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ブログ 心's LOOM

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2019年08月31日

27,28日と催眠のアドバンス研修会に行っていました。ジェフリー・K・ザイグ先生という世界各国で教えられているアメリカの著明な先生によるもので、具体的な技法を習うというよりは大切なスピリットを体験したように思いました。

こんなワークがありました。2人組でピッチャー・キャッチャーを決め、椅子に向き合って坐ります。ピッチャーは頭を下げた状態から徐々に頭を上げていき、キャッチャーの目を、尊重の眼差しをもって5秒間見詰めます。キャッチャーはそれを受け留めます。5秒したらピッチャーは感謝の念をジェスチャーなど言葉以外の手段で示しながら、その場を退室するような感じでこのエクササイズを終了します。後は2人で感想をフィードバック。

どうですか?簡単そうで、実はとても難しいワークですよね?尊重の眼差しの5秒間はなんて長いのだ!と思うし、感謝のジェスチャーも唸ってしまいます。それに何より気恥ずかしい。穴があったら入るか茶化したい衝動に駆られます。「日本人だからね、照れちゃいますよね…」なんて言いながら行っていました。でもよく考えてみてこういう演習があるということは、アメリカにおいても「人の目を見詰めながら尊重と感謝の気持ちでいる」という状態でいることが難しいのかもしれません。(目を見詰めるのが禁忌である文化圏もあると聞きますからそこは注意ですが)

日頃空気のような存在になっているパートナーや親子間でやってみると、きっと新鮮な気持ちが生じると思います。時には自分の気恥ずかしさと向き合ってみるのもいいかもしれません。幼い子やペットとならば、幾らでもできること請け合いですが…。そういえば、先日観た『崖の上のポニョ』において、ポニョと宗介はよく見つめ合って、ポニョは宗介の顔に水を吹きかけていましたっけ。話が逸れますが、あれはなかなか哲学的な作品で好きになりました。

因みにザイグ先生はサインを書いてくださるときに、書き終えた後、相手の目を一瞬じっと見られるので、なかなか照れるものがあるなあ…と感じていました。

 


猛暑

2019年08月18日

うだるような暑さが続いています。
体調管理が難しいですね。体調を崩される方が多いようですが、私も冷房のせいか喉がやられてしまいました。

self-careセルフケアというのは心身の健康にとても大切な概念です。最近ではself-neglectセルフネグレクトという言葉も浸透してきましたが、セルフケアをできていない究極の状態がセルフネグレクトなのでしょう。

自分のケアをする。まずは難しく考える必要はなくて、この時季であれば、毎日の水分や塩分の摂取を意識したり、冷たいものの過剰な摂取を控えたり、暑いさなか出掛ける時は通気性の良い服を着て帽子や日傘を使うなど、当たり前のことを心掛けましょう。

plumeria


over the rainbow

2019年07月31日

梅雨も明け暑さも本格的になってまいりました。
研修中の淡路島は土曜日の半日を除き晴天続きでした。

研修はとても有意義なものでしたが、ホテルの部屋から見える景色はいつも下のようで、何ともつまらないものでした。夕方に会議場から帰ってきて、また会議場を眺めてもねぇ…。

conference center

ところが、金曜日には次のような景色が…。

over the rainbow

わかりますか?大きな虹が、大阪の方からこちらにかかっていて、時間を追うごとに濃くなっていきました。この後、手前にもう一本ダブルで薄っすらと出てきたのですが、上手く写真に収めることができませんでした。

とても美しくて、眺めているだけで疲れが吹き飛びました。沢山の情報が飛び交うこの社会のなかで、自分が本当に求めているものは何だろうか…などと物思いにも耽りました。

 


お休みのお知らせ

2019年07月21日

7月も下旬を迎えました。肌寒い日が続きましたが、関東は間もなく梅雨明けでしょうか。

今週24日(水)~来週28(日)までの営業日は研修出張のためお電話は不通になります。気分的に遠い淡路島まで行ってきます。御用のある方は7月31日(水)以降にご連絡をください。宜しくお願い申し上げます。


『万引き家族』

2019年07月11日

遅くなりましたが先日やっと、是枝裕和監督の『万引き家族』を観ました。
鮮やかな起承転結を望む人には後味の悪い映画のようですが、その後それぞれの人生はどうなっていくのだろう…と余韻のある作品でした。

是枝監督は、今日的な家族に因む事件や事案(子どもに万引きをさせて生活の足しにして暮らしていた家族や、高齢の親が自宅で亡くなった後も遺体を放置し亡き親の年金で暮らしていた中高年の子、戸籍がなかったり所在不明の子どもたち etc.)を題材にして、血の繋がりはないけれど家族の物語を描いたとインタビューで語っていました。

父親は意欲的には働かないし、万引きどころか車上荒らしもするし、のらくらしていてだらしがない。でも、基本的に心優しい性格です。また万引きを子どもに教えるときは真剣そのもので、父親が子どもにモノを教える時はこういう感じであろうなと切実に訴えてきます。犯罪に巻き込んでいる悪い父親なのだろうけれど、ままならない社会で生き抜いていく術を身をもって教えているという意味では愛情深い人なのだと思います。長男に自分の本当の名前を付けて自分の育て直しをしているとか、父親の心理分析をしてみても何とも無粋の様な気がしてきます。

