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ブログ 心's LOOM

初秋

2020年09月20日

朝晩漸く涼しくなってきました。ぐっすり気持ちよく眠れるようになってはじめて、この夏の苛酷さを思い出します。少し前に駅で息苦しくなってしまい一瞬マスクを外してみたら、どんなに爽やかで涼しかったことか。外気は30度以上でも、マスクが無いとこんなに楽なのかと驚きました。多くの人が経験していることだと思いますが。

傷のある犬にエリザベスカラーを暫く装着させると、傷が治った後もエリザベスカラーを付けるように自ら首を出してきますが、私たちのマスクももはや条件反射のようになってきたと思います。だからたまには着用することの意味、自分の飛沫を飛ばさないためということを忘れないでいたいと思います。特に私は喘息持ちなのでマスクは必須、相談室でも時々ゲホゲホ咳が出てしまいます。御見苦しくすみません。

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さて、鑑賞の秋ということでもありませんが、先日やっとポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』を観ました。今年の米アカデミー作品賞でしたね。ブラックコメディで怖かったけれど導入は面白くもありました。これは正にフロイトの意識・前意識・無意識の三層構造ではないかと思ったり、言われているように格差社会を描いていました。

韓国には実際に半地下の家があるようですが、既視感を得ました。それは何か。2階建て電車の1階席です。席に座ると目線がちょうどホームを歩く人々の脚が見える高さになります。夜半に車両に向かって小用を足す人もいて、フツフツと怒りが湧いたことも思い出しました。

この映画については色々面白い点が沢山あったので、また後日感想を書きたいと思います。

月下美人10:35

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ジェンダー:変わっていくこと

2020年08月27日

かれこれ20年程前に精神科医の斎藤学先生のセッションを受けていてジェンダーの話になったとき、「男とか女とかそんなの取っ払って、今の時代は(性自認を)中性って考える人たちもいるんですよ」と言われたことをよくおぼえています。

つい先日ベルリン映画祭が “女優賞、男優賞の括りをやめて俳優賞にする。映画界は時代を牽引していかなくてはいけない” ということを発表しましたが、是が非でも確実に時代は変わっていくのだな…と思いました。

女性、男性の区別や括りがなくなって実に喜ばしいと思うところと、二分法に依拠して単純に語れなくなること、益々配慮が求められる時代になっていくことの面倒くささと、自分の意識が変化についていけるのかという不安と、色々思うところがあります。

それでも小さい頃から、男女の役割の違いは何故あるのだろうと常に疑問を抱えて生きてきました。私が育った環境は大人たちが一堂に会すると、男たちは上座に座って出てくるもの(それも質量が優先される)を飲み食いしながら談笑し、女たちはせっせと料理を作り、運び、食べ、後片付けをする(子どもはそれを手伝う)、というのが明確に分かれていました。時代が進み男のなかに料理をする人、後片づけをする人も現れてはきますが、「女は気働きができて優しいのが一番」という価値観が尊重される環境だったので、どうも自分には合わない、別の人生行路はないものかと考えるようになりました。

それなりにジェンダー問題には関心を向けてきましたが、世の中の流れの速さについていけないなと思うところも出てきました。例えば男女別のトイレが無くなってしまったらと思うと、今のところ抵抗を感じます。でも、やがてはオールジェンダートイレ、つまり無印トイレという時代が来るのかもしれません。レインボーマークを付けられることを嫌がるマイノリティーの人もいるので、もっともなことです。

社会は最適解を目指し、試みや打開策を見出しながら常に変化していくものなのでしょうね。そのことは忘れないでいたいものです。

 


映画にみるセラピー

2020年08月20日

セラピーの目標は自分を変える(ex.自分の行動を変える、自分の傷を癒す)ということだとすれば、自分を見詰める、自分を知る、自分に何が起きているかを知る、ということがまず何よりも大事だと思います。

個人療法であまり感情が出なかったりホームワークに消極的な場合などは、グループ療法や自助グループをお薦めしています。グループの方が向いている人や併用したほうがいい人など利用の仕方は各々変わりますが、グループの力はとても大きいものです。ピンとこない人はハリウッド映画をよく観るといいかもしれません。ちょこちょことそういうシーンが出てくるので、ああこういうことをするのだな…とニュアンスをつかめると思います。

