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心理 東京
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ブログ 心's LOOM
近隣散策:ニコライ堂の鐘
2013年06月18日
ここのところまた映画熱が再燃してきており、昨夜も面白いものを観たのですがそれはまたの機会に…。
今日はphoto日記風に。
先日お茶の水へ歩く機会があり、途中ギリシャ正教のニコライ堂を仰ぎ見てきました。よく山や建築物などを男性的 or 女性的と形容しますが、私にとってニコライ堂はおばさん的。どっしりしていて大らかで柔らかい感じがするのです。でもこの印象は、幼少期の勝手なイメージ&思い出が複雑に絡み合ったでっち上げなのかも…。いつか鐘の音を聴いてみたいものです。
映画『We Need to Talk About …』
2013年06月12日
母と子の関係はなんて難しいのだろうと思います。
↓ これは先日観に行ったラファエロの『聖母子』。マリアの顔は柔和で慈悲に満ちており、絵画全体として吸い込まれるような美しさでした。
ヨーロッパの母子の原形はこれなのかもしれませんが、人間の母子の関係性が困難に満ちているからこそ、至るところに強迫的に聖母子像が見られるのではないかと思ってしまいます。
でも、今回取り上げたいのは『聖母子』ではなく、先日観た映画『少年は残酷な弓を射る』(2011・英)のこと。原題は『We Need to Talk About Kevin』(我々はケビンについて話す必要がある)。少年刑務所にいるティーンエイジャーのケビンとその母の物語で、映画はケビン(第一子)の出産前後から現在に至るまでを回想の形式で進んでいきます。
乳児の時から激しく泣き、扱いが難しいケビン。母親が抱くと泣くのに父親が抱くと機嫌が良くなる赤ん坊。母親の初めての育児がぎこちないのか、それとも子が母に懐かないので更に母がぎこちなくなるのか…。
幼児になるとケビンの母に対する反抗(映像からは憎しみにさえ映ります)は更に度を増し、トイレをなかなかおぼえなかったり、わざとうんちをしたり、睨んだり憎まれ口を叩いたり、母の前でこれ見よがしに父親にだけ愛着を示したりと(このように書くと普通の子なのですが)、ちょっとこの子はダミアン?と思わせるような演出です。
憎しみは愛情の裏返しですが、なぜこんなに母親を苦しめるのでしょうか。いや、実は愛情を求めているのに過ぎないのだ、と言ってしまえばそこまでで、母が何をしようとも母と子のボタンの掛け違いは続きます。
母親は名の知れた冒険家で、独身時代のようなキャリアを諦めざるを得ない形で子育てに関わっていきます。たぶん色々な感情を抱えながら家庭に入り、ケビン、そして第二子を設けていくのだろうと思います。
こういう映画を観ると、なぜケビンのような残忍冷酷な子ができたのだろうか、という原因論で観てしまいがちになりますが、因果関係は明瞭にわからない作品です。母親は彼女なりに懸命にケビンに関わるし、手を挙げないし(一度だけ払いのけたときに骨折させてしまう)、夫婦仲も悪くない。
ただ幾つか思ったのは、あまり感情の表出をしない母であるということ。その子の前で決して泣いたり弱音を吐かない。そして一見協力的で申し分のない父親は、妻の子育ての苦悩を真剣に聴こうとしない。「そんなの男の子ならよくあることさ」のノリ。
母がケビンを押しやって腕を骨折させてしまったとき、ケビンは父の前で「自分でやった」と嘘をつきます。母をかばったというわけではなく、母の反応を見たいがための嘘のようでした。母は自分がしたことや幼い息子の反応に戸惑いながらも、そのことを夫に話しません。罪の意識から話せなかったのかも知れません。
もちろんこれはフィクションだけれど、家族の物語は誰が悪くて誰が悪くないという、単純なものではないということを考えさせる衝撃的な作品でした。だからこそ 、We Need to Talk About Kevin なのかもしれないなと…。
『風立ちぬ』
2013年06月08日
この夏の楽しみが一つできました。
それは映画。といってもアニメ。宮崎駿監督の『風立ちぬ』。
これは絶対に映画館で観たいなと思いました。
私にとって『風立ちぬ』といえば、松田聖子ではなく(古い?)、堀辰雄の小説です。
思春期に何度となく読み返し、水晶のような硝子のような純粋な男女の精神世界に没頭していました。あまりこういう作品ばかり読んでいると、現実とのギャップに打ちのめされますが…。
主な舞台は高原の結核療養所(サナトリウム)。暗い死の影が常に二人の足下にあるという、死を扱った小説(翻って、生を扱った小説)で、漠然とした不安感を抱きながら読んでいたのを憶えています。
さて宮崎アニメの『風立ちぬ』は、この小説のモチーフを借りながら、筋は全く違う話のようですね。ゼロ戦を作った青年技師の夢と挫折の話だとか。もうTVCMなどやっているのでしょうか?
