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心理 東京
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ブログ 心's LOOM
“決定的瞬間”
2013年02月10日
写真家アンリ・カルティエ・ブレッソン(1908-2004)の写真展『こころの眼』が終了間際だったので久々に銀座へ行ってきました。
“決定的瞬間”という言葉を聞いたことのある人はきっと多いですよね。彼の写真集(アメリカ版)のタイトルから来ていると知りました。以前映像で作品を見て、その時少し興味をもち、何しろ無料の展示会ということもあって行くことに。
アンリ・カルティエ・ブレッソンはシュールレアリスムに影響を受けた人。「風景のなかの幾何学的なものを捉える」(解釈が間違っているかもしれませんが…)と言うように、自然と建物と人物etc.がつくり出すモノクロの構図が正に幾何学模様のようで、世の中をこう見る人もいるのね…と面白く思いました。ふと頭の中で、セザンヌが「自然を球と円錐と円柱で捉えなさい」と言った言葉を思い出しました。
小規模な写真展はそれなりに楽しめました。
ただ、引き延ばすとどうも焦点がぼけているように思われる…。うーむ。古いアナログの作品だから仕方ないか…。
しかも、正直、よさがわからない作品も多い。
20世紀を代表する写真家ということですが、私の感性はまだまだその世界へ追いついていないのだろうと認識しました。
↓アンリ・カルティエ・ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)『こころの眼』リーフレットより
↑ ハートの女王の並木、と名付ける。叱られるかも…。
適応とは
2013年02月06日
先々日だかのABCニュースを見ていたら、興味深いニュースが流れていました。
それはアメリカ屈指の元狙撃兵(海軍特殊部隊所属)が射撃場で射殺された、というものでした。特殊部隊を引退してからは、テレビ番組に出たり著書もベストセラーになるなど「名狙撃手」として華々しい活動をしていたようです。(まるで映画の中の話みたいですね…。)また彼は、PTSD(post traumatic stress disorders :心的外傷後ストレス障害)に苦しむ帰還兵たちの支援活動もしていたそうです。
今回の事件の犯人は、正にPTSDに悩む元海兵隊員でした。
個人的な事件なのか事件の全貌はまだわかっていませんが、これから解明されていくことを願っています。
一つ気になるのは…。
元スナイパーによるPTSD支援活動とは、どのようなものだったのだろうか、ということ。
帰還兵のPTSDを癒し、また戦場に送り帰すことなのでしょうか。以前そういった、行動療法的?な治療の様子をニュースで見たことがあります。砲弾や銃弾が激しく飛び交う戦場さながらの仮想空間を作り出し、銃や装甲車などの操縦をトレーニングしていく、というものでした。シューティングゲームをイメージしていただければよいでしょうか。
この戦争によるPTSDの治療に心理学者が少なからず寄与しているとのことでしたが、ぞっとした恐ろしさを感じたものです。
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↑ 春が待ち遠しくチューリップ3本を買いに。
lighten
2013年02月03日
今夜は言葉少なめにphoto日記風に。
まだまだ寒さの続く地域では、光やキラキラしたものは気分の落込み予防に大切です。
この画像は昨年末の丸の内界隈。
(このとき愛用のカメラを地面に落とし、以後焦点が微妙に合わない。カメラは精密機械なんですね。)

愛の本質
2013年01月31日
先日『タンホイザー』(1843-45,ワーグナー作)というオペラを初めて鑑賞しました。
大変雑にまとめると、「官能の愛 vs. 純潔なる愛」に葛藤する一人の騎士(兼 吟遊詩人)の中世ドイツ(11-12c)の物語。禁断の地で官能の愛に耽溺し、社会や教会から追放され自暴自棄になった騎士が、最後は彼を慕う処女の昇天(死)によって救済される(騎士自らも昇天する)、というお話でした。
いつもオペラは、オペラを講義している教員の友人に連れて行ってもらうのですが、その人独特のユニークな教え方はこう。
「叶姉妹か、吉永小百合か。男は両方必要と…。」
えっ?、私の頭は飛躍し、じゃあ…。
吉原か、聖母教会か?
愛人か、良妻賢母か?
