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ブログ 心's LOOM

欲望の発露

2012年08月05日

どなたか忘れてしまったが、あるブログを読んでいたら、今回の五輪で選手も審判も「スポーツマンシップのようなものが足りない場面が幾つかある…」、というようなことが書かれていました。
ハイライトしか見ていないのですが、私もそのように感じたことが度々。
例えば柔道の試合で、負けた海外の選手が試合終結時の挨拶で、頭を下げたのか下げていないのかわからない程度でさっさと退場してしまったり。柔道は「道」なのに、その部分が海外に伝わっていないの?と疑問に思いました。
あの、女子バドミントンの無気力試合もすごかった。あそこまで出来れば大したものだなと…。これが上の命令だったとすれば話は別で背筋が寒く感じます。
五輪というのは、ドーピングしかり、実は人間の欲望がとても生々しく出るものだと思います。選手だけではなく、家族とか、サポーターとか、各競技団体などの欲望です。応援といえば爽やかだけど、圧力とも言える。選手のプレッシャーたるや、すごいものでしょうね。いきものがかりのテーマ曲が全てを爽やかに包んでいますが…。
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この暑さ、ウミガメになって大海原を泳いでみたい。
turtle

comedy

2012年08月04日

さあ、今日も無事一日が終わりました。
土日は神田界隈も通勤電車も空き空きなので、気持ちが楽で開放感に浸ることができます。
五輪もたけなわでしょうか…、先日はちょっと遅れて録画してあった開会式のワンシーンを観てみました。開催国の文化を感じられる開会式や閉会式に興味があります。
観たシーンはローワン・アトキンソンが出演した、たったの数分。あれはMr.ビーンとして出ていたのでしょうか?『炎のランナー』の映画は知らないけれど、あの曲はとても有名ですね。あれなら私でも弾けるな。弾くというより押せるな。アトキンソンは弾いていなかったけれど、表情も行動もとてもユーモラスで面白かった!
Mr.ビーンのことは、好きな人と嫌いな人にきっと分かれることでしょう。私も乙女の頃はキライでした。変なおじさんだなと。何しろ最初に観たのは、「公園でサンドイッチを作る巻」。レタスだかの青菜を公園の水道水で洗い、履いていた靴下を脱いでそこにレタスを入れてブンブン振り回すシーン。靴下=水切りネット、ということなのでしょうね。もうこのシーンを観ただけで、眉を顰めてドン引きしました。これの、いったい、どこが、面白いのだろう…と。
それが風雪流れ、彼を見るとお腹の底から楽しくなり、笑っている自分がいました。
胡蝶蘭

ものそのもの

2012年08月03日

通勤時にまた森田療法の本を読んでいます。
森田療法の本は通勤時がどうやらぴったりきます。何度読んでも参考になります。というよりも一度読んだくらいでは理解が進まないというか…。
休日になると、まずは午前中にやらなくてはいけないことを済ませます。ゴミ出し、外の掃き掃除、掃除機、etc. これをしている間は大体夢中になるのですが、いつも「早くしよう、早くしよう、時間がもったいない、もったいない」という大きな焦りがあり、何かに追い立てられているような気分になっています。
よく頭に浮かぶのが「時間は作るもの」と「時間がないは言いわけ」。きっと誰かが使っていたフレーズを自分の中にしっかりと input してしまっているのでしょう。
この焦りを感じながらやって、家事以外の成果はどうなのか。成果はいつもあまり芳しくなく、あー、あれもやりたかった、これも手が付けられなかった、という無力感に襲われているのです。
それが森田療法のなかで、「仕事でも遊びでも家事でも、どれが有益でどれが無益かなんて、いったい価値批判をおこなえるのだろうか」・「目の前のものごとに同化し、なりきれ」ということが述べられていて、自分が知らず知らずのうちに「家事は最低限やらなくてはいけないことで、勉強などに比べて自分の助けにはならないもの」と捉えていたことが苦しかったんだと気づきました。
目の前の「ものそのもの」になりきることができたら、どんなに心が自由になるか。楽しめるか。先のことを案じず、目の前のことを淡々と楽しくやっていこうと思います。クライアントさんにはよくそのようにお話ししているのですから、まずは自分がそうでないと、ですね。
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↓ パンフレットの旅。休憩時間のお楽しみ。
パンフレットの旅