夏休み映画ということなのでしょうが、果たして子どもたちはどこまで理解できるのか、大人の方が観たい作品かもしれないなと思いました。
しずく
2013年06月01日
今日から6月。今月が終われば一年の半分が経過したことになります。月日の経つのは本当に早い。
以前、森田療法の本を読んでいたら「たった一度の一生」というフレーズが出てきて、あー本当にそうだなーと、当たり前のその言葉の重みを改めて感じるようになりました。
そして6月は雨の月。湿度も高く、季節柄鬱々とした気分になる人も多いと思いますが、雨は私たちの糧を育てる大事な恵みの雨でもあるわけで…。
あまり関係ないけれど(ちょっと自由連想的に)、前回のブログでご紹介した『貴婦人と一角獣』シリーズの天幕の模様。
↓ この、ブルー地の上のちょろぎのような模様です。
これは「涙」を表しているのだとか。炎という説もあるけれど、涙のほうがこの時代にぴったりくるのだそう。中世ヨーロッパでは、男性が恋愛において涙を流すのはよくあることで、別に女々しくないといいます。フルフルとした涙模様の布地。なんだか可愛いなと思います。
涙も雨も、浄化してくれるようなところがあるように思います。
6つの感覚
2013年05月23日
ヨーロッパ経済が不況なため、今年は普段あまりお目にかかれない貴重な芸術作品がぞくぞく日本へ来ていると聞きました。芸術作品の出稼ぎ、ですね。確かに、見渡せば行きたい展覧会が目白押しです。
今週は、15世紀末の作品、『貴婦人と一角獣 The Lady and the Uicorn 』というタペストリー展を観てきました。これはフランス・クリュニー中世美術館のもので、海外に渡るのは2度目なのだそう。それほど大切なものなのでしょうね。
ユニコーンという想像上の生き物やこのモティーフに関心はあったけれど、何より一連(6枚のタペストリー)の作品のテーマが心理学や心理療法でも大切な事柄だったので、催しを知るやいなや足を運びました。
そのテーマとは、6つの感覚。
6枚のタペストリーは順に、「触覚」「味覚」「嗅覚」「聴覚」「視覚」、そして最後は「我が唯一の望み」と題が付けられています。(元々題があるのではなく、そう読み取れるのだそうな。)
それぞれのタペストリーは、重層的に寓意を読み取ることができると言います。たとえば、貴婦人はマリアでユニコーンはキリストとか、ユニコーンは恋愛の象徴だとか、他の小動物や草花はこれこれしかじかを表しているとか、解釈は様々にでき、また観る者が自由に自分を投影してもいいのだそうです。
素直にみるならば、最後の「我が唯一の望み」とは、「第六感」、「五感を統べるもの」、「心」なのだとか。或いは、「愛」や「理解」、「自由意志」、「結婚」などとも解釈できるようです。
画像は「我が唯一の望み」。ポストカードの一部を写真に撮ったもので、実物はもっと重厚感があります。因みに他の5枚は、「味覚」なら貴婦人が角砂糖をオウムにあげていたりと、すんなり理解できます。唯一の望み、とは一体何なのか。たとえば貴婦人の所作は、宝石を身から外して箱にしまうところなのか、それとも身につけようと箱から出しているのか、どちらの解釈も出来るようです。私は身を飾る宝飾品を外し、禊ぎ(テント)に入るような印象を受けたのですが、いかがでしょうか…。
↓拡大
『”あなた”の人生をはじめるため…』
2013年05月12日
『”あなた”の人生をはじめるためのワークブック』
↑ 今、私が通勤時に読んでいるものです。車中でこれを広げて我ながら笑ってしまったのですが、なんとも大袈裟なネーミングではないでしょうか。
じゃあ、なに?、今までの人生は誰の人生だというわけ?、とでも言いたくなるような表題ですが、これは第三の認知行動療法といわれるアクセプタンス&コミットメントセラピー(通称アクト、ACT)という心理療法のワークブックなのですね。
因みに原題は、『 Get out of your mind & into your life 』
直訳すると「あなたの心から出て、あなたの人生に入ろう」となってよくわかりませんが、この場合の心( mind )とは、「心の理性的な面、思い悩むこと、思考etc.」であり、mind を多少「頭」に近いものと捉えると日本人にはよくわかるな…と思いました。
この療法は、私たちがもっている、記憶、体験、思考、感情、身体感覚等を、ポジティヴなものもネガティヴなものも全てそのまま積極的に受けとめるという、心理的柔軟性を培って「今を生ききる」ことを目指しています。ネガティヴなものからポジティヴな面を引き出したり、解釈を変えてポジティヴなものにはしません。
例えば、思い出したくないような不快な記憶。人間なら誰しもあるでしょう。これらが頭の中で反芻したり、時々顔を覗かせて私たちを苦しめるとき、人はよく最終的に「気にしないようにする。もう気にしていない」という回避行動をとります。ですがこれは、却ってその記憶や記憶に喚起される感情を強めてしまうといいます。
これらといったいどう付き合って生きていけばいいのか、これがACTモデルの目指すところなのですが、例えば「私を好きになってくれる人なんかいない」というネガティブな思考。
ACTでは、「私を好きになってくれる人なんかいない」という思考 ≠ 私 というふうに捉えていきます。「私」と「私が考える思考(私を好きになってくれる人はいない)」、とは決して等価ではないと。そんなこと言ったって私は自分のことを否定的に思っているし、実際誰も好きになってくれないんだ、と反論する人もいるかと思いますが、思考は思考に過ぎないことをこの療法を通じて体感していくのです。
本の中にこんなたとえがありました。
「あなたは雲ではなく空」「あなたは波ではなく海」
流れていく雲や繰り返し押し寄せる波一つ一つは、一つ一つの感情、感覚、思考といった、mind なのですね。mind に過ぎないのです。このメタファーを知ると、Get out of your mind & into your life というのがイメージとして把握しやすくなりますね。本書の言葉を借りれば、「あなたの人生という広い海に飛び込んでみよう」、なのです。
↓ これは春に見たレンズ雲mind?
のどかに…
2013年05月05日
休日に田舎の空気を吸ってきました。
まあ、どこも普段より人が多いのだけれど、やはり緑のあるところへ行くと心が蘇るというか、眼の疲れがとれる感じがします。
写真は葡萄の木の下に生えるたんぽぽ。
たんぽぽコーヒーというものも飲みました。根を焙煎したものだそうでこれで2度目。味はほぼコーヒー。言われなければ私にはコーヒーです。美味。

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