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心理 東京
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ブログ 心's LOOM
動物写真集
2012年05月16日
今日は暖かい穏やかな一日でした。外出していた人は夏日和でとても暑かったようですね。
お昼休みに前職場の同僚が遊びに来てくれ、こんなプレゼントを持ってきてくれました。
手作りのステキなラッピング↓
開けてみると…。
Steve Bloom (南アフリカ出身、イギリスの写真家)による 『 my favourite animal families 』(2010) という動物のファミリーを写した写真集でした。私は鳥類を含めて動物がとても好きなのですが、動物写真家と一口に言っても、写真家の個性が作品に如実に現れるんですね。例えば山岳写真などはどれも同じように見えてしまうのですが、これなどもやはり鑑賞能力のある人が見れば違うのでしょう。
Bloom 氏の作品は、南アフリカ出身ということもあるのか大変躍動的でど迫力のあるものが多く、この人は一体どこからどうやって撮っているんだろう?と驚愕します。彼はある時は鳥で、ある時は水生動物なんじゃないかと…。もらった写真集はファミリーを扱っているので穏やかなものが多いのですが、動物の子どもたちのしぐさの可愛らしさに思わず微笑んでしまいます。動物も人間も子どものしぐさを眺めていると、本当に幸せな気持になりますね。
掌の中
2012年05月15日
五月晴れは案外少なく、今日はまた雨ですね。
昨日の画像、あれは何?という質問があったのですが、あれはヤモリの赤ちゃんです。しばしば出現するのですが、家にいると碌なことが起きないので(ギャング共が興奮してしまうので)、ガラスの容器に確保して外に出してあげました。とても可愛いので放す前にパチリと。目玉も可愛いけれど、特にヤツデのような手足がたまりません。しかも、「キュッ…」って聞こえるか聞こえないくらいに小さく小さく鳴くんですよね。それとも、掴んだときに苦しかっただけなのかな。
それはそうと、最近お恥ずかしながら、「射倖心(射幸心)を煽る」という言葉を知りました。皆さんは、ご存じでしたか?例のコンプガチャのニュースによって、です。
射倖心とは、「思いがけない利益や幸運を望む心」を意味するのですよね。大人がパチンコやギャンブルなどにはまってしまうのは、本人の依存的な問題もあることながら、この射倖心が煽られるからでもあるわけです。「今度こそは」「次こそは」「ここまできたからには」という思いがどんどん増していくのは、そのように巧みに誘導されてもいるからでしょう。「射倖心を煽っている」側にこそ、大きな利益があるからやっている、ということを忘れないでいたいものです。
母と娘
2012年05月14日
昨夜は遅ればせながら、『ブラックスワン』(2010)を観ました。勝手に推測してニ重人格の話かと思っていたのですが、偶然にも「母の日」にぴったりの母娘関係が主軸となっている映画でした。
観た方も多いと思うのですが、主人公は「白鳥の湖」の主役の座を射止め、プリマとなった女の子。あの女の子は、一体何歳の設定だったのでしょうか。演ずるナタリー・ポートマンが30歳くらいなので、ついついそのぐらいの歳を想定してしまうのですが、いつもピンクのコートを着ていたり、部屋には大小のぬいぐるみが沢山飾ってあったり、寝入るときはオルゴールを母が鳴らしたりと、それはまあ、お人形のように扱われていました。でも、ただのお人形じゃなく、いつも悲痛な面持ちの極上の「いい子」。
母も気持ち悪い。とっくにバレエ界から遠ざかっているのに、いつまでもバレエダンサーのような髪型と体型の持ち主。自分の価値観のなかでしか娘に生きることを許さず、自分の夢を娘に重ねて期待している。
主人公は黒鳥を踊るにはセクシュアリティが足りないと振り付け師から言われ続け、次第に妄想と幻覚が昂じ、母の世界に抵抗していく。悲劇として幕が閉じられているのか、そうではないのか…。
バレエ界もなかなか残酷な世界ですね。プリマはたった一人だし、代役は一団のなかでNo.2ではあっても主役が降りない限りは日陰の身。また、主役の座を追われた前プリマ演ずるウィノーナ・ライダーは、実生活でも問題ありでだいぶ映画界から遠ざかっており、何とも痛々しい出演でした。監督の狙いなんですかね?