she see sea

2012年08月02日

上記タイトルのケーキ屋さんがありました、確か…。
sees にならないと本来おかしいけれど。
所用のため、本日はまた後で更新しますね。
sea
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ふぅ…。今日も一日暑かった…。
早速、上記タイトルを見た知人が、「シーとスィーと発音が違うから、ナンセンスな名前だね」とうるさいことを言ってきました。確かに韻を踏んでいませんね。それよりCCCという歌が昔あったとか。これを知っている人はかなり年配でしょうね。私は知りません。さて、今日は特段書くことがないのだけれど、ああ海が見たいな…と思い、上の画像を掲げました。
海が特別好きというわけではないのですが、眺めていると気持ちが広がっていく気がします。小さいとき虚弱体質だったので、海へ連れて行かれ潮風に無理矢理あてさせられていたからでしょうか。潮のあの匂いに余計気持ちが悪くなっていたんですけれど。
海には何かと縁があり、学生の時は漁師さんのお宅の子の家庭教師をしていました。漁師町へ行くと、そこかしこの坂道や塀の上に猫がウヨウヨいてとても恐ろしかったです。当時は猫が嫌いでした。嫌いというより、よく知らない生き物だったから怖くて苦手だったのでしょう。犬は笑うけれど、猫は顔のパーツが真ん中に寄って表情がないし(今はそうは思いませんが)。そのうち、ある1匹の子が、道の真ん中でいきなりゴロンと仰向けになり、ニャンニャン鳴きながら左右に体を揺すったときは、もう小道のどこを通ったらいいものやら困り果て、時間ぎりぎりになってしまった記憶があります。苦手…、というものも、絶対的というわけではないんですよね。

mini失敗

2012年08月01日

葉月に入りました。葉月というのは、いい響きですね。
毎日の電車の効き過ぎの冷房(省エネなんぞどこへやら)と、睡眠不足のせいか、失敗をやらかしてしまいました。
お世話になった方にお見舞いをお渡しする機会があり準備をしていました。些細なことではあるけれど、お見舞い袋の表に、自分の名前ではなく相手方のお名前を書いてしまった。一応、様は付けましたが、自分の名前はなし。
袋の中も外も見直し、お渡しした後で、道をぶらぶら歩きながら「何か変…」と気付く。あ…。何としたことか。しっかりしているつもりがぼけーっとしていました。でも、もはや仕方ない。後から変と気付いただけで、まだましと思うことにしましょう。
問題なのはこのぼーっとした状態を早く抜け出すこと、ですね。
今朝の車窓より。走っているときに撮ったので伝わりにくいと思いますが、かなりの入道雲(積乱雲)でした。このあとこの地は30分の土砂降りがあったとか。
朝の空
急激な天気の変化に気をつけましょうね。

リフレクソロジー2

2012年08月01日

はっと気づけば午前様です。
今夜は友人によるリフレクソロジー第二回目。
何でもふくらはぎが人より硬いのだとか。硬すぎて揉むと痛い。痛くて頗る気持ちがいい。「これは肉が締まっているからなんだよね?」と思っていたら、どうやら違うみたい。座骨神経の辺りが反応しているとのことでした。腰が弱いのは遺伝だし、最近長時間椅子に座っているのが苦痛で仕方なく、通勤時間も足がモゾモゾソワソワしていました。
揉まれて天にも昇る気持ち。
もしこれがロボットに揉まれているのなら、さして心地よくないだろうな。温かい手に強弱、緩急をつけてやってもらっているから、リラックス効果大なのでしょう。施術中の自分の足のphotoを撮ったのですが、あまりに逞しくて(本来はもっと細いハズ)加工しないと載せられないことが判明しました。足も人の意識を離れ、だらりんとしていたのでしょうね。
今日はこれにて。

俯瞰

2012年07月30日

今日は暑いなかにも爽やかな風がありました。
それでも外にいるとだんだんボォーとしてきて、どうも生活も気分もだらだらだらだらしてしまいます。まあ、それも心地よいのですが…。
ここのところ、ある1冊の本を読んでいました。それはある自治体の首長のことを扱った本。
その人(首長)が選挙で、例えば A という公約を掲げました。
本人曰く、「( A は)大学生が何年かかっても理解できない政策」とのこと。
またまた本人曰く、「( A について )市民への説明に、(人々がどうせわからないであろう)専門的、解説的なことは何一つ必要ではなく、心に響くような訴えであればそれでいい」とも。
市民を愚弄しているというか、こういうのをアジテーションっていうんじゃないの?と思ったとき、だらだら気分が一気に吹き飛びました。心理と全く関係のない話ですが、ときに世相に目を向けてみることも必要なことだと思いました。
昔々青少年の頃読んだ本に、吉野源三郎著『君たちは、どう生きるか』いうものがありました。有名なので読んだ方も沢山いらっしゃるでしょう。中学2年生のコペル君(渾名)が叔父さんとデパートの屋上へ行って、眼下の往来を行き交う車や人々を眺めるシーンがあります。「俯瞰して初めて見えてくるものがあるんだよ」ということを、コペル君は叔父さんに教わります。大変印象的なシーンです。
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夏のスキー場
↑ アルバムより〜。夏のゲレンデ。

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