先日私がビデオで観た映画も、作品として興味はなかったのですが、セラピー的要素の場面を軸にして観ていました。それは『ロケットマン』(2019)であり、作曲家・歌手エルトン・ジョンの半生を描いたものでした。トーンも描き方も『ボヘミアン・ラプソディ』にとてもよく似ていると思っていたら同じ監督でした。

エルトン・ジョンはずんぐりしていてド派手な衣装の人で、同性婚をし養子の赤ちゃんをパートナーと育てているということはニュースで知っていたのですが、映画ではドラッグとアルコールとセックス依存から更生施設に入り治療を受けていたことが描かれていました。グループセラピーシーンは10数名くらいで輪になって座り、順繰りに自分の家族歴などを語っていくものです。「私の父親はかくかくしかじかで、こんなことがあった。あんなことがあった。淋しかった…」とか「学校ではこんなことがあった…」とか、心に浮かぶことを話していきます。

グループにはファシリテーターと呼ばれる人がいて、参加者やグループ全体に寄り添いながら適度に質問を投げかけたりコメントをしたりします。自分のことを話し、人の話を聴き(これが実はとても難しいことです!)、その相互作用が蓄積されていき大きな力を発揮します。最もベーシックなグループセラピーのスタイルでしょう。

映画なのでグループセラピーのスポットライトはエルトンにしか当たりませんが、彼は自身の語りの途中で怒りの感情が爆発し椅子を輪の外にぶん投げます。輪の内じゃなくて良かったです。ドキッとするシーンですがこれは本当にあったことなのかそれとも演出なのかはわかりませんが、そんなことを考えながら観るのも興味深いものです。

彼は不在がちで非常に冷たい父親と派手でファッショナブルで口に締まりのない母親のもとで育ってきました。彼の華やかさ、表現力の豊かさ、音楽の才能は天賦のものなのかもしれませんが、同時に祖母や母から育まれ引き継がれたものだということも伝わってきます。

 

 

 

 

 


暑気払い

2020年08月12日

連日連夜あまりに暑いですね。外歩く人たちは手にミニ扇風機を持ったり首にかけたりしていていいなあと思うのですが、すぐに飽きて打ちやる我が性分がわかっているために買うのはやめました。

さて、倒れそうだったのであまり好きではなかったものに挑戦してみました。
それはコレ↓

shaved ice

極度に冷たいものが苦手なのと、氷にお金を払うことの意義が見いだせずに敬遠していたのですが、食べたら甘くて美味しかった!こうやって甘味処で食べたのはおそらく初めてでしょう。それまではお祭りの屋台などで付き合いで食べた程度でした。

自分の好みを超えたものに挑戦してみるのもいいものですね。食べ物であれば超えやすいし…。暑くてたまらないのでブログはここまでということで。

sunflower


『悲しいけど、青空の日』

2020年08月01日

慌ただしかった7月も終わり、8月を迎えました。今朝今年初めてのヒグラシの鳴き声を聞きました。そのままずっ~と寝ていたい、気持ちのいい一時でした。やっと梅雨明け発表もされましたね。

さて、今日は一冊の本を紹介したいと思います。

『悲しいけど、青空の日』(2020)文・絵シュリン・ホーマイヤー著・田野中恭子訳 サウザンブックス です。副題は「親がこころの病気になった子どもたちへ」、精神疾患の母親をもつ学童期の少女モナが主人公のドイツの児童専門書です。専門書といっても小学生であれば読めます。第二章はモナから同じような境遇にいる子どもたちへの語りかけとなっています。

絵がドイツ的(?)で可愛いのはさておき、「精神疾患とは何か」を子どもたちが理解しやすいように、率直に説明されています。親に何かあるなというのはわかっていたけれど、大人になるまで、ある程度大きくなるまで、何の病気かは誰からもちゃんと教えてもらえなかった、という大人たちには実によく出会います。

親に起きていること、家庭の中で起きていることを、子どもにもよくわかるように説明をしてもらえなかったり、大人たちから適切なケアをされないでいると、子どもたちは悲しさ、不安、恐怖、怒り、孤独、生き辛さなどを抱えたままやっとの思いで大人になっていきます。特に日本のような「状況を察しなさい」的な要素が強い文化のなかで育つと、「聞いてはいけない」「そっとしておかなくてはいけない」「外に漏らしてはいけない」ということに繋がっていくと思います。