しかし、こういった母娘関係、バレエや音楽、スポーツの世界で top を目指す親子たちに限られた特殊な世界というのではなく、親子関係の典型像の一つではないでしょうか。「女性であれば、この亜流に属する」、と私は思います。
変化をつける
2012年05月13日
生活のマンネリ化をどうやって打破するか、ということを時々考えます。
日々のルーティンワークは別に苦ではないし、むしろ好きなほうですが、少々疲れを感じるときもあります。例えば、休日にはあれとこれは絶対やらなくてはいけないとか、毎日長時間列車に揺られているときとか。同じ道を行きつ戻りつするときとか。
以前読んだ文庫本に沢村貞子さんの随筆があり、時々ふとそのエッセンスを思い出します。沢村貞子さん、今の若い人は知っているでしょうか?私もその女優さんの若いときは知らず、おばあさんの女優さんとしてのみ認識していましたが、歯切れの良い文章が好きで幾つかエッセイを読んでいました。
そのなかで…。
「毎日が平穏で同じだと、だんだん親しい人との関係も退屈になるときがある。そういうときは、いつも使っている食器なんかを変えたりして、生活に変化をつける」、というようなことが書かれていました。
こんな大女優なのにこんな些細なこと(でも素敵なこと)を考えるんだ、と、非常に驚いた記憶があります。
生活は毎日がスリリングで魅惑的、創造的というわけではないと、私は考えています。(もちろん、なかにはそのような希有な人もいるのでしょうが…。)むしろ、同じこと、地味なこと、なかには忍耐を要することの繰り返しが生活のベースにはあると思います。
「生活にちょっとした変化をつける」工夫を自分からして、そこに喜びを見いだすこと。これなら私でもできそうです。
↑ というわけではありませんが、神保町交差点にある亀澤堂の大変美味などら焼き… ↓
深夜の出会い
2012年05月12日
昨夜はカウンセラーの勉強会があり帰宅が遅くなりました。午前様とはいかなくても、家が遠いので深夜になります。
しんと静まりかえった夜道をとぼとぼ歩いて家に近づくと、「ほーぅ、ほーぅ」という何とも言えない鳴き声が山の中から聞こえてきました。今までに聞いたことのない声。
思わず、「鵺(ぬえ)?」と思いました。「鵺の鳴く夜は恐ろしい…」というキャッチコピーがかつてありましたよね。別に恐ろしくもなかったのですが、とっても神秘的で異様な、静かなのに響く声。生まれて初めて自分の耳で聞く声。しばらく歩を止めて聞き入っていました。
正体がわかりました。きっと「フクロウ」。フクロウの鳴き声は直に聞いたことがないけれど、きっとそうだと思います。鉄錆を嘗めたことがないのに、錆の味がわかるのと同じような感覚といえばいいでしょうか。
甚だしくセルフィッシュに考えて、「なぜフクロウは今夜私に会いに来てくれたのか?」。そう思うだけで安らかな眠りに就くことができました。
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↑ 関東近郊の山より撮影。
母の日
2012年05月11日
5月の第2日曜日は「母の日」です。今朝のニュースで驚いたのが、クリスマス商戦よりも母の日の方が売り上げが多いこと。これは意外でした。
カウンセリングなどに来られる方で、母との関係に悩んだり母に対して葛藤を抱えている人はとても多いものです。また、ご本人は悩んでいなくても、その人のお母さんとよく似た生き方をしている場合も実に多いものです。
母子分離は永遠のテーマです。新フロイト派の精神分析家が、「人は3回母とさよならをする必要がある」、というようなことを言っていました。1回目は、出産(誕生)のとき。赤ちゃんは母の臍帯から切り離されてこの世の中に出てきます。2回目は、ある程度成長して母の手を借りずとも生きられるようになったとき。それが何才をさすかは定かではありませんが、「親離れ、子離れの必要あり」なんてことはよく耳にしますね。3回目は精神的に母から離れること。そして実はこの3回目が一番難しい。強い葛藤も強過ぎる思慕の念も母から自立しているとは言えません。
特に女性は母が「最初の同性モデル」なので、その母の影響が非常に濃くなると思います。そういうことに思いを馳せながら、母娘関係を扱った映画をよく観ます。例えば日本映画なら少々古いけれど「愛を乞うひと」。これはなかなかヘビーです。覚悟のある方のみお薦め。印象に残っているのは「ホワイトオランダー」(2002)。母の、蛇のような恐ろしさが描かれています。ホワイトオランダーは白い夾竹桃(キョウチクトウ)のこと。プルメリアに似たきれいな夏の花ですが(公園や高速道路によく植えられている樹木)、焼却処分できないほど強い毒素があります。
母の日に、勿論、感謝をしつつ…。
新型うつとは?
2012年05月10日
先日、録画してあった「新型うつ」についてのNHKスペシャルを観ました。NHKではここ最近、新型うつについてよく取り上げていますね。
こういう新しい呼称が出てきたときにまず思うのが、いつ、どこの誰が「新型うつ」という言葉を使ったのか?、という疑問です。それから、新型うつについての正しい「定義」です。
前者の疑問はわからずじまい。推し量るに「病院など臨床の場で、どうも従来の鬱とは違うものが見られる」ゆえに「新型うつ」と名付けられたのかなと。それから定義の方も曖昧で、「若い人たちに多く見られ、職場などで鬱症状に似た不適応を起こすが、職場を離れたところでは比較的元気に活動できる状態」ということらしい。
新入社員などで、例えば上司にちょっと怒られたことなどがきっかけで出社できなくなる。けれども、家で大人しくしているのかと思いきや、旅行や趣味の活動なんかは楽しんで行っている。理解に苦しむ周囲からは「怠け、甘え、わがまま」と捉えられてしまう。
番組では上記のような状態像を「新型うつ」と言うようなのですが、新型うつは医学用語でもなく診断基準もありません。便宜上、このように大雑把に使っているのかもしれませんね。ある医者は、新型うつといってもその背景にある病理は様々なので見極めが大切だと言っていました。
だけど、この新型うつ。
笠原嘉先生という精神科医がかつて言っていた、(部分的)退却神経症というものとよく似ているなと思います。この部分的 or 選択的退却神経症というのは1970年頃から見られた現象で、学校や仕事などの本業には気力が湧かず行けないのに、遊びや趣味などはある程度楽しめる若者たちのことを指していました。
1970年から約40年。当時と今の比較、よくわかる人に話を聞いてみたいものです。