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心理 東京
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ブログ 心's LOOM
猛暑ですね…
2014年07月25日
心頭滅却すれば火もまた涼し、といいます。熱帯夜も同じか…と思いつつ、ここ2,3日は夜中に目が覚めます。夜中に熱中症になることも多いようなので、水分補給はまめにしましょうね。
imperceptibly
2014年07月22日
一昨日は演劇を研究している友人らと早稲田大学にある演劇博物館を訪れました。気にはなっていたものの在学時は素通りしていた建物に初めて足を踏み入れました。演劇の良さはとんとわからないのですが、サミュエル・ベケット展をやっているというので誘われたのです。
サミュエル・ベケットってご存知ですか?私は名前と作品名『ゴドーを待ちながら』と、この作品がストーリーやプロットがないように感じられる「不条理作品」ということくらいしか知りませんでした。普段、不条理ものの映画はたま〜に観るのですが、鑑賞後は唖然とするか、怒っているか、時間の無駄遣いだった…と後悔するか。
それが今回の展示を見て、この作品が生まれた時代背景や、時代や国境を超えて何度も繰り返し上演されている経緯などを知ると、興味が湧いてきました。民間航空機が爆撃されたり、世界のどこかで国家的な殺戮が繰り返されていることを思うと、今の時代にもぴったり合う作品だと思い、早速アマゾンで注文しました。
ベケット展がわからずとも、この坪内逍遙演劇博物館はそれ自体昭和3年の建物と言われています。空襲でも大丈夫だったのか再建したのかはわかりませんが、古い館内は大変趣があって面白いし、入館も無料。誰でも入ることが出来ます。
ベケット展の副題は、 The door is imperceptibly ajar.-ドアはわからないくらいに開いている-
The door を勝手に「心のドア」と置き換えてみていました。
cotton candy の季節
2014年07月18日
ふぅ…。今日は外に出るとやや涼しく、オフィスに入ると蒸し暑い。エアコンの適温って案外難しいものです。暑い日中ほとんど室内にいると体温調節が鈍ってくるようで、お昼時間などはまめに太陽を浴びるよう外を歩きます。ここのところ、朝、お昼を買い込んで室内から出ず、帰るときは夜という生活を送っていたら、日中どれくらい暑いのか想像が及ばなくなってきていました。
ここ神保町はなかなか活気がある街で、外に出て街中を少し観察しているだけでいい気分転換になります。
お昼の時間帯はそこかしこから老若男女がワッと出てきて、行列の出来ているお店なども多々あり、そのエネルギーに驚かされます。暑い昼間からよく並ぶと思うし、焼き肉とか天ぷらとかフライものなどよく食べられるな〜と感心します。周辺の本屋さんも混んでおり、休憩時に本を探しに寄るのでしょうね。
入りたいな…と思う喫茶店も横目で見ながら(この界隈は雰囲気ある有名な喫茶店が多いのですが、混雑時は愛煙家向きのお店ですね)、そういう世の中の喧噪からちょっと距離を置きつつ、適当に用事を済ませて戻るのがなかなか楽しいのかもしれません。
さて、下の画像は一体何でしょう?
これでわかるかな?
帰りに駅でお祭りをやっていたのでちょっと懐かしい綿菓子を。子どもたちの群れに人酔いした後、甘すぎて胸焼けしました。もうそんな時季なのですね。
スマホ依存
2014年07月16日
昨日の「クローズアップ現代」だったでしょうか(録画で観るのでいつのか確認しておらず)。小・中学生のスマホ依存対策について取り上げていました。ある自治体は夜9時以降はやってはいけないという規則を設けたようですが、これから先どうなっていくのでしょうね。
小・中学生のみならず、高校生、大学生もスマホ依存は多いと思われるし、大人もどうなのでしょうか。最近多いなと感じるのが、電車の乗り降り時に悠長にスマホをいじっている人。ラッシュ時など既にベルが鳴って、尚まだ乗っていない人が沢山いるときでもお構いなし。その人の世界に完全に没頭しているようです。
6月頃のコラムか何かで読んだ記事に、「中学生が一日一時間以上スマホを使うと学習成績が低下する」という東北大の先生が行った統計調査をとりあげたものがありました。これはスマホに没頭して勉強時間がなくなったからではなく、スマホを使用した後しばらくは前頭葉が麻痺するためではないか、ということでした。スマホ時間も勉強時間も多い子より、スマホ時間も勉強時間も少ない子の方が、テストの平均点が高かったそうです。また、一日一時間以内スマホを使う場合は、全く使わない子よりも、頭が活性化されて点数が良くなるようです。
じゃあ、たとえば最初に2時間勉強し、その後スマホを1時間以上使って寝たら、勉強効果は損なわれるのでしょうか。詳しい内容はわかりませんが、スマホ使用と脳の関係について研究や議論が活発になることを願います。子どもの脳は、大人の脳と違うということも大切な点ですよね。

一人の内の3人の女性
2014年07月13日
さて、先日のブログで取り上げた『ホフマン物語』。感想はこれが今まで観たなかで一番の演出でした。
詩人ホフマン青年の恋愛遍歴の展開は、
