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心理 東京
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ブログ 心's LOOM
また明日…
2012年05月30日
今日はサイトプログラムのメンテナンスのため、長めのブログ更新はお休みします。
ここのところ日中暖かくても、午後になると外気が急にヒンヤリ感じることがありますね。雲行きが怪しくないかどうか、積乱雲がないかどうか、特に山寄りの方はどうぞ注意をしてください。先日の地元でも隣町では土砂降りだったのに、うちのほうは晴れているという(なのに、空気は高原のように冷たい)、奇妙なお天気がありました。一体どうなっているのやら。
言葉いろいろ
2012年05月29日
あるコラムに、「むずかしくない言葉を使って、いかに内容豊かに伝えるか」というようなことが書かれていました。
その人のコラムは、いつもとても平明な文章と言葉(漢字もほとんどなく平仮名ばかり)で書かれており、幅広い読者層にまっすぐ訴える力と、ものごとの見方の発見と楽しさに溢れ、読むのを日課としています。なにより勉強になります。
しかし…、頭の片隅で、違和感を覚えないわけでもない…。
いたずらに難しい言葉や専門用語を弄するのは大問題ですが(例えばコンピュータの取説とか法律用語など)、世の中なんでも「らくなほうに、かんたんなほうに」流れていったら一体どうなるのだろう…、という心配がなくもありません。漢字も消え、語彙も減少したら、人の感性や情緒、表現などはどう影響されていくのでしょうか。言葉が絶対というわけではないにしろ、ないからこそ、言葉によって人の心が開拓される面もあると思うのです。この辺り、上手く伝えられないけれど。
卑近な例をあげるならば、昔の難しい、でも歴史の香りを感じさせる地名がどんどん消えていって、ひらがなやカタカナの安易な地名ばかりになるのは、とても寂しい気がするのです。彼(コラムニスト)が言っているのはそういうことじゃないのかもしれないけれど…、どうなのでしょう。
manga
2012年05月28日
日本がマンガやアニメ大国であることはもはや世界の常識となっています。マンガが日本文化の代表のように扱われるのは少々苦く思うのですが、確かに素晴らしい作品や面白い作品はたくさんあるし技術は高いと思います。
昨夜「COOL JAPAN ! 」という番組を観ていて、なるほど、世界から見てどんなふうにマンガ大国の日本が見えるのか、新しく知ったことが色々ありました。
フランスでは日本のマンガが手に入るが、イギリスやイタリアなど他のヨーロッパではあまり手に入らないので、個人輸入かフランスまで行くのだとか。また、マンガやアニメはあくまでも子どものためのもので、大人が好きだとわかると「オタク」と思われてしまうということも言っていました。外国人でも結構人の目を気にするのですね。
日本には高校の部活動や同好会活動にマンガ部があるのに、諸外国では教育的に認められないだろう、という発言も多数ありました。
しかし…、マンガを読んで日本語を覚えたり日本に親しみを感じて来日し、日本でマンガ生活を楽しんでいる外国人たちが多いことも事実です。どんなところが好きなのかと言えば、少女マンガや歴史マンガ、学園もの、など多数のジャンルがあることや、背景や景色の描写などが細かくてとてもきれいなのだとか。
漫画家にもよりますが、タッチが繊細でリアリティーがあるし、丁寧に描かれていますよね。私は北斎とか広重などの浮世絵なんかを観ると、とても漫画的、アニメ的と感じるのですが、いかがでしょう…。
↑ ひととおり読みます♪
家(いえ)
2012年05月27日
最近、ある昔々の事件に関する記事を読んでいて感じたこと。
それは自分が生まれる遙か以前の事件のことなのですが、当時、容疑者とされる人の実家の墓が村人によってひどく荒らされ、墓石もろとも外に打ち棄てられた、というくだりがありました。村八分は昔はよくあったのかもしれませんが、それを読んでぞっとしました。比較的若いときから漠然と感じていたことの一つに、加害者の家族の在り方の国による違い、というものがあります。
例えば、アメリカのスラム街出身の容疑者もしくは加害者の母親などがメディアのインタビューに応じるとき、堂々と顔を見せ、顔には化粧、爪にはきれいにマニキュアなどが施されていたりします。「息子(娘、夫etc.)はこれこれしかじかだ…」と比較的淡々と話し、別段アメリカの母親に違和感を覚えないし、変な悲壮感がないのがいいと思っていました。同じことを日本の母親がやったら、きっと非難ごうごうなのでしょう。日本の場合、親などは顔は半分くらい隠すか、ぼかされ、「ご迷惑をお掛けした…」とひたすらうなだれて謝罪することが求められているようです。そうでもしないとメディアも世論も大変なことになるのは目に見えています。日本はまだまだ「個人」ではなく、「家単位」であり、そこは変わっていないのかもしれません。
