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ブログ 心's LOOM

家族のホメオスタシス(恒常性)

2012年06月29日

昨夜は比較的早めに帰宅できたので、「ストーン(Stone)」(2010,米)という、ロバート・デ・ニーロ主演のサスペンス映画を観ました。サスペンスというほどのものではなく、心理劇というべきかな。

彼の役どころは、刑期を終えようとしている服役者を仮釈放するか否かの判定資料を作る、仮釈放管理官です。一人の服役囚とその妻と管理官との駆け引きが描かれていくわけですが、映画の中身ではなく、観ていて興味をもったのが、伏線として描かれている管理官の家庭でした。

定年間近のデ・ニーロ演じる管理官と妻の二人家族。(この二人には娘が一人いて娘は離婚の危機にある。)二人は若いときから会話がない。妻が夫に飲み物を差し出しても夫は無言。夫はテレビのゴルフ番組に夢中。妻からしばしば出る発言は、「あなたいつも上の空ね…」と。それも静かに…。

目立った争いはほとんどない。倦怠感と空虚感に満ちて、時計の針のように規則正しく動いている家庭。夫婦で教会にも通っている。夫は妻の苦しみが全くわからず、40数年の結婚生活に疑問を感じていない。ただし、その家庭もある一組のカップルに出会うまで…。

人は一般的に変化を恐れるもの。変化の先は予測が付かない。変わるくらいなら、動きのない乾いた生活の方がずっといいのでしょう。映画では最終的に家庭は壊れますが、これは悲劇ではなく再出発のストーリーなのかもしれないなと思いました。

街角




東京エキナカ

2012年06月28日

本日は短めに。
東京駅が日に日に新しくなりつつあるので、昨日は仕事の後東京駅のエキナカをブラブラ探索しました。

このところ疲れていたので甘いものでも食べたいなと、「あんみつは・みはし」へ行きました。「ここは純和風メイド喫茶だね」と一緒に行った人に話していたら、「年齢が高めのね」と付け加えられました。だからこそ落ち着きます。

東京駅は最終的にどのような変貌を遂げるのでしょうか。

モダンでオシャレなお店とは対照的に一つ気になるのは、天井の上から無数に張り出された透明のチューブです。知っていますか?チューブは地面に垂れ下がっており、その先にはバケツがある。バケツにはビニールがかぶせてあります。「ごみ入れではありません」と書かれたバケツもあり。エアコンの水滴を集めるためのものなのか、地下水?雨水?何かしらの漏水を集めているのでしょうか。

バケツが無数にあるので、東京駅を御利用の方は今度見てください。あまりに原始的です。

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↓ なぜ、日本人は食べものの写真を撮ってでかでかと載せるのか?と言われたことがあります。確かに…。では、控えめに、季節の風物詩として。

あんみつ



価値観

2012年06月27日

四方山話。
昨夜久しぶりに「cool Japan ! 」という録画してあった番組(外国人から見た日本のクールなところを発見する番組)を観たところ、なんとテーマは「すし」。

初めて知ったのが、そこら辺の回転寿司で食べる「数の子」は疑似数の子だった、ということです。もしやお正月に食べるものも疑似数の子?数の子は数の子なのですが…。

数の子は鰊の卵。鰊はもはや日本近海でほとんどとれないので数の子は高級品。では、どうしているか。デンマークでは鰊が沢山とれ、人々は数の子を食べない!食べる習慣がないから。その数の子を日本が多量に仕入れ、どろどろの粒々ペースト状にのばしてから、数の子雛形に入れて成形して出荷しているとのことでした。

何が言いたいのかというと、魚の卵を珍重する国民と、下手物扱いする国民がいるという、この価値観の違いです。西洋人もキャビアは食べるのに、そういえばギリシャ人はカラスミも食べるのに、一般的には魚の内臓は身に比べて一番下にランクされるのだとか。中国人の家庭では「魚の卵を食べると馬鹿になる」と子どもに教えているのだそう。へぇ…。私は子どもの頃から卵が入っていそうなカレイとかシシャモとかそんなのばかり狙っていましたっけ。

価値観なんてわからないものですね。
食に対する価値観はいろいろあるからこそ面白いのでしょう。すしは外国人にも大人気のようですが、卵の味がわからない方が日本人の口に入る量が減らないのでこのままでよし、としましょう。マグロは惜しいことです。世界的な味になったために、既に貴重品ですものね。

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サッカー欧州選手権グッズ
↑ サッカー欧州選手権グッズ(made in Poland)




自己愛について(2)

2012年06月26日

寒くなったり暑くなったりと忙しい気候が続きますね。

さて、最近よく考えているのが「自己愛」について。

最初は猫を観ていてはたと感じました。猫に自己(セルフ)なんかないのかもしれないけれど、なんというか「自分で自分を愛する」能力のようなものが、ヒシヒシと伝わってくるんです。自分にとても満足しているというか…、あれは何なんでしょう。

それと共通するのが、赤ちゃん。赤ちゃんと猫を一緒にしてはいけないのかもしれないけれど、赤ちゃんのあの自己肯定感、「世界の中心は自分である」のような振る舞いには圧倒されるのと同時に、とても幸せな気分になります。

