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心理 東京
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ブログ 心's LOOM
しずく
2013年06月01日
今日から6月。今月が終われば一年の半分が経過したことになります。月日の経つのは本当に早い。
以前、森田療法の本を読んでいたら「たった一度の一生」というフレーズが出てきて、あー本当にそうだなーと、当たり前のその言葉の重みを改めて感じるようになりました。
そして6月は雨の月。湿度も高く、季節柄鬱々とした気分になる人も多いと思いますが、雨は私たちの糧を育てる大事な恵みの雨でもあるわけで…。
あまり関係ないけれど(ちょっと自由連想的に)、前回のブログでご紹介した『貴婦人と一角獣』シリーズの天幕の模様。
↓ この、ブルー地の上のちょろぎのような模様です。
これは「涙」を表しているのだとか。炎という説もあるけれど、涙のほうがこの時代にぴったりくるのだそう。中世ヨーロッパでは、男性が恋愛において涙を流すのはよくあることで、別に女々しくないといいます。フルフルとした涙模様の布地。なんだか可愛いなと思います。
涙も雨も、浄化してくれるようなところがあるように思います。
6つの感覚
2013年05月23日
ヨーロッパ経済が不況なため、今年は普段あまりお目にかかれない貴重な芸術作品がぞくぞく日本へ来ていると聞きました。芸術作品の出稼ぎ、ですね。確かに、見渡せば行きたい展覧会が目白押しです。
今週は、15世紀末の作品、『貴婦人と一角獣 The Lady and the Uicorn 』というタペストリー展を観てきました。これはフランス・クリュニー中世美術館のもので、海外に渡るのは2度目なのだそう。それほど大切なものなのでしょうね。
ユニコーンという想像上の生き物やこのモティーフに関心はあったけれど、何より一連(6枚のタペストリー)の作品のテーマが心理学や心理療法でも大切な事柄だったので、催しを知るやいなや足を運びました。
そのテーマとは、6つの感覚。
6枚のタペストリーは順に、「触覚」「味覚」「嗅覚」「聴覚」「視覚」、そして最後は「我が唯一の望み」と題が付けられています。(元々題があるのではなく、そう読み取れるのだそうな。)
それぞれのタペストリーは、重層的に寓意を読み取ることができると言います。たとえば、貴婦人はマリアでユニコーンはキリストとか、ユニコーンは恋愛の象徴だとか、他の小動物や草花はこれこれしかじかを表しているとか、解釈は様々にでき、また観る者が自由に自分を投影してもいいのだそうです。
素直にみるならば、最後の「我が唯一の望み」とは、「第六感」、「五感を統べるもの」、「心」なのだとか。或いは、「愛」や「理解」、「自由意志」、「結婚」などとも解釈できるようです。
画像は「我が唯一の望み」。ポストカードの一部を写真に撮ったもので、実物はもっと重厚感があります。因みに他の5枚は、「味覚」なら貴婦人が角砂糖をオウムにあげていたりと、すんなり理解できます。唯一の望み、とは一体何なのか。たとえば貴婦人の所作は、宝石を身から外して箱にしまうところなのか、それとも身につけようと箱から出しているのか、どちらの解釈も出来るようです。私は身を飾る宝飾品を外し、禊ぎ(テント)に入るような印象を受けたのですが、いかがでしょうか…。
↓拡大
『”あなた”の人生をはじめるため…』
2013年05月12日
『”あなた”の人生をはじめるためのワークブック』
↑ 今、私が通勤時に読んでいるものです。車中でこれを広げて我ながら笑ってしまったのですが、なんとも大袈裟なネーミングではないでしょうか。
じゃあ、なに?、今までの人生は誰の人生だというわけ?、とでも言いたくなるような表題ですが、これは第三の認知行動療法といわれるアクセプタンス&コミットメントセラピー(通称アクト、ACT)という心理療法のワークブックなのですね。
因みに原題は、『 Get out of your mind & into your life 』
直訳すると「あなたの心から出て、あなたの人生に入ろう」となってよくわかりませんが、この場合の心( mind )とは、「心の理性的な面、思い悩むこと、思考etc.」であり、mind を多少「頭」に近いものと捉えると日本人にはよくわかるな…と思いました。
この療法は、私たちがもっている、記憶、体験、思考、感情、身体感覚等を、ポジティヴなものもネガティヴなものも全てそのまま積極的に受けとめるという、心理的柔軟性を培って「今を生ききる」ことを目指しています。ネガティヴなものからポジティヴな面を引き出したり、解釈を変えてポジティヴなものにはしません。
例えば、思い出したくないような不快な記憶。人間なら誰しもあるでしょう。これらが頭の中で反芻したり、時々顔を覗かせて私たちを苦しめるとき、人はよく最終的に「気にしないようにする。もう気にしていない」という回避行動をとります。ですがこれは、却ってその記憶や記憶に喚起される感情を強めてしまうといいます。
これらといったいどう付き合って生きていけばいいのか、これがACTモデルの目指すところなのですが、例えば「私を好きになってくれる人なんかいない」というネガティブな思考。
ACTでは、「私を好きになってくれる人なんかいない」という思考 ≠ 私 というふうに捉えていきます。「私」と「私が考える思考(私を好きになってくれる人はいない)」、とは決して等価ではないと。そんなこと言ったって私は自分のことを否定的に思っているし、実際誰も好きになってくれないんだ、と反論する人もいるかと思いますが、思考は思考に過ぎないことをこの療法を通じて体感していくのです。
本の中にこんなたとえがありました。
「あなたは雲ではなく空」「あなたは波ではなく海」
流れていく雲や繰り返し押し寄せる波一つ一つは、一つ一つの感情、感覚、思考といった、mind なのですね。mind に過ぎないのです。このメタファーを知ると、Get out of your mind & into your life というのがイメージとして把握しやすくなりますね。本書の言葉を借りれば、「あなたの人生という広い海に飛び込んでみよう」、なのです。
↓ これは春に見たレンズ雲mind?
