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心理 東京
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ブログ 心's LOOM
short-short
2013年01月12日
連休のせいか、東京駅は大変混雑。
先日のブログの答えは、東京駅丸の内北口丸天井でした。8羽の鷹か鷲のオブジェ。くちばしには稲穂(たぶん)を咥えています。
その下の丸いブルーグレー地のレリーフは、十二支。巳(へび)もいました。だけど天井は八角形なので、残り4つの生物はどこにいるのでしょう…?
それにしても和洋折衷の美しい天井だと思います。

それから引用した歌は、ザ・フォーク・クルセダーズでした。
Mode
2013年01月08日
昨年末にベートーヴェンの交響曲第9番を聴きました。聴いたことのない方でも、この合唱曲『よろこびの歌』(晴れたる青空〜♪漂う雲よ〜♪)を学校の音楽の時間に聴いたり歌ったりしていると思います。日本のこの曲は誰が作詞したのでしょうね。
元はドイツの作家F.シラーの詩『歓喜に寄す』にベートーヴェンが一部付け足したもの。この詩は(曲も含めて)鳥肌が立つくらい感動的なもので(「神」云々のところはよく理解できないけれども…)、それゆえ毎年末に聴きに行きます。
何と言ってもこの歌は世界平和を歌っていると思われるし…。シラーは当時のドイツの階級闘争的な観点から書いているといいますが、視野を世界に拡大できるものと思うのです。
有名な一節をあげると…
喜びよ、神々のうるわしき火花よ
エリュシオンの娘よ
われらはその火花に酔いしれ
この上なきお前、お前の聖域に入ろう
お前の魔力は、この世のしきたりが
容赦なくひき裂いたものを、ふたたび結びつけてくれる
人はみな兄弟となる
お前の翼に、そっとまもられて
(舩木篤也 訳、ドイツ語は省略)
「この世のしきたり」というのはドイツ語で「die Mode」。つまりあれ、単語だけ見ればモード学園と同じモードなのですね。このことを友人から説明されたのですが、つまりは政治も宗教も経済も民族も階級も、その時の「モード:流儀、様式、形態」に過ぎないのであると。普遍的で絶対的に正しいものがあるのではない、というニュアンスがこの歌のModeという単語からひしひしと伝わってきます。そしてこのModeを乗り越えて、人はみな兄弟になることができるのだ、という大いなる願いを込めた歌なのでしょう。だから私には希望の歌のようにも感じられ、力を感じるのです。2013年、少しでもそのような動きを感じられることを祈りつつ…。
それからこちらも年末になると頭から離れない。半ば本気で好きな『DAIKU』。ご存じでしょうか?
♪親父は棟梁で 叔父貴も大工
子供の時から カナズチ持って
お家を作って お国を造る
今年も終りだ 一汗流そ
お風呂に入れば やり直せるぞ
大工は DAIKU(大苦)を 風呂場で歌う♪
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↑ この美しいオブジェはどこのものでしょう?落下しないように網?が張られています。答えは後日。
新年を迎えて
2013年01月04日
明けましておめでとうございます。
カレンダーを取り替え、また新しい手帳を降ろしながら、古くなったものをペラペラめくっては眺めていました。
去年の大半のことは既に忘却の彼方へ流れてはいるものの、走り書きの古い文字を見ながら2012年を思い起こし、さて、2013年はどんな年にしたいだろうと、あれやこれや思い巡らします。これが大体新年明けての楽しみごとです。
目標は明確に具体的に。昔、文を書くとき、具体性を表すために「数字を入れろ」ということを口を酸っぱくするほど言われました。これはちょっと冗談だけれど、知人のおじいさんは「一日一個お饅頭を…」が目標というかモットーでした。
「敢えて目標を定めない」という考えの人もなかにはいらっしゃいます。人は過去にも未来にも生きられない。人は「今、現在を生きる」のだから、未来のことに捕らわれてしまうと現在への関与が薄まってしまう、ということです。この考えも大変一理あり。
ちょっと現実的な問題ですが、歳をとったときのこと、未来に備えた保険などの支払いのことを考えると、一体私たちは未来のために生きているのか、現在を十分に生きているのか、わからなくなることがしばしばあります。
お正月はややシビアに、高齢社会の話題なんかも出て、さてどうやって舵を切っていくか…。すっかりバラ色の年明けというわけにはいきませんでしたが、スワン色の昨年末でした。
↑ 白鳥の越冬地にて
私と「私」
2012年12月23日
アナザープラネット(2011仏、原題:another earth)という映画を観ました。
登場人物たちが暮らす地球に、あるとき、一つの惑星が徐々に接近してきます。
それは昼夜問わず月の横に見えて、地球そっくりの星。青と白のマーブル模様の球でとても美しく輝いて見える。映画の進行にそって、科学者たちがその星と交信できるようになると、それはなんともう一つの地球、つまりパラレルワールドではないか?ということが判明してきます。Aさんという人が地球にいれば、もう一つの地球にも「Aさん」がいるというわけ。でもここまでは映画の伏線。
