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心理 東京
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ブログ 心's LOOM
イリュージョン
2012年08月16日
ここ最近手にしているのが、小此木啓吾著(1980)『内なる母子関係をさぐる シゾイド人間』という本です。
この本は小学生の時に家の本棚にあり、『シゾイド人間』というのが人造人間のような響きに感じられて怖くて開けませんでした。家にあったということは、当時のベストセラーかなにかであったのかもしれません。
30年以上も前の文献ですが、とても有益な本だなと感嘆しました。心理学が身近ではない人には多少難しいと思いますが、それでも十分面白いし役立つと思います。
シゾイド人間については後日に譲るとして、幻想(ファンタジー)と錯覚(イリュージョン)と脱錯覚(ディスイリュージョンメント)が人間関係を成り立たせている、というところがなるほどと思います。
Aさんという女性が、理想の男性像をもっているとしたらそれが幻想。実際に男性Bさんに会って恋に落ちたとき、それは男性の客観的事実に惹かれたからではなく、事実と幻想(理想像)が交錯したところに錯覚が生じてBさんを好きになった。Bさんがかっこよくてステキ!という事実で好きになったのではなく、Bさんがかっこよくて魅力的、というのは自分の錯覚なのです。主観とも違うのでしょう。
はじめはそんなBさんをこの上なくステキで好きだと思うけれど、時が経つうちに様々な部分が見え始める。本当は最初から見えていたかもしれないのに、Aさんには気付かなかったのですよね。
健康的な人間関係では(恋愛だけでなく、親子関係も全て)、錯覚と脱錯覚(幻滅)を繰り返しながら関係が維持されるものだとあります。この時、脱錯覚を乗り越えさせるのはなにかというと、幻想(理想像)をどれだけ自分の内にもっているかということらしい。そして、錯覚だと半分は気付いていることらしい。
この場合なら、Bさんは完全に自分が思うような人ではないとわかっているけれど、「そのBさんに理想像を託せる」、というのがノーマルな恋愛関係だとのことです。参考になりましたか?
海へ…。
解放感
2012年08月15日
行き帰りの電車もお盆休みのためにガランガラン。
こういうときに電車に乗るのは実に気持ちがいいものです。やはり通勤ラッシュというのは、有害以外のなにものでもないと思います。
昨夜は気持ちもかなり寛いでおり、動物写真家の岩合光昭氏が取材した番組、『世界ネコ歩き・イスタンブール』というものを観ていました。
トルコ・イスタンブールの街角に暮らす無数のネコたちは、市民に愛され世話されているために、人間を怖がらない。怖がらないどころか、写真家の前でポーズを決めたり(そのように見える)、スリスリ寄ってきたり、コロンと甘えながら引っ掻いてみたり、なんて可愛いのでしょう。色々な人に可愛がられているので名前を複数持つ子も沢山います。人の家で寝る子もいるし、店内でくつろぐ子もいるし。餌を与えられ、病気になれば保護されもする。ネコたちは本当に自由気まま、風の向くままに生きています。
そういう愛し方もあるんですよね。
海へ…。
家族交流
2012年08月14日
昨夜はどうしたわけか、この夏一番の寝苦しさを感じ、夜中の3時に目が覚めてしまいました。
何でも熱中症は、冷房を消してしまう夜中に生じやすいというニュースを見ていたので、起きて多量にスポーツドリンクを摂り再び床に就きました。
うつらうつらまどろみながら考えていたのが、日中自分もおこなった、なぜ人々はこうもお墓参りをするのだろう…ということでした。2,3世代の家族で賑やかに来ている人たちも多く、またかなりの数のお墓の供花が新しくなっていたので、ここ数日の間に訪れた人が多いのでしょう。なぜこうも墓地が「家族」を呼び寄せるのでしょうか。たとえ一人で来ていたとしても、お墓に眠る人の家族の場合が多いでしょうから、「家族」を呼び寄せることに変わりはないでしょう。
やはり人は、死についての不安や恐れを抱いているからなのだろう…と思いました。仏様の供養というのが本来の目的ですが、根源的には死が怖いからではないでしょうか…。