のどかに…
2013年05月05日
休日に田舎の空気を吸ってきました。
まあ、どこも普段より人が多いのだけれど、やはり緑のあるところへ行くと心が蘇るというか、眼の疲れがとれる感じがします。
写真は葡萄の木の下に生えるたんぽぽ。
たんぽぽコーヒーというものも飲みました。根を焙煎したものだそうでこれで2度目。味はほぼコーヒー。言われなければ私にはコーヒーです。美味。
話は変わり、最近お問い合わせメールの返信が届かず戻ってくるケースが増えています。携帯アドレスですと、PCメールが迷惑メールとしてシャットアウトされる場合があるようです。返信が届かない方は、PCメールかお電話でお問い合わせ下さい。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
ノア・ノア…
2013年04月27日
GW の始まりですね。
とはいえ、この時期が憂鬱な方も結構多いのではないでしょうか。それぞれ置かれた状況から、浮かれ気分で過ごせない人もたくさんいることと思います。
私もGW はあまり関係なく、行けないけれど気分だけはと随分前から旅行パンフレットをパラパラめくっていました。そして取りあえず関連した本を読んで楽しむことにしました。
それは、画家ポール・ゴーギャン著の『ノア・ノア タヒチ紀行』。
海や山など、ああ、畏怖の念を抱くほどの大自然に触れたいなあ…と溜息をつきながら世界方々のパンフレットを見ていたら、この本を教えられました。
ゴーギャンが1850年代半ば、西洋文明から逃れてたどり着いた南洋諸島の一つ、タヒチ島での生活を綴っているものでした。画家は、そこに2年間滞在し、その後一度フランスへ帰国し、再び戻って更にヨーロッパ化の波から隔たれた島で孤独に最期を迎えていました。『ノア・ノア』はその最初の2年間の滞在記です。
彼は最初、タヒチをこう記しています。”そこは、依然としてヨーロッパであった。私が逃れてきたと信じているヨーロッパそのままなのだ。植民地風の軽佻な空気、滑稽にさえ思われる幼稚にして奇怪な模倣が、今なお次第に悪化していく国なのだ。…” けれども彼は、原始文明への憧れを捨てきれずに追い求め、現地の村落に入って言葉をおぼえ、村民と一緒に生活をしていきます。例えば年に一度のまぐろ漁に一緒に出かけ魚を仕留めているところなど、大変エネルギッシュで行動的な人だとわかります。観光やバカンスで行くのとは訳が違うのです。並大抵の精神なら真似できないことでしょう。
でも、この本はただの紀行文ではありませんでした。
むしろ「悲恋の物語」。女性の視点から読んでいたのかもしれません。
ゴーギャンは祖国に妻と子どもたちがいながら、幼い14歳の少女を現地の妻にしています。(19世紀半ばなのでこの歳での結婚はあり得るのでしょう。)随分身勝手な男性だと思うのですが、この2人のやり取りがなんとも瑞々しく清らかで心を打つのです。少なくとも文章からは、純度の高い恋であることがひしひしと伝わってきます。
なのに、彼はこの関係を簡単に踏みにじります。家庭の事情でフランスに戻ってしまう。結局、西洋文明をあれほど嫌いながら、逃れようとはしないゴーギャン。しがらみというよりは、画家として名を馳せたいという野心もあったようです。やがて、再会の後に少女は彼の元を去り、祖国の妻も離れていったとのこと。当然と言えば当然の帰結でしょう。芸術活動の代償が孤独とは、なんとも寂しいものですが、ゴーギャンの苦しみとは一体どのようなものだったのでしょうか…。この1冊だけからは知る由もないのですが。
因みに、ノア・ノアとは、香気ある・芳しい、の意だとか。
いろいろな土地土地に、男と女にまつわる話があるということが、大変面白いなと思います。
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お遊びで
2013年04月19日
4月に入り個人的に何か新しいことでも始めようと思い、ハングル語の勉強を始めました。と言っても勉強と言うほどのものではなくテレビで語学勉強〜♪、のとても気楽なスタイルのもので、旅したときに挨拶ぐらいできればいいかなという動機で臨んでいるので気持ちはとても楽ちん。1週間に1回30分の番組を録画して学び、まだ2回目。何だか…、今まで韓流文化にちっとも興味がなく、ハングル語のハの字も知らなかったので、色々なことが新鮮で面白い。
一部漢字の影響もあり、文法の語順なども、日本語と近い面があるのですね。カムサハムニダ(ありがとう)のカムサは「感謝」だとか、アンニョンハセヨ(こんにちは)のアンニョンは「安寧」とか。文字・発音と難しいところもあるけれど、共通点もあるので親しみを覚えています。
私たちは教育過程で「英語、英語」と本当にうるさいほど言われてきていますが、もっと近接地域の身近な語学を勉強した方が、未来の平和に断然役立つような気がしてきました。韓国語、中国語、ロシア語辺り? というわけで今頭の中にハングルをたたき込んでいるのですが、東京から遠い地方の最寄り駅の案内板が、日本語・英語・中国語・ハングル語で書かれていたことに初めて気がつきました。知らなかった…。
桃源郷のような
2013年04月12日
春の風景を見つけたので…
杏源郷でした。