2016年10月15日
本日土曜日、やっと爽やかな秋晴れの日となりました。
瞑想でもゆっくりしたいような、心地よい季節です。
2016年10月12日
日経を読んでいたら「色弱」についての記事がありました(2016.10.2付)。
色弱者だけでなく全ての人に優しい色使いをする「カラーユニバーサルデザイン」の普及に努めている人の記事で、色弱者の特性を理解することがノーマライゼーション(社会の平等化)への一歩となり、理解とちょっとした工夫が職業選択の幅を広げるという主旨でした。
これを読んで、偉大な精神療法家であるミルトン・エリクソン(精神科医、心理学者)がかなりの色弱であり、紫色ははっきり識別できたために紫色のシャツや持ち物を愛用していたということをふと思い出しました。このエピソードを初めて知ったとき、正直、仕事に支障はないのだろうか…と思ってしまったのですが、そういうのは無知のなせるところなのでしょうね。
人は何らかのハンデを背負っても、社会の理解があって生活上の工夫をしたり、ハンデを補うような他の能力を発達させたりして、生活に順応できるようになるのですね。エリクソンくらいの人にまでなると常人には及ばない桁外れの観察力が身についてクライアントの変化を読み取っていたとのことですが、勿論ここまでいかずとも「可能性を探っていく、選択肢を広げていく」というのは大変面白いことだと思いました。
現在アメリカでは、ヒラリー対トランプの公開討論中(2回目が終わったところ)ですが、ヒラリーは「diversity:多様性、種々雑多」という言葉を使っていて、この点も両者の決定的な相違なのでしょうね。二人の討論をPBS放送で聞いていると、なかなか勉強になります。ヒラリーの英語は聞き取りやすく(勿論私には判らないところもありますが)、英語なんてわからずとも、如何に討論するか?というノンヴァーバルな態度を観察学習することが出来ます。話が逸れましたが…。http://www.pbs.org/video/2365860709/
2016年10月07日
ブログも滞りがち…
更新する時間がないので、せめて写真でも。
可愛い秋の訪問者
2016年10月02日
今週はこの香りが、街中のあちらこちらから風に乗ってやってきました。
2016年09月28日
読書の秋…
最近読んで面白かったのが、児美川考一郎著『キャリア教育のウソ』(2013,筑摩書房)という本です。著者は法政大学で教育学を教えている先生のようですね。
2000年以降に始まった中学や高校でのキャリア教育とは一体どのようなもので、それは本当に生徒や学生たちの役に立っているのかどうか、といったことを一般読者向けにとても分かりやすく書いています。中学生や高校生などのティーンエイジャーやその親御さんたちに是非参考にしてほしい文献です。参考にしてほしいと緩やかに書きましたが、この不安定な時代を生きていくには欠かせない論考だと思います。
臨床をしていると日々沢山の「自分が何をしたらいいのか、何をしたいのか、何が好きなのかわからない」という訴えをよくききます。これは職業的な問題を筆頭に人生全般に渡ることもしばしばです。こういう場合「少しでもやりたいことを見つけて失敗してもいいからtryしていきましょう」という助言はあまり役に立たず、「まずは目の前のことを丁寧に積み重ねて生きていきましょう」と言う方が有益なことが多いのですが、これが職業探しの話に限定されると、本当に「やりたいこと探し」の限界が自ずとやってきます。
著者は、キャリアを狭義に「仕事や職業」と定義することに疑義を呈しています。それは終身雇用や年功序列型賃金といった日本型雇用が崩壊しつつある社会において、夢だけ持たせるような、また「正社員」だけを目指すようなキャリア教育には構造的な限界があるからです。どういうことかと言えば、個人の努力の有無に関わらず、構造的に非正規社員やアルバイター、フリーターを必要とする社会が現代の社会なので、そのことを踏まえたキャリア教育が必要だと説いているのです。ですのでキャリアとは、専門職や職業という意味ではなく、「これまでの、そしてこれからの人生の履歴」であり、「節目や転機など変転の可能性を少なからず含むもの」として捉える必要があるのだといいます。
