2015年11月25日
勤労感謝の日は勉強のためにオペラを観に行ってきました。祝日だったせいも手伝ってか、来ている女性陣は着物やら何やらと随分華やかな装いが目立ちました。オペラというと幕間はシャンパンなど片手に談笑に興じるという一見かなり煌びやかな世界で、何というかそういう場所はムズムズしてきて苦手なのですが(いい加減だいぶ慣れましたが)、内容は実は歴史、政治、思想といった点から見て大変ラディカルなものが多いし、心理の面から見ても普遍的・根源的テーマを扱ったものが沢山あります。対照的な華やかな劇場にいると、どこまでそれを理解しているのか時々ふと疑問に思うこともないのですが…。
さて、昨日観た演目はプッチーニの『トスカ』。時は1800年(フランス革命後)、舞台はローマで、トスカは売れっ子の歌姫という設定です。
早い話がトスカの誤解に基づいた(はめられたといって良いが)、嫉妬が招く大悲劇(大悲恋)なのですが、展開は反体制運動、拷問、刺殺、銃殺、投身etc. と、まあ目白押しです。トータル3時間弱はまるで映画を観ているような感覚に襲われ、あっという間に過ぎていきます。しかし、ねぇ、女の嫉妬心というか、猜疑心というものは、実に恐ろしい結末をもたらすものです。男の嫉妬も同じかもしれませんが。
「私は嫉妬なんてしない」という人がいたらちょっと脇に下がっていてもらって、「よくわかるなぁ…」というほうが正直だと思います。
トスカは信心深い歌姫で画家の恋人がいるのですが、彼が教会の祭壇画「マグダラのマリア」を描いているのですね。そのマリアを金髪碧眼で描いているのですが、トスカ自身は黒髪黒目の持ち主。画家のトスカに対する愛情は一途で偽りの無いものなのですが、トスカは「もしや…、あの金髪碧眼は…」と訝っています。不安でたまらないトスカ。画家に、「ねえ、私を愛している?」「あの目を黒く描き直しておいてね」と執拗に言います。女性ならありがちな態度でもあるけれど、どうも彼女はボーダーライン傾向の人ですね。純粋で愛情深い女性である反面、見捨てられ不安が強く操作的。トスカは孤児で羊飼いをしながら修道院で育った、という過去があります。
そして恋人は彼の親友である政治犯(逃亡者)を匿ったに過ぎないのに、トスカは「女がいるんだわ。きっとあの人だわ」と誤解し浅はかな行動へ。恋人は時の権力に捕らえられ、目の前で拷問されます。トスカ自身もサディスティックな警視総監に手込めにされそうになり、彼をナイフで殺めてしまいます。殺めた後、2本の蝋燭を警視総監の前に置き、十字架をボディの上に載せ弔うのですが、このシーンが鬼気迫るというか狂気の世界というか。八つ墓村を思い出しました。
実は今回のオペラでハプニングが。
トスカ役の期待のソプラノ歌手が体調不良で1幕で退散。2幕からはカヴァーで控えていた日本人歌手の登場。これにより化粧やら衣装合わせとかで幕間の休憩時間が25分から1時間近くに。そんなこともあるのですね。倒れてしまった歌手は写真はアンジェリーナ・ジョリー張りでしたが実際は…。優美さが、うーーん。2幕から登場のトスカは、大きさは変わらないけれど背がやはり低い。観客も同一人物視するのが大変です。でも彼女(日本人歌手)の方がもっと大変だったでしょう。2幕からいきなり出て、「神様、なぜ私だけがこんなに酷い目に遭うのでしょう。私は歌に生き、恋に生きてきただけ。私は今まで何も悪いことをしてこなかったのに〜」という有名なアリアを情感を込めて歌わなければいけないのですから。
後日人に聞いたら、何でも一幕出ればギャラは通しでもらえるのだとか。へぇ、そうなの。じゃあ、2,3幕と出た日本人歌手も通しで貰えるんだろうか?でも、もうこの外国人ソプラノ歌手が出るときは行くのをやめましょう。本当に体調不良なのか、”個性”なのかはわからないので、ね(笑)。
2015年11月22日
昨夜、教会の前を通ったら、クリスマスツリーのイルミネーションが煌めいていました。ご覧のとおり↓質素で地味でしたが(写真も携帯で粗いのだけれども)、冷たい空気のなかで凛と輝いていました。
この時季届くのが喪中の葉書。自分と変わらない年齢の人や友人の両親といった方たちが今年他界されたことを知り、そうか、自分ももうそんな歳まで来たんだなとしみじみ思いました。メメント・モリ…。まだまだやりたいことや夢があるのだけれども、先の現実も見えてきて不安はたくさんあります。