劇場の人いきれも手伝って、次第に眩暈。
……
話はそう単純なのではありません。
この鑑賞の前に、歴史学者の故阿部謹也先生が著した『西洋中世の男と女 聖性の呪縛の下で』(1990)という書物に出会っていたので、時代背景を比較的理解することができました。
西欧の中世はキリスト教が男女(夫婦)の在り方を深く微細に徹底的に規定していた時代です。例えば子作りのための交わり(その時一切の悦楽はダメ)はOKだが、それ以外は夫婦でもNG等。規定に背いたら教会で告解しパンと水だけで〇日間過ごす、といった贖罪をしなくてはならない等。そんな圧力の下での結婚ならしなくていいと思いますが、「聖なる結婚」は天国へ行くための関所の一つでもあったのだとか…。だとすれば当時は避けて通れないのですよね。
こういった時代背景を踏まえて…。
タンホイザー(騎士)は官能の女神ヴィーナスと乙女エリザーベトとの間で揺れ動くのですが、2人の女性の間で葛藤する話ではなく、男性女性双方、愛の本質とはなにか?とか、快楽と聖性なるものとの間でもがき苦しんでいた時代に、自分を裏切らず(裏切れず)、キリスト教の呪縛に悩み挑み続けた人の物語なのかもしれないと思いました。
……
私の目眩は第3幕で最高潮に達し、貧血を起こし、残念ながらクライマックスを見そびれました。ですから一番大事なところを見ていないのですけど…。
『ピクニック at ハンギング・ロック』
2013年01月29日
久しぶりにお気に入りの映画、『ピクニック at ハンギング・ロック』という1975年のオーストラリア映画を観ました。
これは大変怖い、興味をそそられる話なのですが、単純な恐怖映画ではありません。
時は1900年(ビクトリア朝終焉間近)、オーストラリア・ビクトリア州にある寄宿制の女子学院(collegeと表されていましたが10代後半くらいの娘たちの学校)が舞台。良家の子女たちが大半を占めるこの学校は、感受性が高くとても麗しい乙女たちの花の園です。但し、あくまでも一見。
事件は学校の行事であるピクニックの日に起こります。
生徒たち一行は、数百万年前の火山によって隆起した岩山(ハンギング・ロック)へと馬車で向かい、岩の下で一日を過ごします。南半球の暑く乾いた空気と土地、毒蛇やトカゲ、極彩色の鳥たち、幾つもの奇岩が連なるハンギング・ロック(イメージとしては妙義山?)。磁場の影響のせいか、何人かの時計が12時で止まってしまいます。一行はお茶を飲んだり詩を読んだり銘々緩やかな時間を過ごし…。そのうち数人の少女たちが岩山の奥深くへと登っていき、教師と2名の生徒が行方不明になるお話です。
事件なのか、事故なのか、神隠しなのか。
映画は柔らかく民族楽器的な音調のパンフルートの響きと共に進んでいきます。
荒々しさ剥き出しの岩々はオーストラリア土着の霊的なもののようにも感じられるし、一方、夢想的な思春期の女の子たちに見られがちな集団ヒステリー的な匂いもする。
以前この映画のパンフレットを見たときに、時代設定が女性に貞節や柔順、フェミニンさを要求していたビクトリア朝時代であることを忘れてはいけないというようなことが書かれていました。例えば、女性はコルセットで腰をきつく締め上げ、胸元など肌を露出することを禁じられていた時代。映画では「町を通り過ぎたら手袋を外してもよい」と許しが出ます。失踪した少女たちは、岩山の奥へ登りながら、靴も靴下も脱ぎ捨てていきます。
抑圧されていた女性たちの集団ヒステリー現象。私はそう睨みつつ、且つ神秘的なところを楽しんでいます。
(これは余談。自然描写の場面で、高い木の上に、ある真ん丸の動物が。コアラでした。コアラが日本へ来るのが1984年。もう30年経つんですね。)
互助努力
2013年01月22日
日曜日に録画したてのドキュメンタリーを観ていました。
観られた方も多いのではないでしょうか。NHK の『終の住処はどこに 老人漂流社会』。この類いのものを観ると気持ちがズシーンと深く深く落ち込むのですが、他人事ではないので極力目を通すようにしています。
ここのところ東京駅地下街などを歩いていると、高齢女性のホームレスの人や、認知症とおぼしきホームレス風のおばあさんなどを見かけることが度々あったので、煌びやかにリニューアルされたスポットとのギャップに衝撃を受けていました。(なかには真新しいブランド品をたっぷり身につけたホームレス風の人もいました…。全財産入った紙袋を幾つももって移動している感じなのです。)
豊かな企業年金層と年金6,7万円の層の歳をとってからの生活の違い。配偶者を失ったり頼れる子供がいなかったり、認知症や身体の不自由が生じてくると、一人で暮らすことは不可能になります。現行の介護環境を利用できない人たちは行き場を失い、短期間しか利用できない施設を転々と動かなくてはいけません。
なかには3畳一間3食付(介護・医療サービスなし)で13,4万というものもあって、これを貧困ビジネスといわないでなんというのかと愕然としました。一体、どこにお金が回っていくのだろうか…。
これを自助努力の問題で片付けるならば、そう遠くないうちに日本は世界のなかで貧しい元先進国になっていくだろうと思いました。ただ、暗澹たる番組の最後では一つの希望も見られました。それは一人の女性が私財をなげうってグループホームのようなものを立ち上げたこと(それとて利用料は上記並なのですが)。そこはまるで家庭のような感覚で、手足の利く高齢者は自分のやれることをして炊事などの家事を手伝う。互いに助け合っていくという、人が生きていくうえで大事な基本的姿勢がそこにはありました。
東京の陰でも…
『自分の人生を生きたかった男』
2013年01月16日
厳しい寒さが続いています。
ノロウィルスやインフルエンザが流行っているようですので、どうぞ気を付けてください。
アメリカではインフルが猛威ですよね。
寒ーい昨晩は、すごく変な映画を観ました。『ビッグ・ピクチャー(the big picture)』という2010年のフランスの映画です。big pictureは「大局」の意味。主人公がカメラマンなので「大きな写真」にも引っかけているのでしょう。原題は『L’homme qui voulait vivre sa vie』(←?◇〇☓△、読めませんが…)で、『自分の人生を生きたかった男』。なんというセンスのない、面白い題なのでしょうか。
あらすじはこんな具合。エリート弁護士が主人公。妻と子供に恵まれて端から見れば羨ましい生活。妻とはぎくしゃくしているので恵まれてはいないか…。とにかく形は整っている。だが妻が隣人の売れないカメラマンと浮気していることがわかり、主人公はそのカメラマンを軽はずみであやめてしまう。そこからが変。カメラマンの body を海に沈め、自分がそのカメラマンになりかわり、発展途上の国へ逃亡する。元々好きだったカメラをもって。やがてそのカメラが注目され、顔が割れそうになってまた命からがら逃亡し…という急転直下のストーリー。起承転結はない。
これを凋落とみるか、原題通りにみるかは観る側の自由なのでしょう。私が面白かったのはナヨナヨしたいかにもお洒落なフランス人が、土臭く力強くなっていくさまです。パリ→ユーゴスラビア→南米へと場所の移動と共に…。
なさそうでありそうな人生なのでしょうか。