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心理 東京
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ブログ 心's LOOM
家(いえ)
2012年05月27日
最近、ある昔々の事件に関する記事を読んでいて感じたこと。
それは自分が生まれる遙か以前の事件のことなのですが、当時、容疑者とされる人の実家の墓が村人によってひどく荒らされ、墓石もろとも外に打ち棄てられた、というくだりがありました。村八分は昔はよくあったのかもしれませんが、それを読んでぞっとしました。比較的若いときから漠然と感じていたことの一つに、加害者の家族の在り方の国による違い、というものがあります。
例えば、アメリカのスラム街出身の容疑者もしくは加害者の母親などがメディアのインタビューに応じるとき、堂々と顔を見せ、顔には化粧、爪にはきれいにマニキュアなどが施されていたりします。「息子(娘、夫etc.)はこれこれしかじかだ…」と比較的淡々と話し、別段アメリカの母親に違和感を覚えないし、変な悲壮感がないのがいいと思っていました。同じことを日本の母親がやったら、きっと非難ごうごうなのでしょう。日本の場合、親などは顔は半分くらい隠すか、ぼかされ、「ご迷惑をお掛けした…」とひたすらうなだれて謝罪することが求められているようです。そうでもしないとメディアも世論も大変なことになるのは目に見えています。日本はまだまだ「個人」ではなく、「家単位」であり、そこは変わっていないのかもしれません。
↑ 夜の神保町交差点
『ヤコブへの手紙』
2012年05月26日
先日『ヤコブへの手紙』(2009,フィンランド)という、録画してあった映画を観てみました。疲れているとついついお気楽なハリウッドものを観てストレス発散をするのですが、やはりたまには良質の作品に接しないと、精神が枯渇していくような気がします。
この映画は、刑期を終えたばかりの中年女性と全盲で高齢の牧師の話です。登場人物数名、主な撮影場所は牧師館と教会の、とても規模の小さい作品です。
行く当てのない女性は、牧師の代わりに手紙を読み、代筆する仕事を頼まれて牧師館に住むことになります。牧師館には、人々からの相談や悩みを打ち明けた手紙が、毎日のように届けられます。老いて全盲の牧師は「神が自分に使わせてくれた仕事」(この仕事があるから神の役に立っている)と思って、手紙を何よりも心待ちにしています。
ところが…。その女性は終始仏頂面で、投げやりな態度。手紙を井戸に捨ててしまったり、「家事はやらない」と言ってのけたり。途中で牧師館を離れようとしたり。牧師はそれでも、いつも変わりなく穏やかに彼女に接します。
やがて、どういうわけか手紙が来なくなり、牧師が見る間に落ち込んでいくと、彼女の心に変化が起き始め…。後は観てのお楽しみ。
牧師さんへの手紙と返信というのは、それはメール(手紙)カウンセリングの原型なのだなと思いました。書くという作業は、私は実はとても大事なことなのではないかと考えています。出来事や思いを、自分の手を動かして素直に紙にのせていくことは、自分と悩み(問題)の間に少しずつ距離を置くことが出来る作業だと思うのです。
今はもはや電子メールの時代ですが、手紙を出す手間暇と、届くまでにかかる日数も、大事な要素のような気がします。
勉強会
2012年05月25日
東京はやや蒸しますね…。
本日は勉強会があるため、また深夜にブログを更新します。
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またもや大変遅くなりました。帰宅は辛うじて午前様を免れたものの、夕飯を食べていたら1時近くに…。
今日は勉強会の10回×4クールの最終日でした。身になったのかどうかは棚上げすると、我ながら一日も休まず続けることができました。途中で何度も挫折しかけたけれど、まあ何とか参加できたのでその限りにおいてヨシとすることにしました。
おまけに…、今日は21日付けのブログでご紹介しました、書籍『流れと動きの森田療法』の著者でおられる岩田真理さんに、講義後声をかけていただきました。ブログを読んでくださったらしく、大変嬉しく思いました。実は大学院の先輩なのですが、森田療法の専門家で大変造詣が深く、また他の療法の翻訳もなされており、神経質(笑)の私にはとても恐れ多くて今まで軽い会釈しかできずにいました。 またぜひ、深遠な森田療法の世界について、お話を聴かせていただきたいと思います。
さて、明日もあるので今夜はこの辺りで…。
日本の家族
2012年05月24日
初夏の陽気ですね。事務用品の配達員さんが汗だくでした。
本日は少々忙しいためブログは夜半に更新します。
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さて、遅くなりました。今日も本の紹介です。
ここ2,3日、中根千枝著(1977初版2007)「家族を中心とした人間関係」講談社学術文庫、を読んでいました。これで2回目になりますが、今度は比較的すんなりと頭に入ってきました。
心理学の本ではなく文化人類学の本ですが、家族療法を行ううえで、日本の家族の特質や歴史的変遷などに関心があるので非常に面白く参考になりました。この本は、インド、中国、韓国、東南アジア、アフリカ、西欧、日本といった国々の家族の形態や性質を比較考察しています。
