2016年10月16日
先日、年に2度のご褒美ということで、ワーグナー作オペラ『ワルキューレ』を観てきました。休憩時間を含めると約5時間の上演なのですが、休憩中はホールで売られているカツサンドを食べたり色々飲んだり、お腹も機嫌を損ねず楽しむことが出来ました。そういえばワーグナー好きの皇太子も観劇していましたが、ああいう方は長い休憩時間どこでなにをしているのだろう…と思いました。ざわざわした人混みの中の一人でいられるということは、なんてステキなことなんでしょうね。
さて『ワルキューレ』。トム・クルーズの映画(これもなかなか面白かったように記憶していますが)ではありませんよ。序章が『ラインの黄金』、2作目が『ワルキューレ』、3作目が『ジークフリート』、4作目が『神々の黄昏』、この4作を合わせて『ニーベルングの指環』といって、全部合わせると15時間の上演になり昔は4日連続で開催されたようなのですが、さすが現在はバラバラに上演されるのがほとんどのようです。
前にもブログで書きましたが、北欧神話、ドイツの伝説、ギリシャ神話などを題材にして作られたもので、神々、半神、人間、巨人、小人(地底人)、妖精などが出てくる壮大なスケールの作品なのです。神話、伝説、昔話といったものは、東西の違いはあるものの、人間真理の普遍的な面が捉えられているので、心理の面からも非常に重要になってくるのですね。
で、この『ワルキューレ』。半神半人の兄妹の愛と、神の王である父と戦士である愛娘の関係、という2つの軸が交差して響き合いながら物語が進展していきます。因みにワルキューレ(複:ワルキューレン)というのは、父(主神ヴォーダン)を守る9人の娘である女戦士たちのことであり、そのなかの長子である勇敢聡明なブリュンヒルデと父の関係に目が離せないのです。下世話な話になりますが、大手家具屋さんの父と娘の関係もこのようなものであったのだろうか…、などと勝手な妄想をしてみたり…。
長くなってしまったので、続きは次回ということにしたいと思います。
2016年10月15日
本日土曜日、やっと爽やかな秋晴れの日となりました。
瞑想でもゆっくりしたいような、心地よい季節です。
2016年10月12日
日経を読んでいたら「色弱」についての記事がありました(2016.10.2付)。
色弱者だけでなく全ての人に優しい色使いをする「カラーユニバーサルデザイン」の普及に努めている人の記事で、色弱者の特性を理解することがノーマライゼーション(社会の平等化)への一歩となり、理解とちょっとした工夫が職業選択の幅を広げるという主旨でした。
これを読んで、偉大な精神療法家であるミルトン・エリクソン(精神科医、心理学者)がかなりの色弱であり、紫色ははっきり識別できたために紫色のシャツや持ち物を愛用していたということをふと思い出しました。このエピソードを初めて知ったとき、正直、仕事に支障はないのだろうか…と思ってしまったのですが、そういうのは無知のなせるところなのでしょうね。
人は何らかのハンデを背負っても、社会の理解があって生活上の工夫をしたり、ハンデを補うような他の能力を発達させたりして、生活に順応できるようになるのですね。エリクソンくらいの人にまでなると常人には及ばない桁外れの観察力が身についてクライアントの変化を読み取っていたとのことですが、勿論ここまでいかずとも「可能性を探っていく、選択肢を広げていく」というのは大変面白いことだと思いました。
現在アメリカでは、ヒラリー対トランプの公開討論中(2回目が終わったところ)ですが、ヒラリーは「diversity:多様性、種々雑多」という言葉を使っていて、この点も両者の決定的な相違なのでしょうね。二人の討論をPBS放送で聞いていると、なかなか勉強になります。ヒラリーの英語は聞き取りやすく(勿論私には判らないところもありますが)、英語なんてわからずとも、如何に討論するか?というノンヴァーバルな態度を観察学習することが出来ます。話が逸れましたが…。http://www.pbs.org/video/2365860709/
2016年10月07日
ブログも滞りがち…
更新する時間がないので、せめて写真でも。