祖母や母親、母の妹といった人たちも何というか気だるい、だらしがない雰囲気が漂っている。それでも基本的に優しい人たちで、家族には笑いと思いやりがあって温かい団欒の時間があります。

そういった大人たちではあるけれど、就学期の子どもをどうにかして学校へ行かせるほどの気は回らない(長男は盗んできた子なのでしょうか…?私にはそうも思えないのですが…)。経済的に大変だからというだけでなく、遵法精神や規範意識が薄いというよりも、そもそも初めから制度の枠外で肩寄せ合って生きている印象なのです。

父や母も躾や教育、社会的な保護とはほぼ無縁な環境で育ってきたことが窺い知れます。母の妹はだいぶ違うところに位置しますが、それは作品を観て考えてみてください。犯罪は反社会的ですが、この人たちが反社会的かといえば決してそう断ずることもできないように思います。母親を演じた女優は、「結局のところ、自分がこの役を好きなのか嫌いなのかわからない」と言っていましたが、是枝監督はこういう人物を劇中で表現するのが上手な人ですよね。

最終的に家族の形態は崩壊し両親は捕まります。そのときの女性取調官の発言は薄っぺらい世間そのものに思えてきます。自分がついこういう見方に囚われていないか、背中がヒンヤリします。まだご覧になっていない方、興味のある方は是非鑑賞してみてくださいね。

 

lotus flower


いたわる

2019年06月14日

ここのところ行き帰りの電車のなかで、神田橋篠治先生の『心身養生のコツ』(2019,岩崎学術出版社)というのを読んでいます。精神分析を学ばれた精神科医の先生ですが、その治療法は随分と東洋医学的(整体、漢方、気功法、瞑想等)な要素が色濃く、一回では理解できないので二度目は精読しています。

「気が見える」とか「邪気」だとか、男女の在り方についての考え方など、私の理解の範疇を超えてしまうものやちょっと今では古いのでは?と思うところもあるのですが、あれやこれや考えを巡らせながら学んでいます。

まあ、難しいところは置いておき、この本は読んでいて笑える箇所が沢山あってとても面白いのです。

たとえば「アー・アーの気功」。これは胎児期トラウマ(母胎の中にいたときのトラウマ)の治療法で、次のように行います。うつぶせになって、自分のお腹の中に「胎児の自分」を宿しているところをイメージし、心のなかで労りの気持ちをもって「アー」と胎児に呼びかけます。次に胎児の自分が「アー」と可愛らしく返事をします。優しい呼応をイメージするのですね。その次がすごい!自分の舌はお母さんのおっぱいを吸っているつもりになってしゃぶるんだそうです。口ではこれをしながら、アー・アーを30秒から1分する。終わったら起き上がって世界を見渡してみる。これを朝晩、1-2ヶ月繰り返すそうです。

ね、すごいでしょう?正直、最初は馬鹿らしいと思っていたのですが、この間の学会で先輩とこのことを話していたら、すごい効果があるので絶対自分でやってみるようにと薦められました。コツは、唇や舌だけじゃなくて喉全体も使って、本当の赤ちゃんのように力強く吸ってみることだそうです。そして終わったら起きて世界を見渡すと、パッと世界が新鮮に映るということでした。

で、実際にやってみましたよ。手始めにまずは夜寝る前。アー・アーは慈悲の心が生まれるというか、本当に優しい気持ちになります。遠い過去の生まれてくる前の「私」に対し、親近感と愛おしさを感じることができます。おっぱいはどうかというと、これはどうやらそのまま寝てしまうようでしたので、今度は朝も行ってみようと思います。

どうせ誰も見ていないところで行うのでしょうから、是非、皆さん(男性こそ!)お試しください。

紫陽花の美しい季節になりました


どういう社会にしたいのか

2019年06月02日

金曜日から今日まで学会及び研修会に参加していました。
今年のテーマは「子どもの臨床と家族、社会」であり、とても貴重な時間を過ごすことができました。

総会にはルポライターの杉山春さんという方がお出でになられ、児童虐待問題に関するテーマの講演を聴くことができました。この方の児童虐待を取材したルポは何冊か読んでいるのですが、ルポライター、ルポルタージュの存在価値というものを再認識させられました。

児童虐待問題を扱うときには(どの社会問題も同じだとは思いますが)、「鬼畜の親が子どもを虐待した」では、あまり深まらずに話が終わってしまうけれど、詳細にみていくと必ずしもそうではないのだということを教えられました。「状況依存的」という言葉は臨床の場でよく聞きますが、人の問題行動もその人の置かれた状況如何によって、発現したりしなかったりと変わってくるのでしょう。

先の読めない移り変わりの激しい社会、そこに生きる家族の在り方、父(男)と母(女)がどのような社会的、経済的、文化的状況を生きているのか、という視点を失わないでいたいものです。そこから真の意味での治療や支援ができるのだなと改めて思いました。

 

大隈講堂

 


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