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心理 東京
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ブログ 心's LOOM
夏休み
2012年08月19日
残暑がきついです…。
ニュースのところにも書きましたが、8月21(火),22日(水)と夏休みをいただきます。8月20日(月)は定休日となりますので、三連休となります。
既にお越しのクライアント様で連絡が必要な場合は、ホームページのお問い合わせ欄からメールをください。
どうぞ宜しくお願いします。
(↑プロの写真を掲載)
視点
2012年08月18日
何日か前にフランスの放送局 F2 のニュースを見ていたら、福島の蝶ヤマトシジミに奇形が見つかった、という報道がなされていました。日本の研究者が発表したもので、3世代進む毎に異常率が上昇しているとのことでした。フランスは原子力依存国家なのに、このての報道が早いなーと思います。
それでこの報告が一部で物議を醸している様子。実験デザインに無理があるとか、元々ヤマトシジミは奇形が生じやすいとか、種によって放射線の影響は大分異なるので、この結果をもってすぐに危険であるとはいえないなど。研究者たちも、人への影響について言及しているわけではありません。
今後の研究・調査が待たれるところであり、私たちは冷静に慎重にニュースを見守っていく必要があります。
だけどね、日本の放送局ではなぜこのことが放送されないのでしょう。特にNHKで。事実か否かではなく、こういった研究が発表された、ということを放送しないのはなぜなのかと思いました。いたずらに人心を不安にさせるから?信憑性の薄い発表だから?F2は扇動的なだけなの…?
いつだったか社会心理の研究者か何かが、「情報を発することが人々を不安にさせるというより、きちんと情報を発しない方が人々をより不安にさせ、流言飛語が飛び交う事態を招く」ということを言っていました。
思うのは、世界各国の色々な放送局のニュースを見ることが出来るということの重大さです。視点をたくさんもっていることが、何に付けて大切ですね。
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↑ いつもウィンドサーフィンを見ると、「蟻が 蝶の羽をひいて行く ああ ヨットのやうだ」という詩を思い出す。まるで蝶の羽のよう。
まねきねこ
2012年08月17日
今日は所用のため簡略版。
知人から、世田谷豪徳寺ゆかりのサブレをいただいた。豪徳寺行ったことないな。なんでも豪徳寺には招き猫伝説があるらしいです。今度調べてみますね。
顔がパタリロ(知ってる?)のようで可愛い。
イリュージョン
2012年08月16日
ここ最近手にしているのが、小此木啓吾著(1980)『内なる母子関係をさぐる シゾイド人間』という本です。
この本は小学生の時に家の本棚にあり、『シゾイド人間』というのが人造人間のような響きに感じられて怖くて開けませんでした。家にあったということは、当時のベストセラーかなにかであったのかもしれません。
30年以上も前の文献ですが、とても有益な本だなと感嘆しました。心理学が身近ではない人には多少難しいと思いますが、それでも十分面白いし役立つと思います。
シゾイド人間については後日に譲るとして、幻想(ファンタジー)と錯覚(イリュージョン)と脱錯覚(ディスイリュージョンメント)が人間関係を成り立たせている、というところがなるほどと思います。
Aさんという女性が、理想の男性像をもっているとしたらそれが幻想。実際に男性Bさんに会って恋に落ちたとき、それは男性の客観的事実に惹かれたからではなく、事実と幻想(理想像)が交錯したところに錯覚が生じてBさんを好きになった。Bさんがかっこよくてステキ!という事実で好きになったのではなく、Bさんがかっこよくて魅力的、というのは自分の錯覚なのです。主観とも違うのでしょう。
はじめはそんなBさんをこの上なくステキで好きだと思うけれど、時が経つうちに様々な部分が見え始める。本当は最初から見えていたかもしれないのに、Aさんには気付かなかったのですよね。
健康的な人間関係では(恋愛だけでなく、親子関係も全て)、錯覚と脱錯覚(幻滅)を繰り返しながら関係が維持されるものだとあります。この時、脱錯覚を乗り越えさせるのはなにかというと、幻想(理想像)をどれだけ自分の内にもっているかということらしい。そして、錯覚だと半分は気付いていることらしい。
この場合なら、Bさんは完全に自分が思うような人ではないとわかっているけれど、「そのBさんに理想像を託せる」、というのがノーマルな恋愛関係だとのことです。参考になりましたか?