これによると…。
日本の家族はコミュニティーや親類縁者の間でも非常に閉鎖的、排他的で、家はベースキャンプの役割をしているのだそう。ベースキャンプとは、一日を会社や学校などで過ごした疲れた家族構成員が寝に帰り、疲れをとり、翌日の活力を蓄える場所、とのことです。
「うちは地方にあるし、コミュニティーのなかでも付き合いがあるほうだ」と言う人も、諸外国に比べれば明らかにその性質が違うのだとか。例えば、夫婦喧嘩を隣近所の人たちの前で堂々とできるかと言われれば、「恥ずかしくなる」のが日本人とのことです。日本人の対人恐怖症や人の目を非常に気にするところと大いに関係がありますよね。
この本が書かれたのは1977年でそれから35年が経ちますが、果たして日本の家族はどうなっているのでしょうか。自分の住むところに限って言えば、日々の挨拶や町内会は辛うじてあってもコミュニティーはなし、もしや77年とさほど変わらないのでは?と思います。変化しているところはどこだろう…?そんなことを考えながら読むと面白いと思います。
新たな世界
2012年05月23日
昨夜は何気なくTVをつけたら、「左手のピアニスト 舘野泉」という番組が放映されていました。
脳出血の後遺症で右手で弾くことができなくなり、2年間のブランクを経て、左手だけでメロディーと和音を奏でる奏法を編みだし(親指と人差し指でメロディ-、残りの指で和音だそうです)、新たな境地を今なお開拓している男性ピアニストのお話でした。
右手が使えないということはピアニストにとって致命的なハンディだと普通は思いますが、それが私の先入見ということがよくわかりました。
左手から生まれる曲は…、目を閉じて聞こえてくる曲は、どれも心に深く響いてくるものばかりでした。もっとも、舘野氏によれば、「左手だけで音楽を奏でているのではなく、全身で弾いている。音楽は呼吸みたいなもの」とおっしゃっていたのが印象的でした。正にそのような「息吹」を感じさせる演奏です。
左手が右手を見事にカバーしているのではなく、左手独自の演奏がピアノの新しい世界を創っているのだと感じました。もしかしたら、全てとはいいませんが、ハンディと思っているものは案外そうではないのかもしれません。そんなことを考えさせる番組でした。
雨降りには
2012年05月22日
昨日と打って変わり寒い一日ですね。今日は軽めの話題で、軽く終わります。
昨日は英語の先生から、バラードなどの音楽をもっと聴くように奨められました。「英米圏の人でどんなミュージシャンが好き?」と聞かれ、咄嗟に出てきたのがエリック・クラプトン。
そうしたら、「彼の発音はきれいだよ」と言われ、次は「彼の何の曲が好き?」と問われ、曲名が口から出なかったので「運転している時、BGMで聞いている」と答えたら、「tears in heaven」のサビを歌ってくれました。私の頭に流れていたのは、「I shot the sheriff (保安官を撃っちまった)」だったんですけど…。
来週までの宿題なので、早速休憩時間に「tears in heaven (天国の涙)」をじっくり聴いてみました。歌詞を一度読んでから聴くと、聞き取れます。それにしてもやはりいい歌、です。涙がじんわり…滲んでくる歌です。彼はこの曲を作って息子を喪った悲しみを乗り越えたんですよね。悲しくて力強い歌。
雨の日にはバラードを。
晴れの日にはソフトクリームを…。
森田療法が教えてくれるもの
2012年05月21日
金環日食に特別の関心もなく、夜中のバケツをひっくり返したような土砂降りに一瞬目覚め、そのまま睡魔に襲われて…。
今日はとてもいい本を紹介したいと思います。神経症(赤面恐怖、対人恐怖、心気症、心身症、強迫性障害など)の方には、また、人から言われた言葉などがずーっと頭の中に残ってしまう方などに、おすすめの森田療法の本です。
学生時代に森田療法のことを話題にしたら、友人が「あの、怪しいやつ〜?」と言ったことをおぼえています。たぶん、「どこかに入院させられて、ご奉仕活動(掃除や家事)をさせられる療法」とでも思ったのでしょう。よく知れば全く違うし、フロイトと同時期の精神科医、森田正馬によって創始された、日本が誇るべき療法だと思います。
森田療法は日本人の世界観・自然観にしっくりくるものです。この療法のなかで、「自分本位」から「ものごと本位」になりなさい、ということが繰り返し言われています。例えば、人から言われたことにくよくよ繰り返し悩んでいるとしたら、その思いを流しながら(無理に消そうとしない)、目の前の仕事に集中してみる。会議でも、資料作成でも、お皿洗いでも、掃除機がけでも、何にでも工夫しながらやることが大事。あらゆる精神疾患は天災には勝てない、といいますが、今、いきなり地震が起きたとしたら、悩みや問題などはそのときはどこかへ行ってしまいます。まあ、天災は避けられようのないものですが、お皿洗いも天災も目の前の出来事なのです。
神経症は「自分の主観」にとらわれている症状なので、「ものごと本位」になれるとかなり楽に生きることができるようになります。もちろん森田療法の概念はこの限りではありません。また森田正馬自身による著書は言葉遣いが古く難解なのですが、この本はかみ砕いて実生活に役立つように教えてくれています。