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心理 東京
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ブログ 心's LOOM
ノア・ノア…
2013年04月27日
GW の始まりですね。
とはいえ、この時期が憂鬱な方も結構多いのではないでしょうか。それぞれ置かれた状況から、浮かれ気分で過ごせない人もたくさんいることと思います。
私もGW はあまり関係なく、行けないけれど気分だけはと随分前から旅行パンフレットをパラパラめくっていました。そして取りあえず関連した本を読んで楽しむことにしました。
それは、画家ポール・ゴーギャン著の『ノア・ノア タヒチ紀行』。
海や山など、ああ、畏怖の念を抱くほどの大自然に触れたいなあ…と溜息をつきながら世界方々のパンフレットを見ていたら、この本を教えられました。
ゴーギャンが1850年代半ば、西洋文明から逃れてたどり着いた南洋諸島の一つ、タヒチ島での生活を綴っているものでした。画家は、そこに2年間滞在し、その後一度フランスへ帰国し、再び戻って更にヨーロッパ化の波から隔たれた島で孤独に最期を迎えていました。『ノア・ノア』はその最初の2年間の滞在記です。
彼は最初、タヒチをこう記しています。”そこは、依然としてヨーロッパであった。私が逃れてきたと信じているヨーロッパそのままなのだ。植民地風の軽佻な空気、滑稽にさえ思われる幼稚にして奇怪な模倣が、今なお次第に悪化していく国なのだ。…” けれども彼は、原始文明への憧れを捨てきれずに追い求め、現地の村落に入って言葉をおぼえ、村民と一緒に生活をしていきます。例えば年に一度のまぐろ漁に一緒に出かけ魚を仕留めているところなど、大変エネルギッシュで行動的な人だとわかります。観光やバカンスで行くのとは訳が違うのです。並大抵の精神なら真似できないことでしょう。
でも、この本はただの紀行文ではありませんでした。
むしろ「悲恋の物語」。女性の視点から読んでいたのかもしれません。
ゴーギャンは祖国に妻と子どもたちがいながら、幼い14歳の少女を現地の妻にしています。(19世紀半ばなのでこの歳での結婚はあり得るのでしょう。)随分身勝手な男性だと思うのですが、この2人のやり取りがなんとも瑞々しく清らかで心を打つのです。少なくとも文章からは、純度の高い恋であることがひしひしと伝わってきます。
なのに、彼はこの関係を簡単に踏みにじります。家庭の事情でフランスに戻ってしまう。結局、西洋文明をあれほど嫌いながら、逃れようとはしないゴーギャン。しがらみというよりは、画家として名を馳せたいという野心もあったようです。やがて、再会の後に少女は彼の元を去り、祖国の妻も離れていったとのこと。当然と言えば当然の帰結でしょう。芸術活動の代償が孤独とは、なんとも寂しいものですが、ゴーギャンの苦しみとは一体どのようなものだったのでしょうか…。この1冊だけからは知る由もないのですが。
因みに、ノア・ノアとは、香気ある・芳しい、の意だとか。
いろいろな土地土地に、男と女にまつわる話があるということが、大変面白いなと思います。
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お遊びで
2013年04月19日
4月に入り個人的に何か新しいことでも始めようと思い、ハングル語の勉強を始めました。と言っても勉強と言うほどのものではなくテレビで語学勉強〜♪、のとても気楽なスタイルのもので、旅したときに挨拶ぐらいできればいいかなという動機で臨んでいるので気持ちはとても楽ちん。1週間に1回30分の番組を録画して学び、まだ2回目。何だか…、今まで韓流文化にちっとも興味がなく、ハングル語のハの字も知らなかったので、色々なことが新鮮で面白い。
一部漢字の影響もあり、文法の語順なども、日本語と近い面があるのですね。カムサハムニダ(ありがとう)のカムサは「感謝」だとか、アンニョンハセヨ(こんにちは)のアンニョンは「安寧」とか。文字・発音と難しいところもあるけれど、共通点もあるので親しみを覚えています。