①お人形のように可愛らしい娘(オランピア)への恋→②芸術を追い求める元歌手の娘(アントニア)への恋→③手練手管に長けた年増女(ジュリエッタ)への危険な恋、という具合に進み、3人の女性役を一人のソプラノ歌手が見事に演じきりました。
同性の立場からみても、これはやはり一人の女性の3つの側面なのだ、という思いを強くしました。女性の要素の最大公約数的なところをとったらこうなるのではないでしょうか。
②番目の恋愛などは、これはもう一つの普遍的な「家族問題ないし女性問題」として私は観ていました。
元歌手のアントニアは、父から歌を禁じられ、代わりにバイオリンをやるように命じられます。父親は、ちゃらちゃらしている詩人ホフマンとの恋愛も禁止し、二人が会わないように家を引っ越してしまいます。歌を禁止され、恋人とも引き離され、アントニアは苦しみます。
やがてアントニアを探し当てたホフマンは、アントニアは肺病のために歌を禁じられていることを知ります。そして恋人に理由を告げぬまま、「歌をやめて自分と結婚して家庭を作って欲しい」と願いでます。
自分のやりたいことするのか or 愛する人との家庭を選ぶのか
そこへアントニアの医師が「本当にやりたいことを諦めていいのか」とアントニアを唆します。「唆す」という言葉を使ったのは、オペラのなかで医師は悪魔的な人物だからですが、この問は極めて全うなものとも言えると思います。「自分を捨てていいの?」という問。
アンビヴァレントな思いに激しく苦しむアントニア。そこへ母の声(歌)が聞こえてきます。アントニアの母は元歌手で、既に同じ肺病で亡くなっている人。その母の歌ですが、やはり娘に「歌うように」唆しているようにしか聞こえない。この演出の場面が面白いのです。苦しむアントニアの後ろに、母親役の歌手の顔がドーンとスクリーンに映し出されるのです。しかもレントゲン写真のようにモノクロで映し出され、お歯黒を塗ったような歯と唇が浮かび上がり、顔全体が骸骨のようですこぶる怖い。アントニアと母親と悪魔的な医師との歌が重なりあって盛り上がっていきます。
アントニアの葛藤は深まります。
芸術か(自分のしたいことか) vs. 家庭をもつことか
恋人への想い vs. 恋人への不信
父の愛か vs. 恋人の愛か
父の願いか vs. 母の夢か
究極的には、生か vs. 死か
元来、母と娘は同性ゆえに近しい存在。一卵性的密着も激しい葛藤も、心理的距離が近いことの表れであり、問題を孕みやすい危うい関係です。そこを切るのが父親や恋人の役割とされていますが、結局、アントニアは母の夢を生き、歌うことを選び、亡くなってしまうのです。とにかく、あの亡霊のようなお歯黒母の演出。きっと演出家も、アントニアの生き方を単なる悲劇や格好いい生き方(死に様)として捉えていたのではないように思います。
あれれ、男性の恋愛成長ものの話をしたかったのに、女性の生き方の話になってしまいました。まあ、一人の女性のなかには、オランピアとアントニアとジュリエッタが共生しているということを、男性たちには知ってもらいたいなと思います。
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今日は満月
2014年07月12日
昨日のお月様も、皓々とそれはそれはきれいでした。
早く帰ろう〜。

『ホフマン物語』
2014年07月06日
久々にオペラを観にいく予定。オッフェンバック作の『ホフマン物語』。好きな作品なのでこれで何度目でしょうか。ホフマン(1776-1822)はドイツ・ロマン派の作家で(特に幻想文学で有名)、ホフマン物語はこの人の小説をモチーフに編まれた作品となっています。
それでホフマン物語がどういう内容なのかというと、一言でいえば、詩人ホフマンが体験する3つ(ないしは4つ)の恋愛の物語。ホフマンが主人公で、酒場で酒に酔ったホフマンが語る過去の恋愛話(しかもどれも悲恋)が展開されていくのです。
一つ目は、深窓の令嬢である若い娘(実は自動人形だった!)への恋。
二つ目は、高級娼婦への恋。ダイヤに目が眩んだ娼婦に、結局は手ひどく裏切られる。
三つ目は、病床に伏す、元歌手の娘への恋。娘は亡き母(歌手)の影響が色濃く、歌っては体に障るのにその誘惑に負け、歌いながら亡くなってしまう。
オペラは演出によって、4幕 or 5幕で演じられ、2つ目の恋愛と3つ目の恋愛が入れ替わったりするようです。詳しい人の話によると、これは1人の女性の3つの側面であるとも読み取れるし(これは結構納得!)、また1人の男性の成長譚でもあるのだといいます。男性の恋愛成長ものだとすると、最初は、外見重視の幼い恋→女性(熟女)に弄ばれる手痛い恋→純愛(されど相手は一卵性母娘?)、といった具合でしょうか?或いは、幼い恋→純愛→危険な恋?まあ、もっと深く丁寧に観ていけば、いろいろ面白く紐解けるでしょうね。
1幕目を観たとき(自動人形への恋)、このお話をどこかで既に観たことがあると思ったのですが、フロイトが『不気味なもの』という論文のなかで詳しく取り上げていたことに気付きました。自動人形への恋は、ホフマンの小説『砂男』から翻案されているのですが、この小説の主人公の男性は去勢不安に駆られた人物であると、フロイトは詳しく面白く分析しています。
さて、今回の演出はどのようなものでしょうか?3人の女性を全て1人の歌手が演じるとのことですし、一体どういうことになるのか楽しみにしています。