↑ 夜の神保町交差点
『ヤコブへの手紙』
2012年05月26日
先日『ヤコブへの手紙』(2009,フィンランド)という、録画してあった映画を観てみました。疲れているとついついお気楽なハリウッドものを観てストレス発散をするのですが、やはりたまには良質の作品に接しないと、精神が枯渇していくような気がします。

この映画は、刑期を終えたばかりの中年女性と全盲で高齢の牧師の話です。登場人物数名、主な撮影場所は牧師館と教会の、とても規模の小さい作品です。
行く当てのない女性は、牧師の代わりに手紙を読み、代筆する仕事を頼まれて牧師館に住むことになります。牧師館には、人々からの相談や悩みを打ち明けた手紙が、毎日のように届けられます。老いて全盲の牧師は「神が自分に使わせてくれた仕事」(この仕事があるから神の役に立っている)と思って、手紙を何よりも心待ちにしています。
ところが…。その女性は終始仏頂面で、投げやりな態度。手紙を井戸に捨ててしまったり、「家事はやらない」と言ってのけたり。途中で牧師館を離れようとしたり。牧師はそれでも、いつも変わりなく穏やかに彼女に接します。
やがて、どういうわけか手紙が来なくなり、牧師が見る間に落ち込んでいくと、彼女の心に変化が起き始め…。後は観てのお楽しみ。
牧師さんへの手紙と返信というのは、それはメール(手紙)カウンセリングの原型なのだなと思いました。書くという作業は、私は実はとても大事なことなのではないかと考えています。出来事や思いを、自分の手を動かして素直に紙にのせていくことは、自分と悩み(問題)の間に少しずつ距離を置くことが出来る作業だと思うのです。
今はもはや電子メールの時代ですが、手紙を出す手間暇と、届くまでにかかる日数も、大事な要素のような気がします。
勉強会
2012年05月25日
東京はやや蒸しますね…。
本日は勉強会があるため、また深夜にブログを更新します。
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またもや大変遅くなりました。帰宅は辛うじて午前様を免れたものの、夕飯を食べていたら1時近くに…。
今日は勉強会の10回×4クールの最終日でした。身になったのかどうかは棚上げすると、我ながら一日も休まず続けることができました。途中で何度も挫折しかけたけれど、まあ何とか参加できたのでその限りにおいてヨシとすることにしました。
おまけに…、今日は21日付けのブログでご紹介しました、書籍『流れと動きの森田療法』の著者でおられる岩田真理さんに、講義後声をかけていただきました。ブログを読んでくださったらしく、大変嬉しく思いました。実は大学院の先輩なのですが、森田療法の専門家で大変造詣が深く、また他の療法の翻訳もなされており、神経質(笑)の私にはとても恐れ多くて今まで軽い会釈しかできずにいました。 またぜひ、深遠な森田療法の世界について、お話を聴かせていただきたいと思います。
さて、明日もあるので今夜はこの辺りで…。
日本の家族
2012年05月24日
初夏の陽気ですね。事務用品の配達員さんが汗だくでした。
本日は少々忙しいためブログは夜半に更新します。
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さて、遅くなりました。今日も本の紹介です。
ここ2,3日、中根千枝著(1977初版2007)「家族を中心とした人間関係」講談社学術文庫、を読んでいました。これで2回目になりますが、今度は比較的すんなりと頭に入ってきました。
心理学の本ではなく文化人類学の本ですが、家族療法を行ううえで、日本の家族の特質や歴史的変遷などに関心があるので非常に面白く参考になりました。この本は、インド、中国、韓国、東南アジア、アフリカ、西欧、日本といった国々の家族の形態や性質を比較考察しています。
これによると…。
日本の家族はコミュニティーや親類縁者の間でも非常に閉鎖的、排他的で、家はベースキャンプの役割をしているのだそう。ベースキャンプとは、一日を会社や学校などで過ごした疲れた家族構成員が寝に帰り、疲れをとり、翌日の活力を蓄える場所、とのことです。
「うちは地方にあるし、コミュニティーのなかでも付き合いがあるほうだ」と言う人も、諸外国に比べれば明らかにその性質が違うのだとか。例えば、夫婦喧嘩を隣近所の人たちの前で堂々とできるかと言われれば、「恥ずかしくなる」のが日本人とのことです。日本人の対人恐怖症や人の目を非常に気にするところと大いに関係がありますよね。
この本が書かれたのは1977年でそれから35年が経ちますが、果たして日本の家族はどうなっているのでしょうか。自分の住むところに限って言えば、日々の挨拶や町内会は辛うじてあってもコミュニティーはなし、もしや77年とさほど変わらないのでは?と思います。変化しているところはどこだろう…?そんなことを考えながら読むと面白いと思います。