「人は不安と恐怖があるからこそ、何かをやるんだよ」とある精神科医の先生がおっしゃっていましたが、正にそうなのでしょうね…。仕事やパートナー探しや何らかの活動をすることを、先生は行動処方として大胆に取り入れていました。そこまで患者の人生に踏み込む精神科の先生はあまり(ほとんど?)いませんが、私もその姿勢は賛成です。それらの行動処方とは、つまるところ、「何かを愛せ」ということでしょうね。人は誰かや何かから愛されることではなく、愛することで、生きていくことの不安や翳りが幾分でも和らぎ、光が差してくるのだと思います。
人は不安と一生付き合っていかなくてはいけないのですが、その付き合い方の質を変えていくのが、心理療法ないし精神療法と言われているところの目的なのでしょう。
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昨日の答え。
コロネでした。耳はアーモンドで出来ています。
2015年11月21日
今日は日中暖かだったようですね。
23日は勤労感謝の日ですが、’小雪’の日でもあります。
朝晩は本格的に冷え込むようになってきました。もう冬物のコートでもいいくらい。巷は咳の方が増えてきているようなので、どうぞ気を付けてくださいね。
出かけに撮った山茶花。寒くてぶれています。
↓ これは何だ?この巻き貝のようなものは?答えは明日。
2015年11月18日
雨降りが続いてなんとなくウンザリしますね。
こうして初冬の準備を迎えていくのでしょうか…。
白山通りの沿いの銀杏はだいぶ黄色くなってきており、はらはらと散っています。
晩秋の色ということで、柿をテーブルに並べてみました。渋柿じゃないのとやや疑ってかじりついたら、ほんのり甘く美味でした。
ところで、民家の軒下を通るときは柿の木に気を付けましょうね。熟れた柿が落ちてくる可能性があります。小さいときの電車の中の記憶に、柿の実に直撃されたおじいさんがいました。電車の中でどうやって?って、昔、よく電車は窓を開けて走っていましたよね。それでおそらく、窓から、おじいさんの首の白いYシャツ辺りに落ちてきたのだと思います。周辺の人たちがティッシュを出して対処していました。子供なりに、おじいさん、気の毒だなあ…と。以来、柿の実には注意するようになりました。
でも、この記憶、今思い返すとちょっと変ではありませんか?なぜなら柿の実が熟れて落ちるのは結構寒い時季で、電車が窓なんか開けて走るでしょうか?昼間の普通電車ならあり得るのか…?
何かの記憶と加工されたり、歪められたりしているのかもしれませんが、確実にカラー映像は残っているのです。
2015年11月15日
今日は気持ちのよい青空が広がりました。神保町からはビルの合間に垣間見えるだけなのですが、それでも爽やかな気分になりますね。
今週も終わり、フィル・コリンズを聴きながら、以前受けた催眠の講義のノートをまとめていました。こういう”ながら時間”が好きなもので。ノートをつけながら、催眠では言葉の使い方、特に同音異義語に注意をしろとありました。
そういえば…。
昨夜読んでいた市の広報誌にあったのが、「争族と法律相談」。これもすごいですよね(笑)。意味は通じます。「相続」が正しいと思うし、どう変換しても「争族」は出ないのですが、この文書を作成した人の現状なのかしら、などと勝手に想像していました。想像は更に面白いネーミングへと広がり、そういえば、スナック「苦労」というお店がありました。気が悪そうで誰も近寄りたくないと思うのですが、実はこれ「不苦労」の不が消えてしまっているようなのでした。鳥の「ふくろう」だったのね。不苦労もねぇ。
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そういえば前々回のブログで少し取り上げたトイレットペーパーについて、どういうものか知りたいという方がいました。ネットで検索すればあると思いますが、ちょっと綺麗なものから20cmほど失敬してきたものに装飾を施してあげて載せると以下に。いかが?これがロール状態ですと、もっと緑緑、緑色のペーパーなのです。(マナーのお話として掲載?)
