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ブログ 心's LOOM

星に願いを

2012年07月08日

とあるワークブックを読んでいたら、
『信念があなたの現実を創り上げる』
という文言が目にとまりました。
なんでもクイズ番組などで最初から「私が勝つ!」と思っている人こそが勝つのだ、という意見がありました。これに対しては、そんな単純なことじゃないだろうと思いますが(強気で勝つと思いたい人もいるでしょうし…)、次のことは確かに言えると思います。
『他人というものは、あなたの自分に対する見方に応じて、あなたを扱う』
自分で自分を「私はこの程度…」「私は価値がない」などと思っていれば、それと同じ程度に人は扱うようにできているようです。では、どうしたらいいか。
「私は私のままで十分」「私には価値がある」などと思えない場合は、そのように感じている「ふり」をするといいとのことです。この「ふり」「まね」というのは、英語では mimicry といって臨床心理学では結構使われる重要なタームです。「私は今のままで十分大事」という感覚をもっている「ふり」をしていると、おのずと自分を大切にする言動になり、いつしか自己肯定感につながっていきます。
ところで、この短冊は昨夜駅で撮ったもの。プリキュアになりたいと夢見る子どもはきっと、半分はプリキュアになっているような感覚のなかで生きているのでしょうね。左から書いているのも、なんとも乙で可愛らしい。
短冊

個人情報

2012年07月07日

一つ疑問。
最近ちらほら見かけることなのですが、メールをやりとりしたことのある方で、フェイスブックのご本人の画像などが勝手にこちらに送られてくるのですが、それは皆さんご存じなのでしょうか?
私はフェイスブックもツイッターもとんとわからないので、頓珍漢なことを言っているかもしれないのですが、画像も大切な個人情報ですよね。送信元のフェイスブックは、ちゃんと了承をとっているのでしょうか。
人は段々麻痺してきてしまいますが、個人情報の露出には十分気を付けた方がいいと思います。それは勝手に露出されてしまうことも含めて、です。
グーグルのパーソナライズなどの機能も困りものです。パーソナライズを一度は解除したのに、全て解除されるわけではないみたい…。何を検索しても同じ広告が出てくるので、生活志向、傾向、好みなどが勝手にロボットに記録されているのかと思うと、むむむ…と複雑な気分になりますね。
夜の白山通り
↑ 夜の白山通り。水道橋から。

黄昏時

2012年07月06日

ここ数日の間にめっきり湿度が高くなりました。
なんでも冷たいパン、冷たいお茶漬け、氷を入れて作るカップヌードル、レトルトカレーetc.が出回っているというニュースが流れていました。
お腹を壊さないようにさえすれば、なかなか美味しそうです。冷たいお味噌汁というのも知っていますか?生のキュウリなどを入れて冷製味噌汁というのも私は大好きです。えっーキュウリ?味噌汁に?と思われる方もいると思いますが、自分のなかの常識を飛び越えると世界が広がって面白いですよね。キュウリの炒め物とか、スイカの漬け物とかも…。
さて、ときどき(いや、毎号?)、ビックコミックオリジナルの弘兼憲史作「黄昏流星群」というマンガを比較的好きで読んでいます。大人の恋愛を描いていて社会勉強にもなるし面白いのです。
それが今度ドラマ化され放映されることに。それであら筋を読んだところ、なんだ、つまらなそう、とがっかりしました。
まずもって原作は、50代ぐらいの独身の女性ピアニストの話。優秀な音大を出て、海外留学もし、コンクールで賞も取って将来を有望視されていた、華やかな過去をもつピアニスト。でもクラシックのピアニストとして成功するのはほんの一握りの人だけ。彼女のステージは今やホテルのバーやパーティーの席。それもプライドが大変邪魔をして、人気のあるジャズやポピュラー音楽を演奏できず、仕事の機会さえ失いかねない瀬戸際にいる。やや自嘲気味に生きている彼女が、苦い思い出のある友人に出会ったりしながら、少しずつ自分のプライドを手放し、幸せになっていく話。
それがドラマでは、主人公は日本を代表するピアニストで、全然「黄昏組」じゃない。これでは話の軸が全く違うのです。プライドが高かったり、反対に自信がなかったり、過去に苦い思いを味わってきた人などが、恋愛を通して変容していく姿が、黄昏流星群の醍醐味なのに…。やはり原作に叶うものなし、なんでしょうかね。ご興味の湧いた方はドラマをご覧くださいね。←何でも6月下旬に終わっていました。
白山通り
↑ 夕方の白山通り。カウンセリングルームはこの右奥にあります。