可愛い秋の訪問者
2016年10月02日
今週はこの香りが、街中のあちらこちらから風に乗ってやってきました。
2016年09月28日
読書の秋…
最近読んで面白かったのが、児美川考一郎著『キャリア教育のウソ』(2013,筑摩書房)という本です。著者は法政大学で教育学を教えている先生のようですね。
2000年以降に始まった中学や高校でのキャリア教育とは一体どのようなもので、それは本当に生徒や学生たちの役に立っているのかどうか、といったことを一般読者向けにとても分かりやすく書いています。中学生や高校生などのティーンエイジャーやその親御さんたちに是非参考にしてほしい文献です。参考にしてほしいと緩やかに書きましたが、この不安定な時代を生きていくには欠かせない論考だと思います。
臨床をしていると日々沢山の「自分が何をしたらいいのか、何をしたいのか、何が好きなのかわからない」という訴えをよくききます。これは職業的な問題を筆頭に人生全般に渡ることもしばしばです。こういう場合「少しでもやりたいことを見つけて失敗してもいいからtryしていきましょう」という助言はあまり役に立たず、「まずは目の前のことを丁寧に積み重ねて生きていきましょう」と言う方が有益なことが多いのですが、これが職業探しの話に限定されると、本当に「やりたいこと探し」の限界が自ずとやってきます。
著者は、キャリアを狭義に「仕事や職業」と定義することに疑義を呈しています。それは終身雇用や年功序列型賃金といった日本型雇用が崩壊しつつある社会において、夢だけ持たせるような、また「正社員」だけを目指すようなキャリア教育には構造的な限界があるからです。どういうことかと言えば、個人の努力の有無に関わらず、構造的に非正規社員やアルバイター、フリーターを必要とする社会が現代の社会なので、そのことを踏まえたキャリア教育が必要だと説いているのです。ですのでキャリアとは、専門職や職業という意味ではなく、「これまでの、そしてこれからの人生の履歴」であり、「節目や転機など変転の可能性を少なからず含むもの」として捉える必要があるのだといいます。
そして若者には、産業構造や職業構成の変化、労働の実態などの職業や仕事の理解を深める学習が大切で、その上で自分の「やりたいこと」「やれること」「やるべきこと」の3点から自己のキャリアを考えていくことが大事ではないかと伝えています。
10代、20代前半の若者向けに書かれたものなので、それがそのまま、それ以外の年齢層の現在迷っている大勢の人たちに向いている内容とは言えません。そのことを弁えずに読むと「結局は自己責任の問題になってしまうのか…」等という早とちりをしてしまいかねませんので、そこは注意が必要です。
2016年09月20日
19日敬老の日は、文京シビックセンターで研修を受けていました。今回参加したのは、自我状態療法の一種であるホログラフィートークという心理療法です。自我状態療法?ホログラフィートーク?聞き慣れない言葉だと思いますが、私も聞き慣れないので、復習と練習を重ねながら、少しずつ自分の内に取り込んでいきたいと思っています。
簡単に言えば、軽トランス状態下で過去のトラウマティックな出来事からの回復をはかっていくのですが、セラピストのガイドによって自分(クライアント)が過去の自分と交流し回復へと導いていきます。
創始者で講師の先生が柔和でとても女性っぽくてそこにウットリ~していましたが、そうじゃない(笑)、しっかり学ばないといけませんね。アドバンスコースもあるということですし…。
それにしても文京シビックセンターは立派なビルで、初めて訪れたと思っていましたが、確か文京シビックホールは音楽を聴きに来たことがありました。でもビルの上に昇ったのは初めてです。ここはいわゆる文京区役所ビルなんですよね?
25階には椿山荘のスカイレストランがあって、そこで昼食を取りました。約15分弱味わう暇も無く…。これは全く自分のせいで、レストランの横が展望スカイラウンジになっているので、しばらく東京都下の街を眺めたり、自分のオフィスはどこかな~と探して写真など撮っていたため時間が無くなってしまったのでした。