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ブログ 心's LOOM

梅雨入り

2016年06月07日

気付けば梅雨入りしており、この状態が1ヶ月半くらい続くのかと思うと布団も干せないし何となく気が重いのですが、この時季は結構曇りや束の間の晴れ間もあるということを忘れてはいけませんね。

それに曇りの方が紫陽花の花は綺麗に目に映るし、フォトジェニックなのです。

ブルーのグラデーション

ブルーのグラデーション

 

 


リニューアル

2016年06月03日

夏の前に、間もなく梅雨入りですね。
今のうちに晴れ間を享受しておこうと、今日は昼食にご近所でパスタを食べてきました。これからの季節は夏野菜が豊富に出回るので、また美味しいパスタが食べたいと火が付いてしまいました。

さて、随分前から懸案であったサイトのリニューアルをプロの方にしていただきました。これでスマートフォンからも見易くなったかと思います。私はスマホではないのでどう見えるか分からないままなのですが (笑)。今時スゴイでしょ?自慢じゃなくてただの無精なのとアンチ流行だからなのですが、そろそろスマホにしてもいいかなと思っています。因みに家にはテレビもなくて快適なラジオ生活です。テレビはとても苦手なので。育った環境はテレビがついていましたが、人、それぞれ、なのですね。

サイトについては、画像と文は従来のものですが、CMS(コンテンツ管理システム)を変えてもらったので、少々更新に勉強が必要です。今も丁寧で理解しやすいマニュアルを片手に書いているのですが、暫くは遊んだり?、不都合もあるかと思われます。でもこういう勉強は楽しいものです! 

When the sky is like lace(1975)より

When the sky is like lace(1975)より

 

 


愛の心理

2016年06月01日

先日、一年に数度の自分へのご褒美として、またR.ワーグナーの歌劇『ローエングリン』を観てきました。休憩時間込みで5時間は長く、鑑賞後はフラフラするのですが、舞台芸術と歌と心理描写を存分に楽しんできました。私は適正な時代考証の演出が好きなのですが(例えば18世紀の物語ならその調度品や服装など)、今回のは何というかヤマギワ電気のショールームにいるような真っ白な照明が印象的な演出で、演出家には失礼ながら協賛がヤマギワじゃなかろうか…と半ば本気で思ってしまいました。

前回も感想をブログに書いたようですが、やはり数年経つ(歳をとる)と思うところも大分変化するようです。数年前は、浅はかな若気の至りの愛、のようにどこか捉えている節がありました。

歌劇『ローエングリン』は紛れもない悲劇で、色々な人物の思惑や思いが錯綜するのですが(そこは割愛)、白鳥の騎士ローエングリン(聖なる特別な力の持ち主)と純真無垢な姫エルザの悲恋です。

設定が俗世間離れしているとはいえ、古典に描かれるのは普遍的な男女の愛の心理です。こういうのを大胆且つ丁寧に切り取ってドラマに仕立て上げるところにオペラの魅力があるようにいつも思います。

騎士ローエングリンは姫エルザの危機を救って結婚をする代わりに、「自分の名前と素姓を絶対に問うてはならぬ」という固い誓いをさせます。もうここで、二人の愛の終局が簡単に予測できますね。「僕には秘密があるけれど、それは聞かないでね」と言った時点で、それは「いずれあなたは秘密を聞きたくなるだろう」と仄めかしているに等しいことだからです。ここまでは過去のブログでも紹介しました。

余談ですが、ですから本当に秘密にしておきたいことがあればその存在に言及しても匂わせてもいけないのですが、これはかなり難しいことだといえますし、また相手(この歌劇ならばエルザ側)に「否認(自分にとって不快なものを認めたくない)」の防衛機制が働く場合もあれば、真の愛から相手の秘密を不用意に詮索しない、という場合もあります。実際は、とても「否認」が多いように見受けられますが…。