星一つ

2012年07月05日

昨夜はとても久しぶりに真面目にドキュメンタリーを観ました。
NHKスペシャル「メガクエイク 巨大地震」シリーズⅡの第3回、6月に放送されたものです。
第Ⅰシリーズ4回が、2010年の1月から3月までの間に放映されていました。言わずもがな東日本大震災の前で、テーマは「次の巨大地震をつかめ」、「TSUNAMI 襲来の悪夢」etc.です。ということは、いつどこで起きるかはつかめなかった、ということですよね。ですが、近いうちに起きてもおかしくはないと予測はできていた、ということでもあります。
昨夜のテーマは、「”大変動期” 最悪のシナリオに備えろ」。観ると恐くなってくるのだけれど、これは不安を煽っているのではなく、「3.11を忘れるな」という警告なのだと思いました。観られた方もいると思いますが、わかったことを箇条書きにしてみると…。
・巨大地震の後には火山の噴火が数年-10年以内にあること。
・東北沖の巨大地震は、かつて平安時代の800年代にあったこと。その9年後に関東、そのまた9年後に近畿へと南下して巨大地震が続いて起きていること。
・地震発生には大きく分けて、プレート型と活断層型があること。活断層は日本中に点在すること。
地震予知の方法は、海の中に地殻変動を計測する装置を設置するやり方と、大気圏のなかの電離層という層の異常によっても直前予知ができるのだとか。どちらの方法も数日前ぐらいにわかるようです。
私たち、特に日本人は、「地殻」という活動体、生命体の上に住んでいる、ということを忘れてはいけません。いろいろな意味で人生設計を再考しないといけないな…と思いました。
luna
↑ 画像不足により、幾日か前の月。

リズム

2012年07月04日

朝、駅までの道のりを歩いていると、T字路で時々出会う若い女の子がいます。こちらが真っ直ぐ進んでいるところへ、その女の子が合流してくる形になります。
合流してくるや否や、私は追い抜かされる。足がとても速く、颯爽としている。どんなにこちらが全速力を注いで歩いても、すぐに20-30mは引き離される。鞄が重いせいにしてみたり、若い頃より10kg以上太ったせいにしてみたり、靴のせいにもする。同じ電車に乗るのに、こうも違う。涙。
別に競争しているわけではありません。
彼女を水先案内人にしているのは、「記憶力を維持するには、はや歩きが有効」という実験を見たからでした。特段の疾患がない限り、60-70代の方でも非常に有効な方法だそうです。テンポの速いウォーキングは前頭葉を活性化させ、記憶力を保持するそうで、規則的に続けることが大事なのだとか。
歩く速度は健康の一つのバロメーターとのこと。最近どうも遅くなったな…と思ったら、心掛けてみてはいかがでしょう。人と比較してではなく…、ね。
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神田のウィンドウより
↑ 画材屋のウィンドウより。

電子化の時代

2012年07月03日

本日は雨。
お昼頃、九州地方は大変なことになっているなと思っていたら、カウンセリング中に東京湾を震源とする地震がありました。ここ千代田区は地盤が緩いのでしょうか、少し長くて恐かった〜。
時々ふと思うのが、広く話題にされていませんが、福島の破壊した原発の現状はどうなっているのだろう、ということ。「喉元過ぎれば…」が一番恐いと思うのに、現状を伝える報道をほとんど聞きません…。
さて今日は、楽天が「電子書籍端末」の発売を発表したというニュースが流れていました。アマゾンも次いで発売するのだとか。さあ、これからの世の中はどうなっていくのでしょうね。
毎日重い本を鞄に入れて持ち歩くのは結構辛い。書籍端末があればさぞや楽であろう。でもいろいろ書き込む癖があるのでそれが出来なくなる。しかも充電の手間暇がかかる。既に携帯、カメラ、ipod と充電の毎日。めんどうくさい。目もおかしくなりそう。
便利な社会=人に優しい社会、というわけでもないので、とりあえず誰か持っている人の様子を教えてもらうことにします。ところで、神保町にはこんな素敵な看板もあります。どうぞ本の街が廃れませんように…。
神保町の看板

Mother and Child

2012年07月02日

今夜もまた映画の話。
昨夜は「愛する人(原題 Mother and Child)」(2009,米)という映画を観ました。
原題通り、ある一組の「母と子」の関係が主軸になっています。かつて14歳で妊娠・出産し、大人の手によって勝手に赤ん坊を養子に出された「50代の母」と、養親のもとでおそらく苦労して育ったであろう「37歳の娘」の話です。
「母」は、過去に捨てた娘のことが心の棘となり、人に対して心を開くことができず攻撃的で冷たい部分のある人。
「娘」は、「どこかの誰かが14歳の時に産んで手放した」ことだけは知っており、誰にも頼らずに生きることを信念としてきた、とても孤独で陰のある人。娘は複数の男性を挑発して関係をもつけれど、男性との愛情ある関係などは信じていない。そしてなぜかいつも、キャリアを積みながら生まれ育った故郷の街へ戻ってくる。
その娘が誰の子かわからぬ妊娠をし、出産を決意することから、母に会いたいと思うようになる。一方、母も娘を捜し始める。二人の思いは繋がるのか…。(ここは観てのお楽しみ。)
映画の背景には、若くしての望まぬ妊娠、この親子以外の母と娘の関係、アメリカの養子制度の問題なども絡んできます。
母と子の関係には、そのベースには母と父(男性)との関係がありますが、男性像があまり描かれていないのが物足りなかった。(この映画のなかの)男性たち、もう少し「子」という存在について考えてほしいものです。
今日のお月さま

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