1. 心理 東京
  2. ブログ 心's LOOM

ブログ 心's LOOM

Mother and Child

2012年07月02日

今夜もまた映画の話。

昨夜は「愛する人(原題 Mother and Child)」(2009,米)という映画を観ました。

原題通り、ある一組の「母と子」の関係が主軸になっています。かつて14歳で妊娠・出産し、大人の手によって勝手に赤ん坊を養子に出された「50代の母」と、養親のもとでおそらく苦労して育ったであろう「37歳の娘」の話です。

「母」は、過去に捨てた娘のことが心の棘となり、人に対して心を開くことができず攻撃的で冷たい部分のある人。
「娘」は、「どこかの誰かが14歳の時に産んで手放した」ことだけは知っており、誰にも頼らずに生きることを信念としてきた、とても孤独で陰のある人。娘は複数の男性を挑発して関係をもつけれど、男性との愛情ある関係などは信じていない。そしてなぜかいつも、キャリアを積みながら生まれ育った故郷の街へ戻ってくる。

その娘が誰の子かわからぬ妊娠をし、出産を決意することから、母に会いたいと思うようになる。一方、母も娘を捜し始める。二人の思いは繋がるのか…。(ここは観てのお楽しみ。)
映画の背景には、若くしての望まぬ妊娠、この親子以外の母と娘の関係、アメリカの養子制度の問題なども絡んできます。

母と子の関係には、そのベースには母と父(男性)との関係がありますが、男性像があまり描かれていないのが物足りなかった。(この映画のなかの)男性たち、もう少し「子」という存在について考えてほしいものです。

今日のお月さま








半夏生

2012年07月01日

7月1日は半夏生(はんげしょう)の日だと、ニュースで伝えていました。そして、間もなく七夕様。地元の駅には近くの幼稚園で作られた七夕飾りが飾られていました。むしむしするこの時期も、このお飾りを見ると涼しさを感じます。幼い子どもたちのヨタヨタの字も可愛らしい。願いのなかには、大人(親)のコピーのような気がするのもありますが…。

七夕というと思い出すのが、高齢者施設にいたころのこと。毎年大きな笹竹を山から切ってきてもらい、ホールに置いて飾り付けをしていました。入所者の人に短冊に願いごとを書いてもらうのですが、「願いごとなんかあるわけねえだろ…」と一笑に付す人もいて、そうだよなーとしみじみ思ったものです。一生施設のなかで制約の多い生活を送るとしたら、願いごとなんて虚しいだけの紙切れなのでしょう。

なにやら先行き不安定な情勢のなか、飾られた短冊の願いが少しでも天に届くといいなと思います。

*******

神保町・街角より
↑ 神保町の街角より。



一粒の言葉

2012年06月30日

今日は半年の節目の日。
カウンセリングルームも多少バタバタしております。また明日のエネルギーをチャージしなくてはいけませんので、今日は短めに。

アラン(仏,哲学者)の言葉
「人は幸せだから笑うのではない。笑うから幸福なのだ。」

私は泣くことも鬱々と落ち込むこともどっぷりとネガティヴな感情に浸ることも人としてとても大事なことだと思うのですが、上記の言葉も一つの真実のような気がします。無理にポジティブになる必要はない。だけど時には、ほほえんでみましょう。

上弦の月
↑ 神保町交差点。上弦を過ぎ、29日の月。



家族のホメオスタシス(恒常性)

2012年06月29日

昨夜は比較的早めに帰宅できたので、「ストーン(Stone)」(2010,米)という、ロバート・デ・ニーロ主演のサスペンス映画を観ました。サスペンスというほどのものではなく、心理劇というべきかな。

彼の役どころは、刑期を終えようとしている服役者を仮釈放するか否かの判定資料を作る、仮釈放管理官です。一人の服役囚とその妻と管理官との駆け引きが描かれていくわけですが、映画の中身ではなく、観ていて興味をもったのが、伏線として描かれている管理官の家庭でした。

定年間近のデ・ニーロ演じる管理官と妻の二人家族。(この二人には娘が一人いて娘は離婚の危機にある。)二人は若いときから会話がない。妻が夫に飲み物を差し出しても夫は無言。夫はテレビのゴルフ番組に夢中。妻からしばしば出る発言は、「あなたいつも上の空ね…」と。それも静かに…。

目立った争いはほとんどない。倦怠感と空虚感に満ちて、時計の針のように規則正しく動いている家庭。夫婦で教会にも通っている。夫は妻の苦しみが全くわからず、40数年の結婚生活に疑問を感じていない。ただし、その家庭もある一組のカップルに出会うまで…。

人は一般的に変化を恐れるもの。変化の先は予測が付かない。変わるくらいなら、動きのない乾いた生活の方がずっといいのでしょう。映画では最終的に家庭は壊れますが、これは悲劇ではなく再出発のストーリーなのかもしれないなと思いました。

