2015年06月16日
日々、amazon に頼った生活をしています。あまりに速達だと、この会社の従業員はどんな風に働いているのだろう?とやや心配になりますが、多岐に渡る品揃えの豊富さ、手続きの便利さにすっかり慣れてしまいました。でもね…。
欲しいと思って探していたセラピーの書籍が、なんと約5万円!90年代の、せいぜい3,000円くらいの本が、です。
こういうのは喉から手が出るほど欲しくても買わない。オークションじゃあるまいし、絶版のものを誰かが値をつり上げて売っているからです。誰かといっても、その本の価値を本当に知っている人ではなく、絶版かどうかを調べて扱っている業者さんなのでしょう。
古書事情に詳しい人に話を聞いてみたら、amazon で古書を買う場合まずは定価を調べ、古書価格がそれより高かったら「日本の古本屋」など他のサイトも調べてみるとのこと。う〜〜ん、確かに。今まで私が買っていた価格よりかなり安く出回っているものが多くありました。賢くならないと、ですね。
2015年06月14日
一週間が無事終わり感謝。
先程、窓の外を見たら、空の一部が鴇色の夕焼けでした。
梅雨の合間のほっとする一時です…。
早く帰ろ…。
2015年06月07日
先日、楽しみにしていたマグリット展へ行ってきました。この画家の作品は、中学か高校の美術の教科書に載っていた頃から何となく心惹かれるものがありました。シュールレアリスムから出発した画家で、きっと誰でも精神分析的な解釈をしたくなるような作品ばかりですが、正直に言ってとても難解でした。なかには一体どこが…という作品もありました。それでも、これだけ多くの人々に関心を抱かせるとは、優れた芸術のもつ力なのでしょうね。
今回の画集に掲載されていた論文を読んでいたら、マグリット自身は精神分析的解釈も心理学も激しく拒絶し、自分の過去も他人の過去も嫌悪し、幼少時の母の自死についても言及しなかった…とあり、益々この画家に対する興味が湧いてきました。作品は一体何の発露なのでしょうね…?もっと分かりやすく噛み砕いて書かれた論文があればいいのですが…。
↑ 「…世界の単一性は、分割されうる…。」
世界にたった一つの月でも、同じ月を観ている人はいない、のですよね。
2015年05月28日
だんだん蒸し暑くなってきましたね。でも帰るときは肌寒く、持ち物をなるべく減らしたいので着るものに困る毎日です。
さて、クライエントの皆さんがよく疑問に思っていらっしゃることに、「なぜ感情や感覚が大事なの?」ということがあると思います。思考(考え)と感情を分けるように、感情や感覚に気づくようにetc. ということを明に暗にお伝えしていると思うのですが、なかなか上手く入っていかず、論理的・抽象的思考や分析、説明などになってしまうことがあります。特に男性に顕著な傾向です。
じゃあなぜ、感情や感覚が大切なの?
この間出席した学会で、端的な説明がありましたので、ここにご紹介。
感情(情動)の2つの主な機能
① 行動システムのまとめ役と調整役:行動に移すのを助けてくれる。
② 増幅器の役割:自分の内面を他者に見せ、自分自身もそれに気付く。
つまり、感情や感覚(体の感覚)に目を向けてあげること・感じてあげることは、自分の行動に気づき、ひいては行動を変化させることにもなるのです。また自分が他者と、どのような対人関係を築いているか、ということに深く関わってくることなのです。セラピーの中で感情・感覚の取り扱いには十分な配慮が必要ですが、”頭”の座を脇に置き、感情や体の感覚などを主役にもってくることも大切なのです。
2015年05月17日
間もなく閉展のルーヴル美術館展へ足を運んできました。毎度の事ながら人が多くて疲れました。感想は?というと、う〜ん、額装がガラス張りになっているものが多く、光が反射して見にくかった。あれは致し方ないことなのでしょうかねぇ。それから、やはり一番の人だかりはフェルメールの作品でした。いつもながら小ぶりな作品でしたが、何故あれほど人々の心を打つのでしょうか…?
さほど興奮しなかったルーヴル展でしたが、近世の西欧絵画のランク付けなるものを知り勉強になりました。宗教画を頂点 とし、肖像画、風景画、静物画、風俗画、の順に価値付けされていたようです。そして今回の絵画展の醍醐味は風俗画で、市井の人々の暮らしぶりや各絵画に込められたアレゴリーなどは十分に楽しむことができました。
例えばこの『割れた水瓶』という1771年の作品。水瓶は子宮を暗に示し、つまりは処女性の喪失を意味するのだそうです。割れた瓶、はだけた服、少し見える胸、抱え込まれた乱れたバラは、失われた少女の純潔だそうで、画家はどういった意味を込めて描いたのか、気になるところでした。この絵を観て、女性の方は如何に…?