私たちは教育過程で「英語、英語」と本当にうるさいほど言われてきていますが、もっと近接地域の身近な語学を勉強した方が、未来の平和に断然役立つような気がしてきました。韓国語、中国語、ロシア語辺り? というわけで今頭の中にハングルをたたき込んでいるのですが、東京から遠い地方の最寄り駅の案内板が、日本語・英語・中国語・ハングル語で書かれていたことに初めて気がつきました。知らなかった…。
桃源郷のような
2013年04月12日
春の風景を見つけたので…
杏源郷でした。

銀座シネパトス
2013年04月05日
歌舞伎座が新しくなりこけら落としとなったようですね。歌舞伎については、どうしてもコントに見えてしまうので一度しか観たことがないのですが、新しくなった建物をいつかは観たいものです。
それより先日知った、45年間続いた「銀座シネパトス」閉館のニュース。東銀座にほど近いところにあった、地下の映画館。随分昔、疲れたときやサボタージュしたいときに一人で行っていた映画館でした。マイナーな邦画などが多かったような…。
古い寂れた地下にある映画館で、地下へ向かう階段を下りていくと、赤提灯なんかが多く、昼間からおじさんかお店の人かわからない男性たちがうろうろしていました。有楽町駅線路下の飲み屋街のような、昭和の空気漂うくたびれた趣のところでした。映画館はその一角にあり、鑑賞中、地下鉄(日比谷線?)が通ると音がよく聞こえなかった記憶があります。でもそれは、もしかしたら別の映画館だったかもしれない。
とにかく都会のあなぐらみたいなところで、昼間は人も少なく、映画を観て存分に泣いても大丈夫。不協和音に満ちた日常から遊離した空間であったのは確かでした。この跡地は一体何になるのでしょう…。
相克
2013年03月31日
先日初めて観たヴェルディ作のオペラ『アイーダ』。ジェラシー(嫉妬)と愛の相克の壮大な物語でした。
舞台は古代エジプト。主な登場人物は、エジプトの王女アムネリスと軍隊指揮官のラダメスとエチオピアの王女アイーダ。アイーダは奴隷として王女アムネリスに仕える身であり、身上を伏せて生活しています。
物語の核は三角関係で、王女はラダメスのことが好きなのに、ラダメスとアイーダは密かに愛し合っている。王女は、ラダメスと自分より身分の低いアイーダが相思相愛なのに薄々感づき、次第に嫉妬の炎を激しく燃え上がらせていきます。〈嫉妬の思いが私の身を苦しめる〉と切々と歌うシーンは大変胸を打つものがあります。
やがてエジプトはエチオピアを完全制圧し、武勲を立てたラダメス諸共、凱旋の歓喜にあふれかえります。その陰には、祖国の陥落を悲しみながら、ラダメスに対する愛情に苦しむアイーダがいます。ラダメスを愛することは祖国を見限ることなのですから。
ラダメスは戦勝をおさめたことから祖国エジプトへの愛国心を募らせていき、いつか奴隷身分のアイーダと一緒になりたいと願っていますが、やがてアイーダの素性を知ることで運命が大きく変わっていきます。
王女アムネリスは、自分を妻に選ばなかったラダメスに対する怒りと嫉妬と、嫉妬に駆られたアムネリスの行動が発端で祖国エジプトを裏切ったかどでラダメスが処刑を免れざるをえなくなったことに、深い苦悩と絶望、悲嘆の感情にとらわれていきます。
物語は展開だけを見れば悲劇的な結末を迎えます。
地下牢に生き埋めになったラダメスと、先にそこに潜んでいたアイーダは、死の床で永遠に結ばれるのです。
三者とも、ある感情と、それに衝突する感情の狭間で、激しく揺れ動き、苦悩しますが、最後は、王女アムネリスの祈り(愛)によってこの悲劇が昇華されるように見て取れたのは、美しく清らかな最終幕の演出のせいでしょうか。
ラダメスとアイーダが地下牢でも一緒だとアムネリスが知ったならば、アムネリスの心情はいかに?更に嫉妬の業火に苦しむのか、或いは己の罪深さに苦しむのか、それは一体どうなのでしょう?…と思いましたが、作者がそうはしなかったところに「人間という存在への信頼と愛」を感じたのでした。
時間
2013年03月26日
今年は桜をほとんどまともに見ていません。
まあ、こういう年もありかなと…。
唯一、仕事の後一日、夜桜を見に千鳥ヶ淵まで歩きました↓。暗闇過ぎてなぜかあまり感動せず、すぐに退散。水面に映っている桜をとったつもりなのですが。
↓こちらは去年の千鳥ヶ淵。
円環的時間と直線的時間の交差。
こうして花によって、また一年経ったのだな…としみじみ思います。
春
2013年03月21日
とてもきれいなプロの画像があったので掲載…