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心理 東京
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ブログ 心's LOOM
“絶景でげす”
2013年12月25日
↑ のセリフを聞いてピンと来る方は余程のファンの方かと…。
私も教えてもらった口なのですが、漱石の『坊っちゃん』に出てくるのですね。赤シャツと野だいこと坊っちゃんが釣りをしようと船で沖合へ出向いたとき、岩と松の小さな島が見える。海は凪の状態。
“絶景でげす。” と野だいこ。
そして野だいこは島をターナー島と名付けました。ターナーの絵のなかに出てくる松にとてもよく似ていたからです。
でげす、というのは四国の方言かと思いきや、どうも昔の男性言葉のようですね。芸人、職人、通人ぶった人が使った言葉とありました。響きが面白いし、さも絶景の感じがする。
今月、ターナー展最終日、無理矢理足を運んできました。漱石がロンドンで鑑賞し、『坊っちゃん』のなかで野だいこに言わしめたものは、下の作品ではないだろうかと説明書きがありました。美しい松の木です。こんな松の木が瀬戸内海の島々にはあるのでしょうか…。どことなくこの松、陸前高田のあの一本松にも似ている。あの松の木は今はどうなったのか…。
こんな話を書いたのは、お正月にでも『坊っちゃん』を読んでみようと思ったから。多分小中学生のとき以来。
坊っちゃんは今から見れば被虐待児であったし、後世に映像化されたものを見ると新米先生の奮闘記のように思われますが、実はかなり複雑な心性の人物だと思います。漱石は坊っちゃんに、「ターナーは何のことか知らない。ターナー島でなく、青島で結構…」というような冷めたことを、盛り上がる赤シャツと野だいこを尻目に心の内で思わせているのですね。

話す
2013年12月15日
年の瀬ですね。
丸の内でスノーホワイトの巨大ツリーを見かけました。
その帰り、電車が人身事故に遭い、1時間以上車内にとどまることになりました。
事故の詳細は一切知らないことを承知のうえで思うのが、クリスマス、お正月と世の中が浮かれるシーズンは、メンタルヘルスに携わる身としては少々複雑なシーズンであるということ…。
誰にも相談できずに悩んでいる人、孤独感や淋しさ、虚しさetc.に苦しんでいる人は、一人で抱え込まないで、思い切って身近なところの心理カウンセリングを受けられることをおすすめします。費用がなければ”いのちの電話”など、無料の電話相談をしている専門機関もあります。
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『ハンナ・アーレント』
2013年12月01日
たまには映画館で真面目なものをということで、神保町の岩波ホールで『ハンナ・アーレント』という映画を観てきました。この作品、岩波で久々の大ヒット作品のようで、昼の部のみならず夜の部もとても混んでいました。岩波は通常中高年の鑑賞者で圧倒的に占められるのですが、大学生くらいの若い人たちも多かった!
ハンナ・アーレントとはドイツ出身の政治哲学者・思想家。ユダヤ人女性で、ナチス政権下のドイツからフランスの収容施設を経てアメリカへ亡命し、様々な大学で教鞭を執った人です。
1960年、ナチス親衛隊の中佐であったアイヒマンが逃亡先の南米で捕らえられたことを知ったアーレント。アイヒマン裁判の傍聴を希望し、その模様やアイヒマンという人物についての考察をアメリカの雑誌に掲載します。その内容のために、ユダヤ社会から猛反発をくらい四面楚歌の状態になっていく。精神的、社会的に追い込まれながらも、ものごとを理解しようと懸命に努め、気丈に主張していく女性でした。
アーレントは、600万人のユダヤ人を絶滅収容所に輸送したこの人物(アイヒマン)を、ユダヤ社会が望むような「極悪非道な人非人・悪人」としてみたのではなく、「むしろ上層部の意向に非常に忠実な、命令に従っただけの、思考を放棄した人物」として捉えました。彼は妻の誕生日には花を贈るような(この行為、ヨーロッパでは普通らしい)、ごく普通の人だったのです。
「あなたはユダヤ人を愛していないのか?」と親友に問い詰められ、「私は友を愛する」と答えたアーレント。
人物記としても非常に面白かったし、またアイヒマンの裁判模様は記録映像を使っているので、史実物としても大変興味深いものがありました。アイヒマンの「(組織や社会の仕組みは)どうせ変わらない…」という発言。何を言っても何をしてもどうせ変わらない…、という無気力な感じや閉塞感。これがアーレント言うところの「思考の放棄」なのかもしれない、であるならば自分を含め誰にでもあるものだ、と恐ろしさを感じました。