2015年05月08日
新緑の季節たけなわですね。今日はshort に写真のみ。
好きな花、鯛釣草(タイツリソウ)。鯛を釣っているみたいでしょ。どこに鯛を見るかは、上のようでいいのだろうか…?ケマンソウなど色々な名前があるようですが、アメリカでは「bleeding heart(血の流れる心臓、血の滴る心臓)」とも呼ばれているのだとか。確かに!
How do you feel ?
I am a bleeding heart now. (私は今、とっても悲しいの。)
なんて言い方ないものでしょうか、ね?
2015年04月26日
たまには真面目な映画ということで、今日は岩波ホールで上映中の『パプーシャの黒い瞳』という珠玉の作品のお話を…。大変美しいモノクロームの映像も見どころの作品です。
院生の時分、先生からよく言われていたのが、「(民族や文化の)多様性を認め合うことがとても大事」ということでした。多様性を認める、当然と言えば当然のことなのに、世界を見渡すとそんなに簡単じゃないことがわかります。日本でも一部、排除排撃の動きが目立つようになってきましたし、私自身、数年前電車内でリアルにそういった場に居合わせたことがあり、その時は本当にショックでした。ここで詳細は書けませんが、不穏な時代の到来を感じ、背中がゾッとしたのを憶えています。
この映画は、パプーシャという名前(愛称)のポーランドのジプシー女性詩人の一生が描かれています。(※作品に倣い’ジプシー’を使用します。)ご存知のように、ジプシーはどこにも定住せず、幌馬車で移動しながら集団生活を送る流浪の民です。文字を持たず、音楽を愛し、その生活の多くは謎のままと言われています。時代を経て次第に定住化させられ、子供たちは学校へやられ、大人たちは職をあてがわれていきました。パプーシャの生涯は20世紀初頭から後半に至るまで、戦争の惨禍や貧困と迫害の時代を生き抜いたものでした。
監督はこの映画の目的を、「政治的、民族学的な野心や意図をもったものではなく、激動の時代を生き抜いた一人の女性の芸術に生きる姿とその苦悩を描きたかった」としており、そこを汲み取るのは何より大切なことだと思いました。とはいえ、社会の周縁に生きる、よく知られていないマイノリティの一民族を取り上げているので、例えばマーラーやべートーベン、ゴッホなどの物語を観るようには鑑賞できませんでした。
私が作品を観て思ったのは、多文化理解という点で「何が正しくて何が間違っているか、そう簡単にはわからない」ということでした。
パプーシャは子どもの時にポーランド語の紙切れを拾ったことがきっかけで、文字に強く惹かれ、一族に内緒でユダヤ人の女性から文字を教えてもらいます。ジプシーにとって文字は、ジプシー以外の人間が使う、災いをもたらすもの。子どものパプーシャは禁忌を犯すことの痛みもおぼえながら詩情溢れる人物へと成長していき、いつしか偶然出会ったポーランド人青年のすすめから詩の制作をしていきます。ジプシーの世界では「詩は自然に口から流れ出てきて、そして自然にどこかへ流れていくもの」。なのでペンで紙に書き留めることに躊躇しながらも、やがてポーランド人青年の手によって彼女の作品やジプシーの生活が書籍化されます。
ところがこの出版。「ジプシーの秘密を暴いた裏切り者の女」として、パプーシャは一族から糾弾されます。一方、著者のポーランド人青年は、自分が書いた作品なのだから出版の中止はしないと主張します。パプーシャ一家の生活は更に困窮を極め、精神の均衡を失っていきます。元々パプーシャは一族の価値観と相容れない部分を幾つかもっていました。文字をおぼえたし、定住化して子どもが学校へ行けることは幸せなことだと望んでいました。しかし一族の大半の人たちは、どんなに貧しく苦しくても移動生活を好み、ジプシーの掟を尊びました。何が幸せなのか。多様性を認めるとはどういうことなのか、色々考えさせられます。
最近騒がれている「表現の自由」というものにも思いが及びます。「表現の自由は何をおいても守られるべきものだ」という考えは、絶対普遍の真理なのかと。いついかなる時もそれは守られるべきなのか…。自分たちの価値観を今一度相対化させることが大切な時代なのではないかと、この映画は伝えてくれていると思いました。