2015年11月13日
20代の女子達と話をしていると(セッションしかり普段しかり)、「人からどう見られるか」を非常に気にする人が多いように思います。キレイに見られたい。美人に見られたい。可愛い人に見られたいと。まあ、気持ちはよくわかります。でもね、化粧やファッション、整形などに金銭、時間、労力をつぎ込み、教養や人格を磨くことには無頓着なのです。
反対に「(自分が)人をどう見るか」についてはほとんど真摯な態度は見られず、特定の人物をやたら崇めたり嫉妬したり、「他の女子はみんな可愛い」とか「他の人は自分と比べてそんなに悪くない。それほど気にするほどではない」といった返答がきます。一人をやたら高く評価したり、”皆”を強調したところで、二つの見方は所詮同じ穴の狢のようなものです。
つまり他人の悩みなどはどうでもよく、「私の悩み」こそが大きいし、「私」こそが比較された上で人からキレイと言われたい、という気持ちが見え隠れしますが、どうもそこに気付かない人が多い。
誰から評価されたいかというと男性のようで、でもね、それって男頭と同じになるってことですよ。そんなに男性の評価ばかり気にして生きてると大事なものを失うよ、と言いたい。
この前買った宮澤賢治の『ひのきとひなげし』には、その辺りのことがとてもよく描かれていました。ひなげしといえば真っ赤な花畑を想起させますね。大群で風に揺れながら咲く素敵な花たちです。与謝野晶子のコクリコの歌でも有名で、どことなく浪漫を感じさせる花。
賢治の世界のひなげしたちは、薔薇のようなスターに憧れ、美しくなろうとするあまり、悪魔に全てを売ろうとする話です。
明治時代の賢治が、悪魔を美容外科医に化けさせていたり、無一文のひなげしが唯一売れるものに、自ら生成する阿片を設定していたりと(本当は阿片は「けし」から栽培されますが…)、現代に通じる鋭いお話となっています。また最後の最後まで、ひなげしたちは愚かに描かれていて、助けてくれた1本のひのきの樹を馬鹿にして話は終わります…。悩める女子たちに読んでほしい作品です。
宮澤賢治 作・出久根育 絵(2015)『ひのきとひなげし』 MIKI HOUSE
2015年11月11日
昨日こんなニュースに目がとまりました。
先天的に重い障害のある野生チンパンジーの雌の赤ちゃんを、約2年間にわたりその母親と姉(11歳上)が世話を続けたというものです。こうした調査研究は初めてで、アフリカで現地調査をした研究者は、チンパンジーの高い社会性を裏付けるものであり、障害のある子に人間の祖先がどう接してきたかの理解に役立つ、と言っています。
美談とかそんなのではなくて、チンパンジーの”社会性”について、想像を刺激する興味深い報道でした。国際学術誌(電子版)『PRIMATES』に論文が掲載されているのですが、う〜ん、高いのでabstractだけ読むと、益々面白そう…。何でも、他のメンバーのチンパンジーたちも、この赤ちゃんに対し嫌悪やひどい反応を示さなかったということです。ただ母親は、自分と娘以外の仲間にその子の世話を許さなかったとか、これなどもどういうことなのだろうと知りたくなりますね。
社会性ね…。
話は打って変わり、既に体験された人もいらっしゃると思いますが、東京駅のトイレのペーパーには度肝を抜かれました。でももう慣れてしまいましたが。絵柄入りトイレットペーパーならぬ、「歩きスマホ禁止!」の緑文字入りペーパー。たぶん自分の世界に浸り、歩きスマホを堂々とやっている人は、トイレットペーパーの柄にも気付かず使っているのだと思います。
使い回しの子チンパンphoto