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ブログ 心's LOOM

梅は咲いたか 桜はまだかいな♪

2013年03月03日

気がついたら3月になっていました。ろくに梅の花も見られず季節を失ってしまった感じがするのでせめて写真を掲げて…。(画材集よりプロのものを拝借)

先日は好物の桜餅を食べたっけ…。間もなく桜の季節ですね。今日は短く…。

梅の花.jpg

2.22

2013年02月21日

明日は2月22日。

「にゃんと猫の日」、と新聞デジタル版にありました。この頃新聞サイトを眺めていると、猫関連の話題に目がとまることが多いのは偶然でしょうか。駅長、館長、ロシアからの贈り物、事件絡みの首輪の猫などetc.etc.
まあどれも可愛くって写真そのものは猫好きにはたまらないのですが…、ご当地アイドル猫になってくると、猫の肩にかかってくる負担はいかばかりか?と心配になってきます。動物(ペット)を平和と友好のために扱うのならまだしも、人間の経済的利益のために使うとしたら、それはそれで動物に対する愛とはいかに?と思うのは穿った見方でしょうか…。1匹の動物をアイドル視するのと、保健所で殺処分されたり野良で虐待されている沢山の動物たちがいることは、どうもコインの表裏のような気がします。
明日はどんなニュースが流れるだろう…。
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2.22ねこの日

妙薬

2013年02月17日

明日は「雨水」。あまみずではなく、うすい。
雪が溶け始め、雪から雨に変わるころなのだそう。そのせいか最後の追いこみといわんばかりに、東京は連日厳しい寒さが続きますね。
今日のphotoはチョコレート。友チョコならぬ自分チョコ2粒。たまには…。
バレンタインチョコ

体罰と暴力

2013年02月13日

地下鉄車内のCMを度々眺めていて思ったこと。
パパとママの間に座っている三つ編みの幼い女の子(マリオネット風のお人形)が、「わたし、幸せだよ」と明るく話しながら、脚には痣があったり包帯を巻いているものがあります。
調べたら神奈川県が作成した児童虐待防止キャンペーンのCMでした。都内の車内でも流れていたし映画館でも見たことがあるので、もしかしたらテレビでも放映されているのかもしれません。各地の自治体にも似たようなものが沢山あるようですね。
↓ 神奈川県のもの
http://www.youtube.com/watch?v=hgMB-ryDscI
最近、教師やコーチによる体罰問題が大きく扱われるなか、私も友人たちとこの話題をすることが多くなりました。いくつかあった意見が、「全ての体罰を画一的に禁止するのはおかしいし危険な発想」「愛情のある体罰、その子の将来を見据えた体罰もある」「体罰を受けた子が指導教官の愛情を感じている場合もあって、それまで禁止するのはどうか」というものでした。外国人のなかには「頭や顔は問題だけど、言うことを聞かないときのスパンク(お尻の平手打ち)なら OK. No problem. 」という意見もあり…。
色々な立場の人の神経を逆撫でしそうで難しい問題だと思いますが、私としてはやはり体罰に反対です。なぜ反対かといえば、「相手の恐怖心や屈辱心に訴えることによって体罰の効果を出すことを狙いとしている」という大前提は否めないからです。また体罰や暴力は、それを受けた側をCMの女の子のような「否認」の心理状態に追いやるからです。本当はとても傷ついて怯えて怖いのに、心の痛みを感じないように愛情にすり替えてしまう。「大変な悪事をしたときに、いつもは手を上げない親が珍しく手を上げた。そこに親の愛情を感じた…」というのとは訳が違うのです。
でもね、体罰を受けた側にばかり目が向けられて、体罰をした側の精神についてはほとんど取り沙汰されないように思うのですが、それはなぜでしょうか…。バシバシひっぱたいたり蹴ったり髪をひっぱったりして顔や体を腫れ上がらせ、死ね等の暴言を吐いた側の精神状態は深い取材や調査の対象にはあまりならない。
アメリカでも体罰問題が話題になっているらしく、木の板でスパンクされた7,8歳くらいの男の子のことが報道されていました。全体が真っ赤に腫れ上がったお尻を、その子のお母さんが写真に撮り問題提起をしました。ここまでする必要があるのかと。
小さな子どもが悪ふざけをしたりぐずったり、十代の青少年たちの素行の悪さに手が付けられなくなったり、バシッと力で決めないとどうにもならないような状況というものも心情としては理解できなくはないけれど、養育・指導する立場にある大人たちは、「それが子どもにどういった影響を与えるのか」だけではなく、「自らの行為の暴力性」について改めて考えてみる必要があるのではないでしょうか。
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みどりのしずく

