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心理 東京
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ブログ 心's LOOM
変化をつける
2012年05月13日
生活のマンネリ化をどうやって打破するか、ということを時々考えます。
日々のルーティンワークは別に苦ではないし、むしろ好きなほうですが、少々疲れを感じるときもあります。例えば、休日にはあれとこれは絶対やらなくてはいけないとか、毎日長時間列車に揺られているときとか。同じ道を行きつ戻りつするときとか。
以前読んだ文庫本に沢村貞子さんの随筆があり、時々ふとそのエッセンスを思い出します。沢村貞子さん、今の若い人は知っているでしょうか?私もその女優さんの若いときは知らず、おばあさんの女優さんとしてのみ認識していましたが、歯切れの良い文章が好きで幾つかエッセイを読んでいました。
そのなかで…。
「毎日が平穏で同じだと、だんだん親しい人との関係も退屈になるときがある。そういうときは、いつも使っている食器なんかを変えたりして、生活に変化をつける」、というようなことが書かれていました。
こんな大女優なのにこんな些細なこと(でも素敵なこと)を考えるんだ、と、非常に驚いた記憶があります。
生活は毎日がスリリングで魅惑的、創造的というわけではないと、私は考えています。(もちろん、なかにはそのような希有な人もいるのでしょうが…。)むしろ、同じこと、地味なこと、なかには忍耐を要することの繰り返しが生活のベースにはあると思います。
「生活にちょっとした変化をつける」工夫を自分からして、そこに喜びを見いだすこと。これなら私でもできそうです。
↑ というわけではありませんが、神保町交差点にある亀澤堂の大変美味などら焼き… ↓
深夜の出会い
2012年05月12日
昨夜はカウンセラーの勉強会があり帰宅が遅くなりました。午前様とはいかなくても、家が遠いので深夜になります。
しんと静まりかえった夜道をとぼとぼ歩いて家に近づくと、「ほーぅ、ほーぅ」という何とも言えない鳴き声が山の中から聞こえてきました。今までに聞いたことのない声。
思わず、「鵺(ぬえ)?」と思いました。「鵺の鳴く夜は恐ろしい…」というキャッチコピーがかつてありましたよね。別に恐ろしくもなかったのですが、とっても神秘的で異様な、静かなのに響く声。生まれて初めて自分の耳で聞く声。しばらく歩を止めて聞き入っていました。
正体がわかりました。きっと「フクロウ」。フクロウの鳴き声は直に聞いたことがないけれど、きっとそうだと思います。鉄錆を嘗めたことがないのに、錆の味がわかるのと同じような感覚といえばいいでしょうか。
甚だしくセルフィッシュに考えて、「なぜフクロウは今夜私に会いに来てくれたのか?」。そう思うだけで安らかな眠りに就くことができました。
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↑ 関東近郊の山より撮影。
母の日
2012年05月11日
5月の第2日曜日は「母の日」です。今朝のニュースで驚いたのが、クリスマス商戦よりも母の日の方が売り上げが多いこと。これは意外でした。
カウンセリングなどに来られる方で、母との関係に悩んだり母に対して葛藤を抱えている人はとても多いものです。また、ご本人は悩んでいなくても、その人のお母さんとよく似た生き方をしている場合も実に多いものです。
母子分離は永遠のテーマです。新フロイト派の精神分析家が、「人は3回母とさよならをする必要がある」、というようなことを言っていました。1回目は、出産(誕生)のとき。赤ちゃんは母の臍帯から切り離されてこの世の中に出てきます。2回目は、ある程度成長して母の手を借りずとも生きられるようになったとき。それが何才をさすかは定かではありませんが、「親離れ、子離れの必要あり」なんてことはよく耳にしますね。3回目は精神的に母から離れること。そして実はこの3回目が一番難しい。強い葛藤も強過ぎる思慕の念も母から自立しているとは言えません。
特に女性は母が「最初の同性モデル」なので、その母の影響が非常に濃くなると思います。そういうことに思いを馳せながら、母娘関係を扱った映画をよく観ます。例えば日本映画なら少々古いけれど「愛を乞うひと」。これはなかなかヘビーです。覚悟のある方のみお薦め。印象に残っているのは「ホワイトオランダー」(2002)。母の、蛇のような恐ろしさが描かれています。ホワイトオランダーは白い夾竹桃(キョウチクトウ)のこと。プルメリアに似たきれいな夏の花ですが(公園や高速道路によく植えられている樹木)、焼却処分できないほど強い毒素があります。
母の日に、勿論、感謝をしつつ…。
新型うつとは?
