2015年05月08日
新緑の季節たけなわですね。今日はshort に写真のみ。
好きな花、鯛釣草(タイツリソウ)。鯛を釣っているみたいでしょ。どこに鯛を見るかは、上のようでいいのだろうか…?ケマンソウなど色々な名前があるようですが、アメリカでは「bleeding heart(血の流れる心臓、血の滴る心臓)」とも呼ばれているのだとか。確かに!
How do you feel ?
I am a bleeding heart now. (私は今、とっても悲しいの。)
なんて言い方ないものでしょうか、ね?
2015年04月26日
たまには真面目な映画ということで、今日は岩波ホールで上映中の『パプーシャの黒い瞳』という珠玉の作品のお話を…。大変美しいモノクロームの映像も見どころの作品です。
院生の時分、先生からよく言われていたのが、「(民族や文化の)多様性を認め合うことがとても大事」ということでした。多様性を認める、当然と言えば当然のことなのに、世界を見渡すとそんなに簡単じゃないことがわかります。日本でも一部、排除排撃の動きが目立つようになってきましたし、私自身、数年前電車内でリアルにそういった場に居合わせたことがあり、その時は本当にショックでした。ここで詳細は書けませんが、不穏な時代の到来を感じ、背中がゾッとしたのを憶えています。
この映画は、パプーシャという名前(愛称)のポーランドのジプシー女性詩人の一生が描かれています。(※作品に倣い’ジプシー’を使用します。)ご存知のように、ジプシーはどこにも定住せず、幌馬車で移動しながら集団生活を送る流浪の民です。文字を持たず、音楽を愛し、その生活の多くは謎のままと言われています。時代を経て次第に定住化させられ、子供たちは学校へやられ、大人たちは職をあてがわれていきました。パプーシャの生涯は20世紀初頭から後半に至るまで、戦争の惨禍や貧困と迫害の時代を生き抜いたものでした。
監督はこの映画の目的を、「政治的、民族学的な野心や意図をもったものではなく、激動の時代を生き抜いた一人の女性の芸術に生きる姿とその苦悩を描きたかった」としており、そこを汲み取るのは何より大切なことだと思いました。とはいえ、社会の周縁に生きる、よく知られていないマイノリティの一民族を取り上げているので、例えばマーラーやべートーベン、ゴッホなどの物語を観るようには鑑賞できませんでした。
私が作品を観て思ったのは、多文化理解という点で「何が正しくて何が間違っているか、そう簡単にはわからない」ということでした。
パプーシャは子どもの時にポーランド語の紙切れを拾ったことがきっかけで、文字に強く惹かれ、一族に内緒でユダヤ人の女性から文字を教えてもらいます。ジプシーにとって文字は、ジプシー以外の人間が使う、災いをもたらすもの。子どものパプーシャは禁忌を犯すことの痛みもおぼえながら詩情溢れる人物へと成長していき、いつしか偶然出会ったポーランド人青年のすすめから詩の制作をしていきます。ジプシーの世界では「詩は自然に口から流れ出てきて、そして自然にどこかへ流れていくもの」。なのでペンで紙に書き留めることに躊躇しながらも、やがてポーランド人青年の手によって彼女の作品やジプシーの生活が書籍化されます。
ところがこの出版。「ジプシーの秘密を暴いた裏切り者の女」として、パプーシャは一族から糾弾されます。一方、著者のポーランド人青年は、自分が書いた作品なのだから出版の中止はしないと主張します。パプーシャ一家の生活は更に困窮を極め、精神の均衡を失っていきます。元々パプーシャは一族の価値観と相容れない部分を幾つかもっていました。文字をおぼえたし、定住化して子どもが学校へ行けることは幸せなことだと望んでいました。しかし一族の大半の人たちは、どんなに貧しく苦しくても移動生活を好み、ジプシーの掟を尊びました。何が幸せなのか。多様性を認めるとはどういうことなのか、色々考えさせられます。
最近騒がれている「表現の自由」というものにも思いが及びます。「表現の自由は何をおいても守られるべきものだ」という考えは、絶対普遍の真理なのかと。いついかなる時もそれは守られるべきなのか…。自分たちの価値観を今一度相対化させることが大切な時代なのではないかと、この映画は伝えてくれていると思いました。
2015年04月19日
今夜は新月で明日は穀雨だそう。
新月のときに種を蒔くと良い、と聞きますが、本当なのでしょうか…。まだ試したことがありません。
種ならずとも、何でもいいから少しでも興味をもったことをかじってみる、というのは大切なことかもしれません。続こうが続かなろうが、趣味の範囲のことだろうがなかろうが、些細なことでも取りあえず無心に何かやってみる。
「自分が何をしたらいいかわからない」という人はかなりいますが、何かやっているうちにわかってくるかもしれません。根気よく自分と付き合ってみること。数行日記をつけるだけでも、全く違ってくると思います。
一枚の素敵な葉書が届きました。それは個展への招待状でした。御自分で開くのでしょうか…。嬉しく思いました。あ〜、駆けつけたい。でも、セラピストは職業柄(職業倫理上)行くことが出来ません。時折こうした発表会などへのお誘いがありますが、いただいたパンフレットやお便りを眺め想像しつつ、一人で楽しんでいます。そして遠くから応援しています。
2015年04月12日
昨夜は帰りに映画館へ。でもその話はまた今度。
6月に公開の『アリスのままで』も待ち遠しい。
主演のジュリアン・ムーアは、今年の米国アカデミー主演女優賞を見事初めて勝ち取りました。この人も存在感と雰囲気のある、美しい大人の女優ですね。若年性アルツハイマーの女性を演じているそうですが、ストーリー展開が単純ではないことを祈りつつ多いに期待しています。
それはそうと、2014年度の主演女優賞は『ブルー・ジャスミン』のケイト・ブランシェットでした。ケイト・ウィンスレットじゃなく、ね。あ〜紛らわしい。この映画の面白さは以前のブログでもとりあげたのですが、最近また字幕版で観て、あーそうだったのか!と非常に大事な点が全く抜け落ちていたことに気が付きました。飛行機の中の吹き替え版で観たので、じっくり鑑賞していなかったのです。
『ブルー・ジャスミン』はウッディ・アレン監督節の軽妙洒脱な印象の作品ですが、実は少し怖い?、いや、かなり怖い話なのだと改めて思いました。
「一つの家族、一人の女の人生が壊れていく話」と思っていましたが、実はそうではなく、もしやこれは、一種のファム・ファタール(男を破滅に向かわせる、運命の女)の話なのではないか…と。
一見、セレブ階級のジャスミンの生活が、セレブ特有の浮ついた「生」によって見事に崩れていく様と、その後のジャスミンのあがきを描いています。
でも本当は、虚栄の塊であるジャスミンの掌の上で、浅はかで軽率な夫は、実は彼女の思うように踊らされていたのかも知れません。「彼女は最初からファム・ファタールであった」と思う方が、この人物のパーソナリティの奥行きと陰影を捉えている気がします。
男性も、女性も、勉強になると思います。
2015年04月07日
ならぬ、
春は山々…
この時季、山は山桜のピンク色と芽吹きのうぐいす色に染まり、眺めているだけで若々しい気持ちになります。あ〜、いつまでもこういった気持ちは忘れたくないな。
ぼけ〜っとしてカメラを忘れたので何とも粗い画像ですが。
2015年03月29日
東京で桜が満開となったとか。混雑を思うと観に行く気力も湧かないのですが、やっぱり心はそぞろきますね。
2015年03月27日
ブログを書こうと思っていましたが、いやはや後回しに…。明日にしよ。時が経つのは早い…。