物語の軸はSF映画ではなく、とてもシリアスなヒューマンドラマです。10代のエリート学生の女の子が、羽目を外したパーティーの帰りに飲酒運転をし、ある一家が乗る車に激突し妻(妊婦)と幼い子供の命を奪ってしまいます(辛うじて夫は助かります)。
彼女の人生は一変します。服役し、大学を辞め、街の高校でクリーンスタッフとして働き始める。自分を人生の落伍者だと思い、罪悪感も強く、心を閉ざした生活を送ります。そんなあるとき、この夫のことを知り、贖罪の気持ちから身分を偽って彼の家で掃除婦として働き始めます。この夫も、愛する家族を失った悲しみと怒り、そして恐らくは一人だけ生き残ったという罪悪感から、酒浸りの自暴自棄な生活を送っています。映画ではこの二人の交流が主に描かれていきます。
さて「もう一つの地球」のほうは…。
地球の人間(私)がもう一つの地球の人間(「私」)と交信できるということは、そこに差異(ズレ)が生じているということになります。全く同じ人が全く同じ事をしているのなら、私と「私」は会話できませんから。そこで主人公の女の子は、こう考えます。もしかしたら、もう一つの地球は完全なパラレルワールドではなく、そこへ行けばまだ事故は起きていないかもしれないと。折しも、宇宙開発事業団のような機関が、もう一つの地球へ行く民間人の宇宙飛行士を募ります。見事女の子はそのチケットを入手し…。
興味のある方は観てください。でもあくまでもこの映画は、深いヒューマンドラマだと思うのです。
加害者の主人公の女の子は自分を許していない。被害者である夫も自分を許していない。二人とも過去に生きているし、前を向いて生きたいと思う自己と、否定的な自己に分裂してしまっている。物語は、どちらの二人も、自分を統合していくための旅のような気がするのです。映画の結末は幾重にも意味がとれるようなのですが、味わい深い作品です。
世界の眼
2012年12月19日
今年も残すところ約2週間。
日曜日には総選挙がありました。
政治的な意見はブログの趣旨ではないので省くとして、その翌日の月曜日に「世界の主要メディア(公共放送)が日本の総選挙をどのように伝えているか」を興味をもって見ていました。
隣国の韓国と中国は日本の右傾化を憂慮しながらも案外冷静な放送。
後は、カタールのアルジャジーラ放送と確かフランスかオーストラリアの国が日本の衆院選をとりあげているばかりで、アメリカはじめイギリスなどの国は銃乱射事件のほうがトピックでした。
トップが6年で7人も変わる日本の選挙について、国際社会はどうも関心が薄いとのことです。
海外の記者たちのコメントも、「3年ちょっとで結果が出ないからといって、どうして50年続いた政党に戻るの?」「あの原発問題はどこへいってしまったの?」etc.、日本の民意はフシギ…、といった空気が伝わってきました。
なんでも「ワイルドだろぉ」というのが今年の流行語大賞とのことですが(聞いたことないし面白くもないのだけれど…)、使われている文脈を考えると、今の日本にしっくりくるのかもしれません。
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↓美しかったのでプロの画像より。
dried persimmon
2012年12月13日
最近めっきり寒くなってきて、早朝も夜もストーブの温度がなかなか上がりません。
今年は試みに、干し柿を初めて作ってみました。今は、原形から半分ぐらいの大きさに縮み、黒色に変化し、まだ窓外につるしてあります。雨ニモマケズ、強風ニモマケズ、地上に落ちたこともあり、冬の寒さにも耐え…etc.
けなげな干し柿なのですが、あの白く粉を吹く感じは、どうやったらなるのでしょうか…。なにしろ渋柿をいただいたので、そのまま食べるわけにもいかず、見よう見まねで試したものの…。
干し柿やあんぽ柿などを発明した昔の人は偉いなと思います。
食べられないものを食べられるものにしたところが何より凄いし、甘柿(ふつうの柿)を陽のもとにつるしても渋柿ほどには甘くならないのだそうです。
渋いものもいつかは熟れて甘くなる。人生も?
さて、うちの干し柿はどうなるだろうか…。できたら画像を。
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マインドフルに。
2012年12月06日
街中が気忙しくなってきましたね。
こんな時こそと思い、今、マインドフルネス瞑想に try しながら過ごしています。昨今流行のマインドフルネス。
「あるがままのものごとに意図的に、現在の瞬間に、非価値判断的に、注意を払うことによって現れてくる気付き(意識)」
のことをいうようです。マインドフルネスの反対はマインドレスネスだとか。「心ここにあらず」、でしょうか。
この瞑想は以前1時間くらいの実践講義に参加したことがあるくらいで、今一つつかみどころがなかった…。
最近改めて興味をもったのは、書店で大きく売られているのと、学生の時に習った先生の訳本だったという、懐かしさからでした。瞑想のCD付なのですが、その吹き替えの声がとても懐かしく柔らかく心地よく、CDのガイダンスにあわせて瞑想しながら、思考は当時へと彷徨います。
でもね、注意を「思考」から「現在の瞬間(呼吸や体の感覚)」に引き戻すのが瞑想とのこと…。なかなか難しいのですが…。
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今日はプロの画像を…。