さて、エルザは最初、愛と恩にかけて約束を守ると誓いますが、周囲の人間の圧力や入れ知恵から疑念は膨らみ続け、とうとう初夜に禁断の問いを発してしまいます。最終的にはかなり錯乱して、「私の想いをここまで持ち上げておいて、今度はその想いを叩き壊すのか!妻であるこの私にさえ、素姓を明かしてくれないのか」と泣き叫ぶに近い呈となります。

尤もなことと思います。この半狂乱が心にジーンと迫ってきます。

ローエングリン「心配しないでいい。私は暗黒の地からきたのではなく、光り輝く地から来たのだから」

エルザ「光る輝く地、そんなに良いところから来たのなら、尚のこといつか、私を捨ててそこへ帰ってしまうであろう」

これも尤もなことです。しんみりきます。

もうこうなると、エルザは無垢で聡明で従順な姫君というよりは、”一人の女”なのですね。

今回のドイツ人の演出家は「この作品の登場人物は、誰も成長、発展しない。誰も自分の思考を変えない。結末には希望も未来もない、というのが私の解釈です」とプログラムに書いていました。そうであるとも言える。しかし果たしてそれだけなのでしょうか。

私にはエルザが、聡明だが夢想家で頼りない娘から、実に人間らしい一人の女に成長しているように思いました。

つまりは、「夫を信頼できず、夫は何者なのかという疑念に取り憑かれた愚かな女」というのではなく、面倒臭い存在だけれども、「単に堪え忍んではいられない、自我のある一人の女」と解釈できないこともないのです。たとえ二人は結ばれることなく別離を迎え、エルザは失意のどん底に打ちひしがれるのだとしても、です。

エルザがこのような恋愛を繰り返していたら、それこそ成長、発展のない「問題」になってくるのでしょうが…。

ベージュのカーネーション carnation

※一説によれば、carn (ラテン語の肉)色から来ているとか。reincarnation(輪廻転生、再生)を想起させる花です。


2016年05月27日

竹内まりやの歌ではありません。

伊勢志摩サミットも今日で閉会。

ここ一週間、東京駅や地下鉄各駅の警察官の数が半端なく非常に多いことに気付かされました。例えば、エスカレーターを昇ったり降りたりしていると、3-4人連れの警官が必ず同乗している。改札にも通路にもウヨウヨ。コインロッカーは使用禁止。複数の若い女性警官たちは何やらお喋りしながら。腰回りの拳銃、大丈夫?と思うほど、隙だらけに見えましたが…。それにしても警官は物々しい数で、これだけ集めたらさぞや全国規模で手薄なのでは?と心配になるくらいでした。

警官の数は関東近郊の地元の駅でも増えていたようで、個人的には心強く安心していました。というのは先日、朝のホームで嫌がらせを受けたことがあったからでした。先頭に並んで本を読みながら入線を待っていると、何やら足元が冷たいのです。後ろの人が絡んできていることにやっと気づき、その場をそっと離れることにしました。まるで何か急に用事を思い出し、敵のなかを立ち退く猫のように(笑)。でも、こういうとき逃げてはいけないのですね。逃げれば追いかけてくるのは犬と同じなのです。

恐怖に駆られたときというのは、認知が歪みます。よく人は、なんで助けを求めないの?といいますが、あれは認知が歪むからです。冷静に考えれば、朝の陽光に溢れたホームには、人が沢山います。屈強の男性たちも、どこかにお出かけの中高年女性グループも。そんな人々の顔はもはや見えなくなってしまうのです。

それでもってやっと辿り着いたのは、改札にいた駅員さんでした。最近の駅員さんは実に頼もしく、対応に慣れています。「また何かあったらすぐに言ってください」ともおっしゃっていただきました。さて、今日でG7 も終わり駅は通常体制に戻るでしょう。大変心細くもありますが、今度何かあれば、迷うことなく私は近隣の男性にhelp を求めようと思いました。助けてくれなければショックですが(笑)。

ですから男性陣は、時々はスマフォや読み物から目を離す余裕を持っていてくださいね。男性に徒手空拳で助けてと言っているのではなく、危険もあるので下手に手出だしをせずに少しでも知恵と力を貸してもらえればとても嬉しいのです。