そして若者には、産業構造や職業構成の変化、労働の実態などの職業や仕事の理解を深める学習が大切で、その上で自分の「やりたいこと」「やれること」「やるべきこと」の3点から自己のキャリアを考えていくことが大事ではないかと伝えています。
10代、20代前半の若者向けに書かれたものなので、それがそのまま、それ以外の年齢層の現在迷っている大勢の人たちに向いている内容とは言えません。そのことを弁えずに読むと「結局は自己責任の問題になってしまうのか…」等という早とちりをしてしまいかねませんので、そこは注意が必要です。
2016年09月20日
19日敬老の日は、文京シビックセンターで研修を受けていました。今回参加したのは、自我状態療法の一種であるホログラフィートークという心理療法です。自我状態療法?ホログラフィートーク?聞き慣れない言葉だと思いますが、私も聞き慣れないので、復習と練習を重ねながら、少しずつ自分の内に取り込んでいきたいと思っています。
簡単に言えば、軽トランス状態下で過去のトラウマティックな出来事からの回復をはかっていくのですが、セラピストのガイドによって自分(クライアント)が過去の自分と交流し回復へと導いていきます。
創始者で講師の先生が柔和でとても女性っぽくてそこにウットリ~していましたが、そうじゃない(笑)、しっかり学ばないといけませんね。アドバンスコースもあるということですし…。
それにしても文京シビックセンターは立派なビルで、初めて訪れたと思っていましたが、確か文京シビックホールは音楽を聴きに来たことがありました。でもビルの上に昇ったのは初めてです。ここはいわゆる文京区役所ビルなんですよね?
25階には椿山荘のスカイレストランがあって、そこで昼食を取りました。約15分弱味わう暇も無く…。これは全く自分のせいで、レストランの横が展望スカイラウンジになっているので、しばらく東京都下の街を眺めたり、自分のオフィスはどこかな~と探して写真など撮っていたため時間が無くなってしまったのでした。
2016年09月17日
中秋の名月も過ぎ、今夜は満月だそうです。月光浴をしながら帰路につきたいと思いますが、ここのところの空模様はぐずついていますね。
さて、今日はある心理学の話。先日読んだ新聞記事なのですが、ショッキングながら事実として知っておいてもよい話だと思うので、概要をお知らせすることにしました。
それは元米陸軍士官学校の心理学教授へのインタビュー記事(9月9日付朝日新聞)なのですが、彼の専門は軍事心理学で、戦場の心理、兵士の心理、殺しの心理というものを研究しています。
人は本能的に敵の兵士を殺すことに良心の呵責があってジレンマに陥るが、それは現代の訓練で如何様にもなるのだそうです。代表的なのが、心理学でいう「条件付け」で、ある刺激に対しある反応をした場合に強化する(ex.報酬を与える)ということを何百回と繰り返せば、兵士の発砲率は格段に高まるのだそうです。まあ、これは予測のつくことですが…。教授は現代の心理的技術を持ってすれば、敵を100人殺して、こちらの被害は0ということも可能だと言っています。
次にトラウマの扱いについて。敵陣に送り込む兵士のトラウマを最小限に抑えるには、「幼少期に健康に育った者で(トラウマが無いこと)、成熟した志願兵(徴兵ではない)であり、世論が支持した戦争で、兵士の帰国後のサポートがある」という点が整っていればトラウマの被害は少ないのだそうです。これも当然といえば当然のことを言っているようですが、こういうことを「殺人学研究所」(killology research group)というところで緻密に数値を出しながら研究しているのです。
流行のマインドフルネス瞑想も、兵士のトラウマを癒やして再び戦場に送り込む研究に使われているという事実もあります。
人の心の健康に寄与するはずの心理学が、一体どういうことになっているのか…。
軍事心理学や軍事精神医学には依然「国境がある」と言われますが正にそうで、兵士の生涯にわたるトラウマの大々的な研究や現地市民のトラウマの視点が全く欠けていると思います。