またお墓参りは家族行動で、家族行動であれば家族問題の一つでもあるはず…とも、飛躍して思いを巡らせていました。
盛夏の一時にこのようなファミリーアクティビィティ(←造語)があるのであれば、現在生きている家族間の問題(相互交流の仕方の問題)にこのエネルギーを少し振り分けてもいいのではないだろうか…と改めて思った次第です。つまりお墓参りをする気力と体力を、家族間コミュニケーションの振り返りにあててみてはどうかな、ということです。
ジジジジジッー
C’est si bon(盆)
2012年08月13日
昨夜は一つも流れ星を見ることができませんでした。それでも夏の空にしては珍しく、星はそれなりにきれいに瞬いていました。
そして今日は暑く強風の日
強い風のなか迎え火をし、久しぶりにお墓参りへも行ってきました。花はピンクのグラデーションのリンドウ、紫のトルコギキョウ、ほぼ白いアリストロメリア、黄色いポンポン菊をチョイス。仏様の好みではなく、自分の好みで選んで満足するという、実に selfish なお墓参りを楽しんできました。まあ、子孫が楽しんでいることが、ご先祖様の喜びでしょう。私ならそう思うな…。
今頃のお寺は花もみるべきものが少ない。でも紅色のサルスベリ、真っ赤な実をつけた珊瑚樹が目を引きました。今日は、甍の写真です。最近の家にはあまりない瓦。これも日本の美しさ、ではないでしょうか。
モノのあはれ
2012年08月12日
世の中は帰省ラッシュですね。
♪ 傘がない…行かなくちゃ…、という陽水の訴えかけてくる歌がありましたが、私の日傘もいまだ見つかりません。何度かJRに電話しても届け出はないとか。
もうこれで4回くらい(数十年の間で)日傘を紛失しています。あー、傘たちがかわいそう。あはれ、ではなく哀れ、ですね。何度やっても学習できない。その度に落ち込むのに。どこかに捨てられるよりは使われていた方がずっといい。
それでも、今日は懲りずに日傘を買いに行きます。今度は折りたたみタイプ。一々折りたたんで鞄に入れれば、忘れることはないでしょう。
今日の9時以降はペルセウス座流星群が北東の空に見えるのだとか。簡単に見えるそうなので夜空を見上げてみることします。
『ひまわり』
2012年08月11日
あるブログを見ていたら向日葵の花の写真が掲げられていました。そうしたら無性に向日葵が見たくなったので、今日の写真はプロのものを掲載しますね。
向日葵といえば、思い出すのはイタリア映画の『ひまわり』。言わずもがな、よく知られた名作です。ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニの共演。ひまわり畑をソフィア・ローレンが歩くシーンと、ヘンリー・マンシーニの哀感を帯びた曲と、そのほか色々な場面が鮮烈に蘇ります。戦争で引き裂かれた夫婦の話です。
私がこの作品を最初に観たのは確か中学生の時。帰省先の祖父の家で、5才下と7才下のイトコたちと深夜こっそり音を絞ってNHKで放映されていたものを観ました。その時の印象は、主演2人のキスシーンが強烈だったこと!イタリア人です。強烈なのは当たり前?、でしょうか。とにかく肉感的なソフィアの美しさなんて中学生に理解できるわけもなく、ただその時はダイナマイトボディの女性と濃い顔立ちの男性の浜辺のキスシーンにノックアウトされていました。
そうこうしていたら、祖父がいきなり部屋に入ってきて叱られてテレビを消された、という思い出が、この『ひまわり』にまつわる初回の思い出です。消されたことは悔しかったけれど、でも今思うとこの映画のことは微塵も理解できていなかったのでした。恐らく親たちが評価していたので、子どもたちで観よう観ようということになったのだと思います。
もっと大きくなって再び見たとき、戦争の悲劇や不条理さ、男女の愛や別れが理解できるようになり、この作品が好きになりました。向日葵は、あんなに大きくて高くて明るくて元気を与えてくれる花だけれど、どこかどうしようもなく切ないイメージの花でもあります。
忘れもの
2012年08月10日
今日は通勤時に車内に日傘を忘れてきてしまいました。連絡したら届けられていないとか。戻ってくるといいな…。
本日のブログは一息いれるためにお休みします。
↑ おやすみ…。