海へ…。
解放感
2012年08月15日
行き帰りの電車もお盆休みのためにガランガラン。
こういうときに電車に乗るのは実に気持ちがいいものです。やはり通勤ラッシュというのは、有害以外のなにものでもないと思います。
昨夜は気持ちもかなり寛いでおり、動物写真家の岩合光昭氏が取材した番組、『世界ネコ歩き・イスタンブール』というものを観ていました。
トルコ・イスタンブールの街角に暮らす無数のネコたちは、市民に愛され世話されているために、人間を怖がらない。怖がらないどころか、写真家の前でポーズを決めたり(そのように見える)、スリスリ寄ってきたり、コロンと甘えながら引っ掻いてみたり、なんて可愛いのでしょう。色々な人に可愛がられているので名前を複数持つ子も沢山います。人の家で寝る子もいるし、店内でくつろぐ子もいるし。餌を与えられ、病気になれば保護されもする。ネコたちは本当に自由気まま、風の向くままに生きています。
そういう愛し方もあるんですよね。
海へ…。
家族交流
2012年08月14日
昨夜はどうしたわけか、この夏一番の寝苦しさを感じ、夜中の3時に目が覚めてしまいました。
何でも熱中症は、冷房を消してしまう夜中に生じやすいというニュースを見ていたので、起きて多量にスポーツドリンクを摂り再び床に就きました。
うつらうつらまどろみながら考えていたのが、日中自分もおこなった、なぜ人々はこうもお墓参りをするのだろう…ということでした。2,3世代の家族で賑やかに来ている人たちも多く、またかなりの数のお墓の供花が新しくなっていたので、ここ数日の間に訪れた人が多いのでしょう。なぜこうも墓地が「家族」を呼び寄せるのでしょうか。たとえ一人で来ていたとしても、お墓に眠る人の家族の場合が多いでしょうから、「家族」を呼び寄せることに変わりはないでしょう。
やはり人は、死についての不安や恐れを抱いているからなのだろう…と思いました。仏様の供養というのが本来の目的ですが、根源的には死が怖いからではないでしょうか…。
またお墓参りは家族行動で、家族行動であれば家族問題の一つでもあるはず…とも、飛躍して思いを巡らせていました。
盛夏の一時にこのようなファミリーアクティビィティ(←造語)があるのであれば、現在生きている家族間の問題(相互交流の仕方の問題)にこのエネルギーを少し振り分けてもいいのではないだろうか…と改めて思った次第です。つまりお墓参りをする気力と体力を、家族間コミュニケーションの振り返りにあててみてはどうかな、ということです。
ジジジジジッー
C’est si bon(盆)
2012年08月13日
昨夜は一つも流れ星を見ることができませんでした。それでも夏の空にしては珍しく、星はそれなりにきれいに瞬いていました。
そして今日は暑く強風の日
強い風のなか迎え火をし、久しぶりにお墓参りへも行ってきました。花はピンクのグラデーションのリンドウ、紫のトルコギキョウ、ほぼ白いアリストロメリア、黄色いポンポン菊をチョイス。仏様の好みではなく、自分の好みで選んで満足するという、実に selfish なお墓参りを楽しんできました。まあ、子孫が楽しんでいることが、ご先祖様の喜びでしょう。私ならそう思うな…。
今頃のお寺は花もみるべきものが少ない。でも紅色のサルスベリ、真っ赤な実をつけた珊瑚樹が目を引きました。今日は、甍の写真です。最近の家にはあまりない瓦。これも日本の美しさ、ではないでしょうか。