あとでフットシートも利用します。最近はいいグッズがあって良かった。なんせ足は蒸れますもんね。ではまた経過をご報告しますね。

書店巡り

2012年06月20日

昨夜の嵐は各地に大きな爪痕を残していったようですね。
皆さんはいかがでしたか?
駅に降りたら大雨、大風が吹きつけており、駅の軒先に暮らすツバメたちもジッ…と巣の中にいるようでした。親鳥が1羽だけ、巣の横で見張っていましたっけ。今朝出かけてくるときはどの巣も無事だったので、案外丈夫に出来ているんだなーと感心しました。樹木の枝は簡単に折れてしまうのに。
戸外では比較的一晩中サイレンが鳴っていたので、ひやひやして眠りが浅かった…。注意を喚起するためのものかなと思っていたら、市中で被害があったことを今朝知りました。神保町付近でも街路樹が倒れたらしく、早速直していました。
さて、本日はお昼に時間が出来たので、神保町すずらん通りにある『東京堂書店』(東京堂書店)へ行ってきました。老舗の本屋さんで今春リニューアルしたばかり。3階までの各フロアにはカフェがあって利用できます。何でもロンドンの書店を参考にしたのだとか。
うーーん、そう思えばそうであるし…、といった具合。壁にはモノクロの写真が飾られていたり、おしゃれで落ち着きますが、心理関連の本はあまりありませんでした。間違って既に持っている本を買ってしまったし。今度はお茶でもしに行ってみるとするか…。
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レモンドリンク
↑ この飲み物はよほどの肺活量がないと(涙)。作った人は飲んだのかな?

台風の日

2012年06月19日

蒸し暑いです。
台風が気になって気象庁のホームページを見たら、なんとも見にくく何に注意をしたらいいかよくわかりませんでした。地震速報は結構使えるんですけれどね。こういうときはやはり一目瞭然のTVにはかないません。
ニュースサイトの予報を見たら、今夜から関東地方は大雨・暴風域に入るとのこと、また電車が動かなくなると大変なので本日はノロノロせずに早めに帰ることにします。あ-、イヤだな。大雨も暴風も、家が古いのでミシミシ…鳴るのです。どうぞ吹き飛ばされませんように…。
どうぞ皆さまも、情報に留意しつつ、お気を付けくださいね。
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研数学館
↑ 神田の古い建造物第二弾、研数学館(元専門学校)です。確か1929年くらいのもの。端の部分は「和民」になっており、メインは日大の校舎だと思います。

日本的罪悪感

2012年06月18日

本格的に蒸し暑くなってきましたね。
今日はゆるゆるした日を過ごしており、再び、北山修著(2010)『最後の授業 心をみる人たちへ』の「第二章「私」の精神分析 罪悪感をめぐって」を読んでいました。というのはここに、日本国誕生の神話「イザナギ(男の神)・イザナミ(女の神)神話」と「鶴女房」の分析が載っているからです。神話や昔話を探るのは、日本人の心を知るうえでとても大切だと思います。
イザナミも鶴女房も、「出産で変わり果てた姿の女と、それを見て恐れおののき、逃げるか立ち尽くすしかできずに、女を傷つけてしまったことで罪悪感に苦しむ男の話」だということです。
姿を見てはならぬ、と言ったイザナミも鶴女房も、男が覗いて見たら、イザナミは腐乱状態、つうは血まみれの鶴の状態だった。イザナミは出産が元で亡くなっており、鶴の機織りの場面は人間の出産シーンの比喩だそうです。
見たくないもの(危険な出産だけでなく、生きていく上で沢山ありますよね。例えば両親の不和なども)を見てしまい、罪悪感に苦しむときに人はどうやって罪悪感を解消するのか?
1. タブー視する…長らく女性の生理や出産は不浄なものとして禁忌されていました。
2. 動物化する…女を鶴に置き換える。異類婚姻説話にする。
3. 物語に付け加えをする…「あれは昔助けた鶴だったのだ…」と。
4. 美化する…醜女となってイザナギを追いかけるイザナミは別として、鶴のようにはかなく美しく消え去る存在にする。
異類婚姻説話はキリスト教文化圏にもたくさんあり、例えば、この間取り上げた「ローエングリン」(ローエングリンは神の使い)とか、「美女と野獣」、「かえるの王様」などがあります。
しかし、日本の異類婚姻説話では、動物は潔く逃げてしまう。一方西洋では、動物は逃げず、愛の力でめでたく人に変わるんだそうです。言われてみれば、神の使いローエングリンは姿を消しますが、残された白鳥は王子(姫の弟)に戻るのです。
日本の物語はハッピーエンドでは終わらない。潔くはかなく消える美学がそこに見いだされる。
けれども誰かが自虐的に消えてしまうと、残された者に罪悪感が残り続けることになる。
ではどうしたらいいのか。
逃げず(これは比喩)にとどまること、だそうな。女(あるいは母)は逃げず、過分に愛情を与えたりもせず、男(あるいは子)も罪悪感から逃げずに詫びること。鶴女房の場合、つう(鶴)は逃げず、自己犠牲をやめ(反物を多くは作らず)、居続けることが大事なようです。
ちょっと難しい話ですが、著者の言わんとしていることは伝わってきますね。
きせつのはな

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