街角




東京エキナカ

2012年06月28日

本日は短めに。
東京駅が日に日に新しくなりつつあるので、昨日は仕事の後東京駅のエキナカをブラブラ探索しました。

このところ疲れていたので甘いものでも食べたいなと、「あんみつは・みはし」へ行きました。「ここは純和風メイド喫茶だね」と一緒に行った人に話していたら、「年齢が高めのね」と付け加えられました。だからこそ落ち着きます。

東京駅は最終的にどのような変貌を遂げるのでしょうか。

モダンでオシャレなお店とは対照的に一つ気になるのは、天井の上から無数に張り出された透明のチューブです。知っていますか?チューブは地面に垂れ下がっており、その先にはバケツがある。バケツにはビニールがかぶせてあります。「ごみ入れではありません」と書かれたバケツもあり。エアコンの水滴を集めるためのものなのか、地下水?雨水?何かしらの漏水を集めているのでしょうか。

バケツが無数にあるので、東京駅を御利用の方は今度見てください。あまりに原始的です。

*******

↓ なぜ、日本人は食べものの写真を撮ってでかでかと載せるのか?と言われたことがあります。確かに…。では、控えめに、季節の風物詩として。

あんみつ



価値観

2012年06月27日

四方山話。
昨夜久しぶりに「cool Japan ! 」という録画してあった番組(外国人から見た日本のクールなところを発見する番組)を観たところ、なんとテーマは「すし」。

初めて知ったのが、そこら辺の回転寿司で食べる「数の子」は疑似数の子だった、ということです。もしやお正月に食べるものも疑似数の子?数の子は数の子なのですが…。

数の子は鰊の卵。鰊はもはや日本近海でほとんどとれないので数の子は高級品。では、どうしているか。デンマークでは鰊が沢山とれ、人々は数の子を食べない!食べる習慣がないから。その数の子を日本が多量に仕入れ、どろどろの粒々ペースト状にのばしてから、数の子雛形に入れて成形して出荷しているとのことでした。

何が言いたいのかというと、魚の卵を珍重する国民と、下手物扱いする国民がいるという、この価値観の違いです。西洋人もキャビアは食べるのに、そういえばギリシャ人はカラスミも食べるのに、一般的には魚の内臓は身に比べて一番下にランクされるのだとか。中国人の家庭では「魚の卵を食べると馬鹿になる」と子どもに教えているのだそう。へぇ…。私は子どもの頃から卵が入っていそうなカレイとかシシャモとかそんなのばかり狙っていましたっけ。

価値観なんてわからないものですね。
食に対する価値観はいろいろあるからこそ面白いのでしょう。すしは外国人にも大人気のようですが、卵の味がわからない方が日本人の口に入る量が減らないのでこのままでよし、としましょう。マグロは惜しいことです。世界的な味になったために、既に貴重品ですものね。

*******

サッカー欧州選手権グッズ
↑ サッカー欧州選手権グッズ(made in Poland)




自己愛について(2)

2012年06月26日

寒くなったり暑くなったりと忙しい気候が続きますね。

さて、最近よく考えているのが「自己愛」について。

最初は猫を観ていてはたと感じました。猫に自己(セルフ)なんかないのかもしれないけれど、なんというか「自分で自分を愛する」能力のようなものが、ヒシヒシと伝わってくるんです。自分にとても満足しているというか…、あれは何なんでしょう。

それと共通するのが、赤ちゃん。赤ちゃんと猫を一緒にしてはいけないのかもしれないけれど、赤ちゃんのあの自己肯定感、「世界の中心は自分である」のような振る舞いには圧倒されるのと同時に、とても幸せな気分になります。

フロイトは赤ちゃんのこのような状態を「赤ん坊陛下」と言ったそうですが(下記の文献参照)、赤ちゃんや幼児のこの全能感は健康な証、健全な自己愛なのです。
この自己愛が傷ついたり、また肥大化すると、大きくなってから対人関係で問題が生じたり生きづらさを感じるようになります。自己の主観にとらわれて、幻想のなかで生きるようになります。

上記文献で興味深かったのが、ナルシスティックエクステンションといって、自己愛は自分を超えて延長するんだそうです。どういうことかというと、子どもや恋人、配偶者などにも自己愛が波及する。実際以上に相手がよく見えたり、自分の願望を投影したりするのです。
1986年に「愛少女ポリアンナ」というアニメ化された児童文学がありましたが、ああいう子の心理を「ポリアンナイズム」というのだそうな。つまり、「周りの人は皆善意あふれるいい人たちばかりで、自分は愛されている」という思い込みが強いことを指します。いじめられる自分、可愛がられない自分は、常に意識の下に排除されることになるとのことです。

よく言えばかなりの前向き精神ですが、現実をみることができない、健康な自己愛の傷ついた少女ということになるのでしょうね(つづく…)。

庭の千草






このページの先頭へ