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鈴蘭.JPG

すずらん a lily of the valley


選択

2016年05月19日

催眠研修の復習をしつつ…
 
前回のブログの題「発見と体験と学び」というのは、この間の研修時に先生が何度も言われていたことで、それは確か「人生の選択は、発見と体験と学びの中からなされるものだ」というような内容でした。確か…というのは、講義最初のほうの(参加者が)正に軽いトランス状態のなかでおっしゃられたことなので、何ともはっきりとは憶えてはいないのですが、私の内なるところにかなり響いた言葉でした。
 
なぜそのような選択をしたのか?と人から問われるとき、かくかくしかじかだからである、と簡明な理由を述べられるときもあれば、そうではないときもあります。むしろ、そうではないときのほうが多いのではないでしょうか。だからといって曖昧模糊として何となくそのように選択した、のではなく、日々の生活における正に「発見と体験と学び」の繰り返しと蓄積から人は一つの行動をとることもあるだろう、と自己の経験からも考えていた矢先のことでした。
 
そして催眠というと、今も変わらずに「催眠家の好きなように操られてしまう」「一度に心の問題を治してくれる、トラウマを除去してくれる」などの間違ったイメージが流布していると思うのですが、そうではありません。催眠療法というものは、「浅いトランス状態(変性意識状態)での暗示(提案)は、新たな発見と体験と学びを自分に許すことを促進してくれる」ものなのでしょう。
 
人が生き生きと、ある程度は幸せな感情を抱きながら生きられるように「選択できるようになる」こと。これは本当に大切なことだと思いませんか。
 
ピオニー(芍薬).JPG
芍薬 peony
 
 

発見と体験と学び

2016年05月15日

この両日、暑いくらいの一日でした。それでも夜は肌寒くて…。

昨日今日と神田でエリクソニアン催眠の研修を受けてきました。不思議と今までの様々な研修と違い、疲れが溜まらずにとても心地よさが残る体験となりました。人数が少なめだったのも良かったのかもしれません。まあ、回想と復習は後でじっくり行うとし、アメリカからいらした先生がユーモラスで楽しかったのかもしれません。

どう楽しかったって?

まずは一日目のネクタイが、五色模様。ご〜しき〜のた〜んざく〜♪の五色です。

二日目のネクタイは、まるで張り子の虎の配色。さすが虎柄ではありませんが、幾何学的で目がチカチカするもの。

あら?一日目も二日目も、要するに同じような原色の配色、ということでしょうか。

参加者の間で、日本じゃ売っていないよね?、と話題になりました。これのみならず全体が華やか。東洋系の人には絶対に真似できない、真似したらただの悪趣味の人になってしまう、その着こなしはcoolでした。さすが、グランド・キャニオンがある州の方です。土地は人を育てるのですね。

なぜこんなことを気にするかって?心理療法家の背景にも興味を持ちなさい、と以前教わったからです(笑)。現代催眠の祖、ミルトン・エリクソンも同じ州の出身なのでした。復習は後で…。

パンジー.JPG


右に倣え

2016年05月11日

GW も過ぎ街に日常が戻ってきたと思ったら、今朝は公共交通のトラブルで参りました。はぁ…。目的地の一つ手前でルートを替えてギリギリ間に合ったものの、プラス1時間半の時間がかかってかなり焦りました。鉄道というのは実はトラブルに弱いものなのですよね。

こういう場合、大事を取って早めに要所要所の駅で降りて、路線変更をする乗客の方というのが必ずいます。咄嗟の判断と、機敏な動きがものをいう。早めの行動というのが見ていても素晴らしいです。でも私はダメ。

何回学習しても効果が上がらないというか、一度座ると重い腰が上がらないのです。下手に動くより時間のロスが少ないのではないか、行けるところまで行こうという思いがどんどん強まって、結局、地面の下で何十分も待たされているとき、乗客はまばらなのでした。

今回学習したのは、たまには右に倣ってみよう、ということでした。たまにはね。

春の花.JPG


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