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心理 東京
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ブログ 心's LOOM
『ある秘密 Un secret』
2013年07月20日
『ある秘密 Un secret』という2007年のフランス映画を観ました。久々に出会った珠玉の作品でした。
ナチス占領下のフランスが舞台の歴史映画なのですが、大がかりな歴史ものというよりは、ある秘密を抱えた家族の物語で、夫と妻、母と息子 etc.の二者関係の心理描写がよく描かれているなと思いました。
主人公は虚弱体質で運動の苦手な10歳ぐらいの少年。元運動選手の両親に育てられているのですが、親と比較して何となく肩身の狭い思いをしながらも、母親の飛込(水泳)の美しさに見とれて静かに尊敬していたり、とても繊細な感性の男の子です。
この子の空想の世界には「運動神経が良く、できのいいお兄さん」というのがいて、事あるごとに兄を想いながら暮らしています。こういった子どもの空想は児童文学のなかでよく見られますよね。感受性の高い or 不安の高い子どもたちは、ファンタジーのなかに好きな子どもや興味ある子どもを作り上げて、あたかも実在するかのように交流をします。たとえば、赤毛のアンも鏡の中の女の子と話をして、自分の寂しさや孤独を慰めていました。
ですが、この映画は「空想の兄が実は…」というひねりがあります。
そして、男女の愛や欺瞞、疑惑、罪悪感などが、戦争が引き起こす不幸や悲しみを更に深いものにする、ある家族の物語なのです。男女の愛は時にとても残酷で、見ていられないほどでしたが…。
少年はきっと、親や周囲の大人たちの顔色や態度を鋭敏に感じ取り、兄の存在を無意識的に知り、隠された過去を再び浮上させ、家族の再構築をしたのかもしれないなと思いました。
そら
2013年07月08日
昨日は七夕でしたね。あんまり関係ないなと思いながらも、帰りに夜空を見上げてみました。神保町ではわずか1つの星が、微かに弱い光を放っていただけでした。
朝のニュース番組で「星空」特集があり、なんでも最近星空観察が静かなブームであり、観察会のツアーが人気とのこと。高原などに泊まりながら観察するようですが、都会の夜空で星を見るコツも報じられていました。それは視界に入ってくるネオンの光を手やモノを使って遮るのだとか。
やってみたら、確かに視界が暗くなる…。目を凝らせば星も、ちら、ほら、見えてきそうな気がしますが、うーん、やはり無理。視力検査をやっているような気分です。きっと皇居など森があるところへ行けば違うのでしょう。星空の見えない七夕は、まったく気分が盛り上がりません。
そういうわけで、夜空がだめなら夕方の空ということで、画像は束の間のバニラスカイを撮ったもの(画像にすると良さが半減どころかもっと減りますが)。こういう朝や夕の空を眺めると、気持ちがぐっと広くなる気がします。
グループダイナミクス
2013年06月30日
明日から7月。
今日は居残りをし、カレンダーを替えて締めくくり。新たな気持ちです。
さて、本日は午後、ACグループワークに参加してきました。
10数人のグループで、カウンセリングルームのなかでは味わえない、グループの力動を肌で感じてきました。
今回のアプローチは、何でも『複合トラウマは体に宿る』という理論がベースにあるらしく、強く声を出したり体(筋肉)を激しく使ったりする、初めて体験するインパクトの強いものでした。かなり圧倒され、一日目はひどい頭痛が生じたくらいです。得意なアプローチではありませんが、なるほどなと思えるヒントが随所に示されており非常に勉強になりました。苦手だなと思った方もいると思いますが、そう思うのも大切な意見で、感じていいことだと思います。
それはそうと、2週にわたる、2日間のグループが、最初は見知らぬ者同士の緊張の出会いから始まり、何度も山を越え、最後の方は手に手を取り合って(文字通り)唱和し、ベルカーブを描くように終焉に向かったこの流れ自体が、希有なものに思えて心動かされました。
「私は人の期待どおりに動かない」「人は私の期待どおりに動かない」というフレーズが改めて響いてきます。
グループワーク
2013年06月27日
ブログ更新からあっという間に1週間以上経ってしまいました。
日曜日はカウンセリングルームを途中で抜け出して、友人が主宰するグループセラピーに参加してきました。グループの力(正も負も併せて)を肌身で強烈に感じたボディワーク?系のワークショップで、まだ来週もあります。体と心、感情について、思ったことは後日書きます。
今日は睡魔がひどくこれにて…。今週は、というべきか…。こういうのもワークの影響なのでしょうか…。
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↑ 神田明神。日本初のコンクリート製のお社なんだそうな。