(彼女の著作は難解すぎて眠剤の役目を果たしてしまうので、こうして映画を観て学ぶのもありだと思いますが、よく知っている人に聞くと「映画は映画」。彼女の思想を必ずしも正しく伝えているわけではないようですが…。)
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この裁判の翌1961年に、以前少しブログに取り上げたことがある、ミルグラム,S.のアイヒマン実験という社会心理学史上有名な心理実験が行われました。ご興味のある方はミルグラム教授の書いた著作『服従の心理』をお読みになればと思いますが、この実験を一言で表すと(妥当性の問題を残しつつ)、「人は簡単に権威者の命令に従って残忍なことができる(暴力的な役割を遂行できる)」というものでした。
↑ 昨年末の東京駅
安息
2013年11月20日
近所に女性専用の「おひるねカフェ」なるものが昨日openしたことをニュースで知りました。おひるね10分150円。カフェでは軽い食事もできるとか。お昼寝スペースは1つの大部屋。でも各ベットにはレースの天蓋があるので、他の人たちとはほどよい距離感を保てそうです。疲れたときに一度行ってみたいと思います。懐かしい?保健室感覚、ですね。
ここ神保町界隈は出版社が多く女性編集者をはじめ、働く女性たちを狙った事業のようです。でも営業時間は平日8:00-18:00のみ。一体、仕事を抜け出せる人ってどれくらいいるのでしょう?それに色々な立場の女性にも需要があると思うので、せめて土日もやったらどうなのかしら。家事や子育てに疲れている人、ぶらりと本を買いに来て疲れて休みたい人もきっといるはずです。
↑『考える人』
母子像
2013年11月06日
秋深まる上野の森へ、終了間近のミケランジェロ展に足を運んできました。
そろそろミケに会いに行かなくちゃ…と行ってみたら、自筆サインは「Miche langelo Buonarroti」(Michel angelo、ではなくね)とあったので、あながちミケで過ちではなかったのです…。
くだらない話はともかく、企画展としてはハァァ……というもの。美大生や研究者なら面白かったのかもしれませんが、手紙や素描、資料が多くて絵画作品がほとんどない(涙)。素人にはあの連休の人だかりのなかで集中するのは辛かった。
それでも心に残ったのは『階段の聖母』。これはミケランジェロが15才頃の作品で、大理石の板に彫られたものです。
私は聖母子や古今東西の母子像を観ることが好きで、それは宗教的な解釈などはさておき、宗教的な特殊性のなかに人間の母子関係の普遍性が垣間見られたり、それぞれの画家が母子関係をどう捉えて表しているのか、といったことが理由としてあげられます。
この聖母子像は、聖母マリアはうつろな目を階段のほうに投げかけており、幼子イエスの将来を案じているのかもしれない、というような解説がありました。因みにマリアの後方にいる子供たちが何をしているのかは定かではないそうです。カーテンのような布をいじっている?
15才のミケランジェロがこの作品で何を描きたかったのかも興味深いものですが、慈悲に溢れた聖母(母親)像ではないところが面白いなと思います。
もしかしたらこの母は疲れているのかもしれない。お乳を吸う子どものことより別に何か憂うべきことがあるのかもしれない。そのようなことを色々勝手に妄想しながら、母性神話をくずす一枚かもしれないとも思って鑑賞していました。
一期一会
2013年10月29日
くつろげる場所ということで…
多摩動物公園へ行ってきました。ここに熱帯植物が育てられ、色とりどりの蝶が無数に舞っているユートピアがあり、それはそれは夢の中のようなのです。
更なる目的は、実はここで生息している2羽のハチドリに会うためだったのですが、今回は1羽にも会えませんでした。そして帰って調べてみてがっくり。今年の3月に天国へ逝ってしまい、それをもって繁殖を諦めたとのことでした。ハチドリは輸入もとても難しい種だそうです。宝石のような最小の小鳥との出会いは、たった一度だけだったのかもしれません。
秋?
2013年10月25日
10月も末だというのにまた台風が近づいてきていますね。これ以上各地で被害がないことを祈ります。
たった今、千代田区で大雨警報が発令されました。明日の東京の予報は、風やや強しで雨は少ないよう。でもどうなることやら…。
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↓ 多摩のどんぐりたち。