2012年05月10日
先日、録画してあった「新型うつ」についてのNHKスペシャルを観ました。NHKではここ最近、新型うつについてよく取り上げていますね。
こういう新しい呼称が出てきたときにまず思うのが、いつ、どこの誰が「新型うつ」という言葉を使ったのか?、という疑問です。それから、新型うつについての正しい「定義」です。
前者の疑問はわからずじまい。推し量るに「病院など臨床の場で、どうも従来の鬱とは違うものが見られる」ゆえに「新型うつ」と名付けられたのかなと。それから定義の方も曖昧で、「若い人たちに多く見られ、職場などで鬱症状に似た不適応を起こすが、職場を離れたところでは比較的元気に活動できる状態」ということらしい。
新入社員などで、例えば上司にちょっと怒られたことなどがきっかけで出社できなくなる。けれども、家で大人しくしているのかと思いきや、旅行や趣味の活動なんかは楽しんで行っている。理解に苦しむ周囲からは「怠け、甘え、わがまま」と捉えられてしまう。
番組では上記のような状態像を「新型うつ」と言うようなのですが、新型うつは医学用語でもなく診断基準もありません。便宜上、このように大雑把に使っているのかもしれませんね。ある医者は、新型うつといってもその背景にある病理は様々なので見極めが大切だと言っていました。
だけど、この新型うつ。
笠原嘉先生という精神科医がかつて言っていた、(部分的)退却神経症というものとよく似ているなと思います。この部分的 or 選択的退却神経症というのは1970年頃から見られた現象で、学校や仕事などの本業には気力が湧かず行けないのに、遊びや趣味などはある程度楽しめる若者たちのことを指していました。
1970年から約40年。当時と今の比較、よくわかる人に話を聞いてみたいものです。
カップル事情
2012年05月09日
昨日のブログより〜。
フランスの政治家の事実婚のことを書いたのですが、そうしたらある人から「親が2度も3度も離婚などをしてたら、どお?」と聞かれました。うーん、答えに詰まりますね。子どもだったら確かにイヤです。
ですが…。
それは私たちが日本の社会にいるからこそ思うことであって、もしもフランスにいたらどのように思うのでしょうか?子どもはそれなりに生きづらいかもしれないし、そうではないかもしれない。かつて大学受験の1浪はヒトナミと言われていたように、親の☓2も☓3も社会的には大したことがないかもしれない。ただし、子育ての支援や制度が充実していれば。
子どもの立場で心理的にはどうでしょう…。両親の離婚は心の傷になるかもしれないし、何度もパートナーを変える親だと、それだけで家庭が不安定になる可能性も出てくる。
一方…。
親が不幸せな結婚や同棲を仕方なく続けているより、幸せなパートナーシップを築こうと前向きに努力している柔軟な親の方が、大人のモデルとしてはずっといい。子どもにとって、親の不幸ほど混乱を招くものはありません。
フランスにはPACS法(市民連帯契約、1999年成立)といって、同性愛・異性愛カップルの共同生活を、結婚制度よりも緩い制約で、社会保障をしようという法律があります。昨日書いた次期フランス大統領のオランド氏とロワイヤルさんもこの法律の下に「事実婚」を営んでいたのだとか。
国が違うと、同棲・結婚・出産事情などは多様です。その文化的歴史的背景を勉強してみることも面白いかもしれませんね。
世界初
2012年05月08日
昨日朝のBS世界のニュースより。
フランスで大統領選挙があり、現サルコジ大統領から社会党のオランド氏に確か15日より政権が移ることが報道されていました。
これは政治の話ではなく…。
オランド氏と連れ立って歩いていた女性。知的で聡明な感じのきれいな人。「パートナー」と紹介されていて「おや?」と。「オランド氏の事実婚の妻は、先の大統領選でサルコジと戦ったロワイヤル候補だよ」と聞いていたのに、どうも顔が違う。ロワイヤルさんも知的できれいで似ていますが、やはり顔が違う。
調べたら、4人の子を設けたオランド氏とロワイヤルさんは事実婚を解消しており、オランド氏とこの新たな女性も事実婚関係にあるのだとか。因みにこの女性はジャーナリストのバレリーさん。バレリーさん自身も2度離婚して、3人の子どもがいるとのこと。しかも今回、ファーストレディで未婚のパートナーは、世界で初めてとのことです。またバレリーさんは仕事を辞めないと言っている。
へえぇ…。2人とも経済的だけでなく、精神的にも自立した自由な大人なのですね。離婚というと「結婚の失敗」という否定的なイメージで捉えがちだと思うのですが、「婚姻の解消」や「新しいパートナーと関係を築く」ことも、結婚と同じ「一つの選択」なのだと思いました。
もちろんフランスと日本では制度や文化が異なるし、同じようなパートナーシップがそのまま増えていくとは思いませんが、否応なしに世界はこうやって少しずつ変わっていくのかなと思います。
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↑ お酒ではありません。ドイツのオーガニック飲料です。ショウガ味。
老年期
2012年05月07日
大変久しぶりに珠玉の一品に出会いました。それはポーランド映画、『木漏れ日の家で』(2007)。
まずこの映画、20代-30代前半の人には、あまり良さがわからないだろうと思います。恐らく…、退屈かと。老後とか老いとかを少しでも考えたことのある人なら、きっと少なからず響くものがあるのではないでしょうか。
「主人公のアニエラは91歳。愛犬のフィラデルフィア(ボーダーコリー)と共に、生まれ育った木造の古い趣のある家に暮らしている。息子一家との同居を望みつつ、息子や孫とは何となく折りが合わない。老人をなめるよからぬ連中もいる。そんなとき、息子が勝手に家を売ろうと企んでいることを知る。…」
あらすじはさておき、このアニエラが一筋縄ではいかない大変魅力のある老女なのです。「老いては子に従え」的では全くない。自分の意見を持ち、嫌みもユーモアもきかせることができる。おまけに趣味は双眼鏡で隣家の様子を探ること。これは最初、孤独が生む所作?と受け取れたのですが、実は、人への関心を失っていない瑞々しさだと次第に気づきました。アニエラが魅力的なのは、最期まで自分の人生を自分で切り拓いていくところです。家族とハッピーエンド、という単純な話でもありません。かといって、孤独のままに人生を終わるのでもない。愛犬のフィラもとてつもなく可愛い。
モノクロの映画のせいか、最初は眠りそうになったし、また老女の皺の陰影が余計にくっきりしていて気分が多少萎えていたのですが、いつの間にか引きずり込まれ魅了されていました。観たらきっと、女性も男性も生きる勇気が湧いてくる作品です。