2015年12月08日
お宮参りをしてきましたら、こんもり繁った黄金色の銀杏の樹がありました。陽の光を浴びて本当にきれいでした。そばに近寄ると、空気の色がぱあっと明るくなって、寒空の下の救いです。
この時季は、神保町界隈、白山通りの銀杏並木もそこそこに輝いています。歩道のゴミがなければいいのだけれど…。
寒さが日一日と厳しくなってきています。
どうぞ風邪などひかれませんように。
2015年12月06日
さて、先日観に行った岩波ホールの映画。
なんというか…、鑑賞後はブルーならぬグレーな気分になりました。決して出来の悪い映画ではなく、今の私には観る力が足りなかっただけ…。想像と色々違いました。グルジアの自然や風景がもっと描かれているのかと思ったら街の場面が多かったし、『100万本のバラ』のような分かりやすい情熱的な画家では決してありませんでした。
映画の中の画家ピロスマニは、観ていて歯痒いくらい人付き合いが下手で、損得を考えずその時の感情のままに生きている人でした。感情のままといっても欲得がないのか、孤独のうちに貧しく死んでいった人。観ていて悲しくなってしまった…。
彼はアカデミックな場ではなく独学で絵を学び、酒場から酒場を彷徨い歩き、そこに飾る絵を描いて生計を立てていました。短い生涯の間で、一時は持ち上げられ、その後は「きちんと学んでいない幼稚な絵だ」と酷評され、社会の勝手さに翻弄されました。でも彼の立派なところは、ずっと軸はぶれない生き方を通したところです。
絵は、ややアンリー・ルソーに似ているような、素朴で力強く高い才能を感じさせるものでした。調べたらルソーとほぼ同時代の人。ルソーが50才代から本格的な画家活動をしたとすれば、ピロスマニの方が先なのかも知れないなどと想像していました。
2015年12月04日
岩波ホール
今月で岩波ホールの会員期限が切れることがわかりました。ここは確か2年間で2000円の会費を払えば、毎回400円安く観ることが出来ます。ですので今夜は観に行ってこようと思います。上映中の作品は、グルジアのある画家の物語とか。グルジアは最近ジョージアと呼び方が変わって、アメリカの州と紛らわしいですね。
この主人公は、加藤登紀子の歌、『100万本のバラ』の中の画家と同じだそうです。勿論、加藤登紀子は私の世代ではありませんが、この歌は小さい頃聞いて何故か耳に残っています。感想はまた後日。
2015年12月01日
12月1日になりました。先週だったか夜半に雨が続いた日の朝、針のような天気雨が降るなか、きれいな大きな弧を描いた虹を空に見つけました。そういうときばかりカメラを持っていなくてただただ見上げるだけでしたが、虹というのは不思議と希望を感じさせてくれるものですね。くすんだ気持ちも虹を眺めると明るくなります。
さて、今日読んだ新聞記事のなかに、「記憶」というものを考えるうえで興味深いものがありました。
それはフランスの精神科医で作家のボリス・シリュルニクさんという人へのインタビュー記事でした。彼は6歳だった第二次世界大戦下、強制収容所へ移送される途中に脱走し、家族が殺されたなかで命を得た子供でした。戦争終了後、その脱出劇は大人たちから信用されず、また言葉が凍りついてしまったようだったといいます。
そうして自分というものが、「友達と元気に遊ぶ自分」と「(社会に共有されない歴史を抱えた)心に秘密の暗いものを抱えた自分」、という2つに分裂していたそうです。
そして40歳代になり、社会のなかに負の歴史を受けとめようとする機運も高まり、公の場で過去の体験を語ることができるようになってくると、自分が一つに統合されていったようだったといいます。記憶を語れるまでに、社会と自分の成熟が実に30年以上もかかっているのです。
これは何も戦争のような大事ばかりでなく、日常生活における傷つき体験、喪失体験の記憶を語るということにも悲常に大切な示唆を与えてくれます。それは「周囲が話を聴けるということ」と「語るまでにその人なりの時間がかかる」ということであり、また現実(過去)を否認しても問題は解決しないということです。
シリュルニクさんは国が全体主義に陥らないためには「どのようなことがあったのか、記憶を繰り返し繰り返し語り続けて、そして考えていくこと」の重要性を説いていますが、「安心して継続して話が出来る場」というのは社会と個人双方に必要不可欠なものだと改めて思いました。
2015年11月27日
ここのところお昼時間に三省堂、文房堂、ブックハウス辺りをうろつくことが多くなってきました。本屋さん、文具屋さんの店内は、随分キラキラと年末・新年へ向けた装いになっていますね。三省堂なんて本屋さんなのに、1階は小物やら文具などの売り場が目立ちます。お目当てのクリスマスカードを買ってきました。ついでに本も…。
今年もまた遅くなってしまいました。どうも季節を先取りして準備をするのが苦手。文通相手の子(クリスチャンの子)にクリスマスカードを送るのですが、インフラ事情から着くのは1月終わりか2月初め。遅すぎますね。だから新年の挨拶も込めます。子供たちの間で日本のドラえもんやキティが流行っていると聞いたので、キティものや文具なんかを少しずつ贈ったりもしているのですが、1回しか反応がありません(笑)。うーーん、本当にプレゼントが届いているのか心配。国が国だけに途中で没収あるいは行方不明なんてこともあるのかもしれません。
