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ブログ 心's LOOM

触れる

2012年08月08日

今日のお天気はやや涼しく、東京は最高気温28℃ということでした。
はぁ…、これくらいの気温で十分ですね。
今夜は大所帯でまたリフレクソロジーをやってもらいます。リフレクソロジーも3回目。さて、今夜はどのようなメニューを体験できるかな。
そういえば以前、「タクティールケア」というスウェーデンのタッチケアの本を読んでいました。タクティールとは確か「触れる」という意味。ツボや経絡などをグイグイ揉みほぐすような療法ではなく、優しく撫でるようにマッサージするもので(対象は主に手足だったような…)、認知症や寝たきりの人、病床に就いている人、幼い子どもなどに有効ということで興味をもっていました。様々な痛みを緩和したり、不安を和らげる心理的な効果があるといいます。高齢者や子どもの皮膚はとても薄く柔らかく、爪や指輪などで破れやすいので、こういった優しいケアが望まれるのですよね。
このリフレクソロジーをやってもらっていると、タクティールと指圧の中間、という感じがします。穏やかな気持ちになることができます。そうそう、リフレクソロジストは爪を爪切りで切ってはならず、やすりで研ぐのが原則とか。徹底していますね。
塩分補給
↑ 塩分補給です。

立秋

2012年08月07日

今日は暦の上で立秋です。もう秋です。山間部や高原地帯など、ところによっては既に秋の気配を感じているところもあるのでしょうね。こちらは明け方の暗闇が白む頃に起きてみると、ヒグラシの鳴く声がそれはそれは美しくて大変感動しました。そのまま起きてしまえば美しい時間を堪能できるのですが、そうはいかず再びバタンと深い眠りに落ちてしまいました。
さて、昨日の休日は自分でも「ものそのものになりきる」(8/3付blog)ということを心掛けてみました。雨もあってやることが限定されたせいか、焦燥感に駆られて何かをする、というのがなくてとてもゆったりと過ごすことができました。焦りというのは自分が思う以上に疲れるものですよね。
久しぶりに市中で遅いお昼をとることもできました。メニューは以下。これはお豆腐屋さんのランチなのです。しらすの下はおから、がんも、ごま豆腐が入った丼物です。大豆製品が好きなのでたまにこういったものを食べます。大豆タンパクは女性ホルモンに有用ですし。とはいえ、過剰摂取は宜しくないとの説もあるので、なにごともほどほどが肝心ですね。
豆腐屋定食

sanctums

2012年08月06日

今日は急に大雨警報が鳴り、どんより曇り空で時より雨、けれども夕方には赤焼けの空、という一日でした。
例によって休日の前夜は映画を見て過ごしました。その名も『サンクタム』(2011年豪・米)。
神聖な場所、という意味。パプアニューギニアの洞窟、エサ=アラを舞台にした、ケープ・ダイビング(洞窟潜水)ものです。それだけで窒息しそうな不安を覚えます。暗い画面なので途中少し寝たものの…、アクション映画としてばかりでなく、心理映画としてもまあまあ楽しむことができました。
この洞窟は実在するもので、確か数年前にNHKでドキュメンタリーが制作されています。密林地帯にぽっかりと直径800mほどの巨大な穴が開いており、400-500mぐらい地下まで続くのだとか。映画では海に出ることができますが、実際はどうなっているのか、ぜひ今度ドキュメンタリーを見たいものです。
映画はこの巨大洞窟に探検家チームが入ったものの、酸素ボンベの事故を発端としてチームワークに亀裂が入り、折しもサイクロンが襲いかかって洞窟内に激流が流れ込み、入り口へ戻れなくなります。次々に、メンバー間の衝突、リーダーへの不信、メンバーの身勝手な行動、事故や潜水病といった難題が襲いかかり…。
まあ娯楽恐怖映画なのですが、なんともいえない嫌な、傲慢な感じを覚えるのは、この探検家チームたちが(映画そのものが?)自然を征服の対象として考えているんじゃないかな…と思われたためでした。恐らくこの洞窟は、パプアニューギニアの現地の人たちにとって、神聖な場所、畏怖すべき場所であることでしょう。それが研究ではなく探検・娯楽の対象なのですから、こういう結果になるのもしかり、と思わせるような作品でした。
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8月6日の空
そういえば、今日は忘れてはいけない日でした…。

欲望の発露

2012年08月05日

どなたか忘れてしまったが、あるブログを読んでいたら、今回の五輪で選手も審判も「スポーツマンシップのようなものが足りない場面が幾つかある…」、というようなことが書かれていました。
ハイライトしか見ていないのですが、私もそのように感じたことが度々。
例えば柔道の試合で、負けた海外の選手が試合終結時の挨拶で、頭を下げたのか下げていないのかわからない程度でさっさと退場してしまったり。柔道は「道」なのに、その部分が海外に伝わっていないの?と疑問に思いました。
あの、女子バドミントンの無気力試合もすごかった。あそこまで出来れば大したものだなと…。これが上の命令だったとすれば話は別で背筋が寒く感じます。
五輪というのは、ドーピングしかり、実は人間の欲望がとても生々しく出るものだと思います。選手だけではなく、家族とか、サポーターとか、各競技団体などの欲望です。応援といえば爽やかだけど、圧力とも言える。選手のプレッシャーたるや、すごいものでしょうね。いきものがかりのテーマ曲が全てを爽やかに包んでいますが…。
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この暑さ、ウミガメになって大海原を泳いでみたい。
turtle