フロイトは赤ちゃんのこのような状態を「赤ん坊陛下」と言ったそうですが(下記の文献参照)、赤ちゃんや幼児のこの全能感は健康な証、健全な自己愛なのです。
この自己愛が傷ついたり、また肥大化すると、大きくなってから対人関係で問題が生じたり生きづらさを感じるようになります。自己の主観にとらわれて、幻想のなかで生きるようになります。

上記文献で興味深かったのが、ナルシスティックエクステンションといって、自己愛は自分を超えて延長するんだそうです。どういうことかというと、子どもや恋人、配偶者などにも自己愛が波及する。実際以上に相手がよく見えたり、自分の願望を投影したりするのです。
1986年に「愛少女ポリアンナ」というアニメ化された児童文学がありましたが、ああいう子の心理を「ポリアンナイズム」というのだそうな。つまり、「周りの人は皆善意あふれるいい人たちばかりで、自分は愛されている」という思い込みが強いことを指します。いじめられる自分、可愛がられない自分は、常に意識の下に排除されることになるとのことです。

よく言えばかなりの前向き精神ですが、現実をみることができない、健康な自己愛の傷ついた少女ということになるのでしょうね(つづく…)。

庭の千草






メタモルフォーゼ

2012年06月25日

オフの今日は台風と大雨の後始末でした。えっ、今頃?とは言いませんように…。
散り散りになった葉っぱとか枝などをほうきで掃き、折れた枝などをバキバキ鋏で切っていたら、なんとこんなものが。

擬態化

わかりますか?危うく切りそうになったのですが、ニョロンニョロンと動いてくれたのでわかりました。
しかし、うまく、擬態化していますね。

さて、昨日ご紹介した文献ですか、「あれは一体薦めているの?そうでもないの?」というご質問がありました。答えは「どちらでもありません。というよりも、どちらもyes」かな。つまり答えはグレーゾーンにあって、こういう本も世の中にはあるのね、ということでご紹介しました。

ちょっといい加減な説明なのでもう少し加えると、あるタイプの人たちにはとても役立つと思います。
例えば、BPのお子さんがいて過干渉気味に関わってしまう親御さんたちには、境界線の引き方が明確に述べられているので参考になります。「愛情をもって距離をとる練習」など。

私が手放しにいい本だと言えないのは、「BPは脳の病気」、「洗脳」、「日常の容疑者を逮捕する」etc.といった、その物騒な言葉遣いが引っかかるからです。これでは「悪いのは誰それ」という視点から離れられず、自分の変化を生じさせにくいと思うからでした。
またもっといい文献があったら逐次ご紹介しますね。








BPD実践ワークブック

2012年06月24日

本屋さんでたまたま手にしたワークブックをここ数日やっていました。
その名も、
クリーガー.R シャーリー.J.P. 著 遊佐安一郎 監訳(2006) 境界性人格障害=BPD 実践ワークブック 星和書店


境界性パーソナリティについてはこちらを読んでいただくとして、BPDの人とどのように付き合っていくか、という具体的対処方法が書かれた内容でした。

感想として、今現在非常に悩んでいる方には、ノートと鉛筆とやる気さえあれば、ためになる箇所が多々あると思います。そうではなくて、ACということを自覚している人にも、役立つところが多々あります。ちょっと翻訳のせいなのか、主語が明確ではなく意味が通じにくいところもあるのが難点です。

ただ、BPと nonBP (ボーダーと日常的に関わる人)の二者関係の、罪のない nonBP のための対処法ということが強調されすぎているように思われました。なにしろBPDを、4タイプ「魔女・女王・世捨て人・捨て子」に分類していて(女性に多いけれど、どうして女性なの?)、あなたの関わっているBPはどのタイプ?」という項目もあるのですから、この本はなに?という感想を抱かずにはいられません。

著者がソーシャルワーカーとジャーナリストによるものなので、心理学本というのではなく、実践本と受けとめておいた方がいいでしょう。


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猫の目のサムネイル画像



Hereafter

2012年06月23日

本日は映画について。

クリント・イーストウッド監督の『ヒア アフター』(2010, 米)を観ました。
これは映画の冒頭にインドネシアの津波のシーンが描かれているために、日本では1ヶ月弱で公開中止になった作品です。hereafter とは、来世という意味です。

物語は、フランス人の女性とイギリス人の男の子(10才くらい)とアメリカ人男性のそれぞれの物語がいつしか国境を越えて接点を持ち始め、それぞれの人生に変化の兆しが見え始めるという、とてもしっとりとしたお話でした。

女性は津波の被害者で、そのとき「死後の世界」のようなものを垣間見たことから自分の生活がしっくりいかなくなる。男の子はドラッグとアルコール依存のシングルマザーの元で育てられ、ある日突然双子の兄を事故で亡くしたことで深く傷つき、心のどこかで兄を探し求めている。アメリカ人男性は、亡くなった人と交信できるという特殊な才能のために社会の中で傷つき、ディケンズの朗読ラジオ番組を毎晩楽しみに生きる孤独な青年。

私は俗的なイメージの死後の世界も霊能者の類いも信じていないのですが、もしもこのような能力のある人だったら、さぞかし社会に利用され、身内にも利用され、人間関係にも傷つき、きっとこの人のように孤独と寂しさのなかに生きることになるんだろうな…と深く共感することが出来ました。クリント・イーストウッド監督の手腕はさすがだなと…。

死後の世界があるか否かの話ではなく、人が人に出会って心の傷を癒やし、人生の一歩を踏み出す映画なのだと思いました。

一枚の葉






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