2015年11月25日
勤労感謝の日は勉強のためにオペラを観に行ってきました。祝日だったせいも手伝ってか、来ている女性陣は着物やら何やらと随分華やかな装いが目立ちました。オペラというと幕間はシャンパンなど片手に談笑に興じるという一見かなり煌びやかな世界で、何というかそういう場所はムズムズしてきて苦手なのですが(いい加減だいぶ慣れましたが)、内容は実は歴史、政治、思想といった点から見て大変ラディカルなものが多いし、心理の面から見ても普遍的・根源的テーマを扱ったものが沢山あります。対照的な華やかな劇場にいると、どこまでそれを理解しているのか時々ふと疑問に思うこともないのですが…。
さて、昨日観た演目はプッチーニの『トスカ』。時は1800年(フランス革命後)、舞台はローマで、トスカは売れっ子の歌姫という設定です。
早い話がトスカの誤解に基づいた(はめられたといって良いが)、嫉妬が招く大悲劇(大悲恋)なのですが、展開は反体制運動、拷問、刺殺、銃殺、投身etc. と、まあ目白押しです。トータル3時間弱はまるで映画を観ているような感覚に襲われ、あっという間に過ぎていきます。しかし、ねぇ、女の嫉妬心というか、猜疑心というものは、実に恐ろしい結末をもたらすものです。男の嫉妬も同じかもしれませんが。
「私は嫉妬なんてしない」という人がいたらちょっと脇に下がっていてもらって、「よくわかるなぁ…」というほうが正直だと思います。
トスカは信心深い歌姫で画家の恋人がいるのですが、彼が教会の祭壇画「マグダラのマリア」を描いているのですね。そのマリアを金髪碧眼で描いているのですが、トスカ自身は黒髪黒目の持ち主。画家のトスカに対する愛情は一途で偽りの無いものなのですが、トスカは「もしや…、あの金髪碧眼は…」と訝っています。不安でたまらないトスカ。画家に、「ねえ、私を愛している?」「あの目を黒く描き直しておいてね」と執拗に言います。女性ならありがちな態度でもあるけれど、どうも彼女はボーダーライン傾向の人ですね。純粋で愛情深い女性である反面、見捨てられ不安が強く操作的。トスカは孤児で羊飼いをしながら修道院で育った、という過去があります。
そして恋人は彼の親友である政治犯(逃亡者)を匿ったに過ぎないのに、トスカは「女がいるんだわ。きっとあの人だわ」と誤解し浅はかな行動へ。恋人は時の権力に捕らえられ、目の前で拷問されます。トスカ自身もサディスティックな警視総監に手込めにされそうになり、彼をナイフで殺めてしまいます。殺めた後、2本の蝋燭を警視総監の前に置き、十字架をボディの上に載せ弔うのですが、このシーンが鬼気迫るというか狂気の世界というか。八つ墓村を思い出しました。
実は今回のオペラでハプニングが。
トスカ役の期待のソプラノ歌手が体調不良で1幕で退散。2幕からはカヴァーで控えていた日本人歌手の登場。これにより化粧やら衣装合わせとかで幕間の休憩時間が25分から1時間近くに。そんなこともあるのですね。倒れてしまった歌手は写真はアンジェリーナ・ジョリー張りでしたが実際は…。優美さが、うーーん。2幕から登場のトスカは、大きさは変わらないけれど背がやはり低い。観客も同一人物視するのが大変です。でも彼女(日本人歌手)の方がもっと大変だったでしょう。2幕からいきなり出て、「神様、なぜ私だけがこんなに酷い目に遭うのでしょう。私は歌に生き、恋に生きてきただけ。私は今まで何も悪いことをしてこなかったのに〜」という有名なアリアを情感を込めて歌わなければいけないのですから。
後日人に聞いたら、何でも一幕出ればギャラは通しでもらえるのだとか。へぇ、そうなの。じゃあ、2,3幕と出た日本人歌手も通しで貰えるんだろうか?でも、もうこの外国人ソプラノ歌手が出るときは行くのをやめましょう。本当に体調不良なのか、”個性”なのかはわからないので、ね(笑)。
2015年11月22日
昨夜、教会の前を通ったら、クリスマスツリーのイルミネーションが煌めいていました。ご覧のとおり↓質素で地味でしたが(写真も携帯で粗いのだけれども)、冷たい空気のなかで凛と輝いていました。
この時季届くのが喪中の葉書。自分と変わらない年齢の人や友人の両親といった方たちが今年他界されたことを知り、そうか、自分ももうそんな歳まで来たんだなとしみじみ思いました。メメント・モリ…。まだまだやりたいことや夢があるのだけれども、先の現実も見えてきて不安はたくさんあります。
「人は不安と恐怖があるからこそ、何かをやるんだよ」とある精神科医の先生がおっしゃっていましたが、正にそうなのでしょうね…。仕事やパートナー探しや何らかの活動をすることを、先生は行動処方として大胆に取り入れていました。そこまで患者の人生に踏み込む精神科の先生はあまり(ほとんど?)いませんが、私もその姿勢は賛成です。それらの行動処方とは、つまるところ、「何かを愛せ」ということでしょうね。人は誰かや何かから愛されることではなく、愛することで、生きていくことの不安や翳りが幾分でも和らぎ、光が差してくるのだと思います。
人は不安と一生付き合っていかなくてはいけないのですが、その付き合い方の質を変えていくのが、心理療法ないし精神療法と言われているところの目的なのでしょう。
*******
昨日の答え。
コロネでした。耳はアーモンドで出来ています。