“決定的瞬間”

2013年02月10日

写真家アンリ・カルティエ・ブレッソン(1908-2004)の写真展『こころの眼』が終了間際だったので久々に銀座へ行ってきました。
“決定的瞬間”という言葉を聞いたことのある人はきっと多いですよね。彼の写真集(アメリカ版)のタイトルから来ていると知りました。以前映像で作品を見て、その時少し興味をもち、何しろ無料の展示会ということもあって行くことに。
アンリ・カルティエ・ブレッソンはシュールレアリスムに影響を受けた人。「風景のなかの幾何学的なものを捉える」(解釈が間違っているかもしれませんが…)と言うように、自然と建物と人物etc.がつくり出すモノクロの構図が正に幾何学模様のようで、世の中をこう見る人もいるのね…と面白く思いました。ふと頭の中で、セザンヌが「自然を球と円錐と円柱で捉えなさい」と言った言葉を思い出しました。
小規模な写真展はそれなりに楽しめました。
ただ、引き延ばすとどうも焦点がぼけているように思われる…。うーむ。古いアナログの作品だから仕方ないか…。
しかも、正直、よさがわからない作品も多い。
20世紀を代表する写真家ということですが、私の感性はまだまだその世界へ追いついていないのだろうと認識しました。
↓アンリ・カルティエ・ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)『こころの眼』リーフレットより
アンリ・カルティエ・ブレッソン
↑ ハートの女王の並木、と名付ける。叱られるかも…。

適応とは

2013年02月06日

先々日だかのABCニュースを見ていたら、興味深いニュースが流れていました。
それはアメリカ屈指の元狙撃兵(海軍特殊部隊所属)が射撃場で射殺された、というものでした。特殊部隊を引退してからは、テレビ番組に出たり著書もベストセラーになるなど「名狙撃手」として華々しい活動をしていたようです。(まるで映画の中の話みたいですね…。)また彼は、PTSD(post traumatic stress disorders :心的外傷後ストレス障害)に苦しむ帰還兵たちの支援活動もしていたそうです。
今回の事件の犯人は、正にPTSDに悩む元海兵隊員でした。
個人的な事件なのか事件の全貌はまだわかっていませんが、これから解明されていくことを願っています。
一つ気になるのは…。
元スナイパーによるPTSD支援活動とは、どのようなものだったのだろうか、ということ。
帰還兵のPTSDを癒し、また戦場に送り帰すことなのでしょうか。以前そういった、行動療法的?な治療の様子をニュースで見たことがあります。砲弾や銃弾が激しく飛び交う戦場さながらの仮想空間を作り出し、銃や装甲車などの操縦をトレーニングしていく、というものでした。シューティングゲームをイメージしていただければよいでしょうか。
この戦争によるPTSDの治療に心理学者が少なからず寄与しているとのことでしたが、ぞっとした恐ろしさを感じたものです。
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チューリップ
↑ 春が待ち遠しくチューリップ3本を買いに。

lighten

2013年02月03日

今夜は言葉少なめにphoto日記風に。
まだまだ寒さの続く地域では、光やキラキラしたものは気分の落込み予防に大切です。
この画像は昨年末の丸の内界隈。
(このとき愛用のカメラを地面に落とし、以後焦点が微妙に合わない。カメラは精密機械なんですね。)

丸の内界隈


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