近隣散策:ニコライ堂の鐘
2013年06月18日
ここのところまた映画熱が再燃してきており、昨夜も面白いものを観たのですがそれはまたの機会に…。
今日はphoto日記風に。
先日お茶の水へ歩く機会があり、途中ギリシャ正教のニコライ堂を仰ぎ見てきました。よく山や建築物などを男性的 or 女性的と形容しますが、私にとってニコライ堂はおばさん的。どっしりしていて大らかで柔らかい感じがするのです。でもこの印象は、幼少期の勝手なイメージ&思い出が複雑に絡み合ったでっち上げなのかも…。いつか鐘の音を聴いてみたいものです。
映画『We Need to Talk About …』
2013年06月12日
母と子の関係はなんて難しいのだろうと思います。
↓ これは先日観に行ったラファエロの『聖母子』。マリアの顔は柔和で慈悲に満ちており、絵画全体として吸い込まれるような美しさでした。
ヨーロッパの母子の原形はこれなのかもしれませんが、人間の母子の関係性が困難に満ちているからこそ、至るところに強迫的に聖母子像が見られるのではないかと思ってしまいます。
でも、今回取り上げたいのは『聖母子』ではなく、先日観た映画『少年は残酷な弓を射る』(2011・英)のこと。原題は『We Need to Talk About Kevin』(我々はケビンについて話す必要がある)。少年刑務所にいるティーンエイジャーのケビンとその母の物語で、映画はケビン(第一子)の出産前後から現在に至るまでを回想の形式で進んでいきます。
乳児の時から激しく泣き、扱いが難しいケビン。母親が抱くと泣くのに父親が抱くと機嫌が良くなる赤ん坊。母親の初めての育児がぎこちないのか、それとも子が母に懐かないので更に母がぎこちなくなるのか…。
幼児になるとケビンの母に対する反抗(映像からは憎しみにさえ映ります)は更に度を増し、トイレをなかなかおぼえなかったり、わざとうんちをしたり、睨んだり憎まれ口を叩いたり、母の前でこれ見よがしに父親にだけ愛着を示したりと(このように書くと普通の子なのですが)、ちょっとこの子はダミアン?と思わせるような演出です。
憎しみは愛情の裏返しですが、なぜこんなに母親を苦しめるのでしょうか。いや、実は愛情を求めているのに過ぎないのだ、と言ってしまえばそこまでで、母が何をしようとも母と子のボタンの掛け違いは続きます。
母親は名の知れた冒険家で、独身時代のようなキャリアを諦めざるを得ない形で子育てに関わっていきます。たぶん色々な感情を抱えながら家庭に入り、ケビン、そして第二子を設けていくのだろうと思います。
こういう映画を観ると、なぜケビンのような残忍冷酷な子ができたのだろうか、という原因論で観てしまいがちになりますが、因果関係は明瞭にわからない作品です。母親は彼女なりに懸命にケビンに関わるし、手を挙げないし(一度だけ払いのけたときに骨折させてしまう)、夫婦仲も悪くない。
ただ幾つか思ったのは、あまり感情の表出をしない母であるということ。その子の前で決して泣いたり弱音を吐かない。そして一見協力的で申し分のない父親は、妻の子育ての苦悩を真剣に聴こうとしない。「そんなの男の子ならよくあることさ」のノリ。
母がケビンを押しやって腕を骨折させてしまったとき、ケビンは父の前で「自分でやった」と嘘をつきます。母をかばったというわけではなく、母の反応を見たいがための嘘のようでした。母は自分がしたことや幼い息子の反応に戸惑いながらも、そのことを夫に話しません。罪の意識から話せなかったのかも知れません。
もちろんこれはフィクションだけれど、家族の物語は誰が悪くて誰が悪くないという、単純なものではないということを考えさせる衝撃的な作品でした。だからこそ 、We Need to Talk About Kevin なのかもしれないなと…。
『風立ちぬ』
2013年06月08日
この夏の楽しみが一つできました。
それは映画。といってもアニメ。宮崎駿監督の『風立ちぬ』。
これは絶対に映画館で観たいなと思いました。
私にとって『風立ちぬ』といえば、松田聖子ではなく(古い?)、堀辰雄の小説です。
思春期に何度となく読み返し、水晶のような硝子のような純粋な男女の精神世界に没頭していました。あまりこういう作品ばかり読んでいると、現実とのギャップに打ちのめされますが…。
主な舞台は高原の結核療養所(サナトリウム)。暗い死の影が常に二人の足下にあるという、死を扱った小説(翻って、生を扱った小説)で、漠然とした不安感を抱きながら読んでいたのを憶えています。
さて宮崎アニメの『風立ちぬ』は、この小説のモチーフを借りながら、筋は全く違う話のようですね。ゼロ戦を作った青年技師の夢と挫折の話だとか。もうTVCMなどやっているのでしょうか?
夏休み映画ということなのでしょうが、果たして子どもたちはどこまで理解できるのか、大人の方が観たい作品かもしれないなと思いました。