comedy

2012年08月04日

さあ、今日も無事一日が終わりました。
土日は神田界隈も通勤電車も空き空きなので、気持ちが楽で開放感に浸ることができます。
五輪もたけなわでしょうか…、先日はちょっと遅れて録画してあった開会式のワンシーンを観てみました。開催国の文化を感じられる開会式や閉会式に興味があります。
観たシーンはローワン・アトキンソンが出演した、たったの数分。あれはMr.ビーンとして出ていたのでしょうか?『炎のランナー』の映画は知らないけれど、あの曲はとても有名ですね。あれなら私でも弾けるな。弾くというより押せるな。アトキンソンは弾いていなかったけれど、表情も行動もとてもユーモラスで面白かった!
Mr.ビーンのことは、好きな人と嫌いな人にきっと分かれることでしょう。私も乙女の頃はキライでした。変なおじさんだなと。何しろ最初に観たのは、「公園でサンドイッチを作る巻」。レタスだかの青菜を公園の水道水で洗い、履いていた靴下を脱いでそこにレタスを入れてブンブン振り回すシーン。靴下=水切りネット、ということなのでしょうね。もうこのシーンを観ただけで、眉を顰めてドン引きしました。これの、いったい、どこが、面白いのだろう…と。
それが風雪流れ、彼を見るとお腹の底から楽しくなり、笑っている自分がいました。
胡蝶蘭

ものそのもの

2012年08月03日

通勤時にまた森田療法の本を読んでいます。
森田療法の本は通勤時がどうやらぴったりきます。何度読んでも参考になります。というよりも一度読んだくらいでは理解が進まないというか…。
休日になると、まずは午前中にやらなくてはいけないことを済ませます。ゴミ出し、外の掃き掃除、掃除機、etc. これをしている間は大体夢中になるのですが、いつも「早くしよう、早くしよう、時間がもったいない、もったいない」という大きな焦りがあり、何かに追い立てられているような気分になっています。
よく頭に浮かぶのが「時間は作るもの」と「時間がないは言いわけ」。きっと誰かが使っていたフレーズを自分の中にしっかりと input してしまっているのでしょう。
この焦りを感じながらやって、家事以外の成果はどうなのか。成果はいつもあまり芳しくなく、あー、あれもやりたかった、これも手が付けられなかった、という無力感に襲われているのです。
それが森田療法のなかで、「仕事でも遊びでも家事でも、どれが有益でどれが無益かなんて、いったい価値批判をおこなえるのだろうか」・「目の前のものごとに同化し、なりきれ」ということが述べられていて、自分が知らず知らずのうちに「家事は最低限やらなくてはいけないことで、勉強などに比べて自分の助けにはならないもの」と捉えていたことが苦しかったんだと気づきました。
目の前の「ものそのもの」になりきることができたら、どんなに心が自由になるか。楽しめるか。先のことを案じず、目の前のことを淡々と楽しくやっていこうと思います。クライアントさんにはよくそのようにお話ししているのですから、まずは自分がそうでないと、ですね。
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↓ パンフレットの旅。休憩時間のお楽しみ。
パンフレットの旅

she see sea

2012年08月02日

上記タイトルのケーキ屋さんがありました、確か…。
sees にならないと本来おかしいけれど。
所用のため、本日はまた後で更新しますね。
sea
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ふぅ…。今日も一日暑かった…。
早速、上記タイトルを見た知人が、「シーとスィーと発音が違うから、ナンセンスな名前だね」とうるさいことを言ってきました。確かに韻を踏んでいませんね。それよりCCCという歌が昔あったとか。これを知っている人はかなり年配でしょうね。私は知りません。さて、今日は特段書くことがないのだけれど、ああ海が見たいな…と思い、上の画像を掲げました。
海が特別好きというわけではないのですが、眺めていると気持ちが広がっていく気がします。小さいとき虚弱体質だったので、海へ連れて行かれ潮風に無理矢理あてさせられていたからでしょうか。潮のあの匂いに余計気持ちが悪くなっていたんですけれど。
海には何かと縁があり、学生の時は漁師さんのお宅の子の家庭教師をしていました。漁師町へ行くと、そこかしこの坂道や塀の上に猫がウヨウヨいてとても恐ろしかったです。当時は猫が嫌いでした。嫌いというより、よく知らない生き物だったから怖くて苦手だったのでしょう。犬は笑うけれど、猫は顔のパーツが真ん中に寄って表情がないし(今はそうは思いませんが)。そのうち、ある1匹の子が、道の真ん中でいきなりゴロンと仰向けになり、ニャンニャン鳴きながら左右に体を揺すったときは、もう小道のどこを通ったらいいものやら困り果て、時間ぎりぎりになってしまった記憶があります。苦手…、というものも、絶対的というわけではないんですよね。

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