この本は子どもたち向けばかりではなく、大人たちに、子どもにどうやって伝えたらいいのかを優しく示してくれてもいます。

book『悲しいけど、青空の日』

『悲しいけど、青空の日』親がこころの病気になった子どもたちへ


niksen

2020年07月23日

今週末3日間は幾つかの枠を除き基本的にお休みになります。今日から4連休ですが世間は go to travel ということらしく東京駅も比較的混んでいました。国と都と医師会の温度差が激しく何を指針に動いたらいいのかわかりませんが、もはや個々人が判断をして出来得る限りの予防策を取りながら生活をしていくしかないのではないかと思っています。

今朝のニュース番組で紹介されていたことですが、オランダでは「niksen(ニクセン)」という文化があるようです。これ、わかりますか?niksen=「何もしない」という動詞だそうで、「何もしないことをする」のだそうです。自宅で日向ぼっこをしたり、珈琲やお茶を飲みながらぼーっとしたり、目的をもたない快い行動のようです。聞くだけで心地よさそうな、羨ましいような、優雅な感じが漂ってきます。「快さ、快感、快適さ」がポイントのようですね。

さて、本当ならば niksen といきたいところですが、私は明日から5日間のオンライン研修が始まります。講師の先生方は南アフリカや欧州から参加で日本との時差は7時間。一日7時間、何十人の大所帯でどのような展開になるのか全く見当がつきませんが、実地と違い踊らされなくて済むのは良かったです(笑)。毎回ランバダとか音楽に合わせて色々踊らされるのですが、今一つ日本人はのれません。ノリノリでやっている人を見かけたこともない。もしかしたら西洋の先生方のストレス解消時間なのかもしれませんね。

鷗


バランスをとる

2020年07月11日

コロナのことについて日々の生活や臨床で感じる雑感を述べたいと思います。あくまでも主観の範囲ですが、地方の人と首都圏の人とではこのウィルスに対する態度が異なるように感じます。

地方の人は「東京はとても危険なところだ」と思い、また自粛の度合いが強いように見受けられます。「外食もここ数ヶ月していません」という人もいます。反対に首都圏の人は緊急事態宣言が解除されてから、余暇活動など生活の範囲をだいぶ広げて動いているように思います。

感染者数が少なく生活空間が広くて自然も豊かな地方でコロナに対する恐怖心が高いのに対し、反対に環境的に人々が密集して生活している東京ではさほど怖がってもいないのでは?という差を感じるのです。(勿論例外も多々あります。)

毎日東京まで電車を利用していて思うのは、2-5月は車内も駅構内も緊張感が断然に異なりました。ほとんどの人が吊皮や手すりに触れようとはせず頑張って立っていたり、エスカレーターのベルトにつかまる人もあまり見受けられず人と人の間をなるべく開けて利用していました。張り詰めた空気が漂い、話をする人もほとんどいませんでした。

過剰だとは思いますがマスクを二重にしている人、ビニール手袋をしている人もいましたが今は滅多に見かけません。吊革にかけるMyフックが注目されていましたがそれを使っている人も今のところ見ません。実際は感染者数が増え続けていますが、号令(週末の外出自粛要請や緊急事態宣言)次第でこのように態度が変わるのは、コロナに対する一定の知識を得たための合理的な判断に基づく行動なのでしょうか。そうだといいのですが、若い人の中にはマスクをせずに車内で普通に話している人がいるのも事実です。

一方で、地方の知事が東京を敵視したり首都圏からの移動を怖がるという心理も、「東京から来た人が感染を広げる」という事実のみによるものではなさそうに思います。人は自分が置かれた生活環境や背景によって、危機に対する感度や認知が自ずと異なってくるのではないでしょうか。首都圏の人も地方の人もどちらにも、認知的なバイアス(偏り)がかかっているように思われます。社会経済活動を停滞させないためにも、自分のバイアスに気付き、バランスを取りながら生活をしていくことが大切なように思います。行き過ぎた恐怖心も気の緩みも社会の停滞を招いてしまうと危惧しています。

 

 

 

 


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