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ブログ 心's LOOM

すっかり肌寒く…

2015年09月18日

夏の名残なんて悠長に言っていたら、夜間冷えてしまったのか、やや体調を崩してしまいました。気象庁のサイトを見ると、週末からお彼岸にかけてはまた暑くなるような、いや暖かくなるような、どちらにしてももういい加減秋らしい陽気なお天気になるといいですね。そしてこの度の災害の復興が一日でも早く進むことを願っています。いろいろな意味において日本の空に暗雲が垂れ込めている昨今、この先日本は一体どうなっていくのかと不安になります。

と、沈んだ気持ちでいたのですが、『オープンダイアローグとは何か』(2015 , 斎藤 環 著+訳、医学書院)という書籍を読み、精神医療の話ではあるものの何というか希望のようなものを感じることが出来ました。オープンダイアローグとは、文字通り「開かれた対話」ということです。

急性期の精神疾患の患者から要請があれば、24時間以内に治療チーム(精神科医、臨床心理士、ナースなど)が患者の自宅に集まり、患者、家族、友人・親戚など身近な人たちと共にミーティングを設けて対話を重ねていく(必要があれば何年も)、フィンランド西ラップランド地方で行われている革新的な精神医療アプローチの話です。その底流に民主主義というものが横たわっていることが非常に新鮮でした。集合した場に専門家はいても権威勾配はなく、どんな人の発言も尊重され丁寧に取り上げられるよう配慮されています。

この治療方法を日本へそっくりそのまま導入という訳には勿論いかないと思いますが、今後の斎藤環先生の研究が待ち遠しくあります。背景にある思想は慣れていないとやや難しいと思いますが、世界の片隅にこんな精神医療もあるのだと大変興味深いものでした。またこの本で紹介されているドキュメンタリーを観ると、今まで培われてきた価値観、世界観が揺り動かされるのを感じます。

フウロ草.JPG


季節のあわい

2015年09月13日

今日はphoto のみ…。

夏の名残。

庭の千草.JPG


『恋愛の心理』

2015年09月06日

白山通り沿いの銀杏の緑が褪せてきました。これから少しずつ黄金色に変化していくのでしょうね。

さて、読書の秋。読まなくてはいけないものがあるものの、こういうときこそ別のものが読みたくなり、森田療法の創始者である森田正馬の書いた『恋愛の心理』(1924/1958 白揚社)を読んでいました。森田正馬と言えばフロイトと同年代の人で、明治、大正、昭和を生きた精神科医ですが、一体恋愛の何を書いたものなのだろうと興味をもっていました。エッセーか何かかと思っていたら、いやはや結構読み応えのある内容で、恋愛とはなんぞやということを人生観の立場から捉えており、恋愛や男女の関係性の在り方を説いているものでした。

森田療法は神経症の症状を除くことのみを目標としているのではなく、神経症になるような生き方そのものを変えていくことを目指しているので、この『恋愛の心理』も大いに人の生き方に関わってくるため勉強になりました。

それにね、この先生の物の言い方、たとえの使い方が、昔の人の言い方もあってか、とても魅力なのです。何度笑えたことでしょう。例えば長い引用になりますが…、

「そこで恋愛の永続に大切な条件は、恋愛に対する適度の刺激が継続的にあることと、その感情を思いのままに一どきに発散、実行しないということである。食欲でも思いのまま過食すれば嘔吐、下痢を起すようなことになるのと同じである。要するに恋愛も腹八分目にして、腹一パイにしてはいけない。恋に荒んでも、恋の奴隷になってもいけない。」

臨床をやっていると、スターマインのような(?)恋愛を繰り返して辛い思いをしている人が多いように思います。どの世代にもお薦めの本です。ただ、如何せん時代が古いので、現代の人の”生”に当然そぐわない部分は多々あります。結婚観や男女観などは立ち止まって唸ってしまうところもあるし、差別的なんじゃないのと思われるところもありました。科学的にも古いところはあると思います。そういうところは上手く流しましょう〜。

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早いもので間もなく9月ですね。

2015年08月30日

一週間無事に仕事を終えることができ、日曜日の晩はまとめやら何やらついついオフィスに長居してしまいます。

最近は自己メンテナンスの一環で?、仕事後に焙煎豆の珈琲を自分のためにゆっくり淹れたりして、ぼーっと過ごすことが多くなってきました。

そして今晩は、ずーっと自分のことにかまけて怠けていた、文通相手の8歳の少女に手紙を書いていました。でも出すのは休み明けの火曜日。英文を見直して、ささやかなプレゼントを詰めて、それからです。少女は字を学んでいる最中なので、その子とさほど歳の変わらない姉や従姉妹が代筆してくるのですが、これが面白いのです。主語の I(アイ)が、誰のことを指すのか次第に分からなくなってくるので、子供らしくて可愛いなぁ…と温かい気持ちになります。言語は英語ではないので私はボランティアの方が翻訳してくれた英文を読んでいるのですが、多分ボランティアの方も混乱しているのでしょう(笑)。

やっと手紙を書く気になったのは、飲んでいた珈琲の国の子だったから。長らく御無沙汰していた罪の意識が少しヒリヒリしていたのでした。まだまだ開発途上の国の子供たち。学ぶ環境どころか生活環境が日本のようには整っていないなか、今頃何をしているのかな…と気になります。

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処暑

2015年08月23日

手帳を繰っていたら、今日は二十四節気の「処暑」なのだとか。

「暑い処(ところ)」かと調べたら(季節的にまさかね)、処は「ある場所におく」「しかるべく取り捌く」ということで、暑さがやむ、という意味でした。朝夕冷気が加わってくるのだそう。まあ一頃に比べればかなり涼しいですね。

それより最近目ならぬ耳を引くのが虫の鳴き声。日に日に増してきて、そこはかとなく秋の気配を感じます。そして何となく寂しくなる今日この頃…。

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↑ 吾亦紅、益々寂しくなるので…

百日草.JPG

↑ 100日楽しめる、百日草


八月

2015年08月14日

カメラを忘れたので画質は悪いのですが、畑の中に向日葵の一群があって、曇り空の下すくっと力強くとても綺麗に咲いていました。

明日は8月15日。この日に何を考えるのか。

九段に近い相談室界隈、明日また街宣車の「がなり声・怒鳴り声」が撒き散らされるのかと思うと、うんざりどころか腹立たしくなります。この間のセッション中もクライエントさんと苦笑いでした。あれは絶対100デシベル以上。断続的に中断され、ご迷惑をお掛けしてしまいました。何に言及しているのか間違われると困りますが、今国会前の活動、あれはシュプレヒコールなので性質が全く異なるものですね。

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『 Tracks 』

2015年08月09日

駱駝3頭+子駱駝1頭+愛犬1匹+女子1人のオーストラリア砂漠横断のロードムービー。

と聞けばいてもたってもいられなくなり、有楽町スバル座へ観に行ってきました。

邦題は『奇跡の2000マイル』、原題は『 Tracks 』。原題の方がずっとシンプルにこの映画の伝えたかったことを表していると思いました。

鑑賞後にネットの口コミを読みましたが、日本での評価はあまり芳しくなさそう…。

「この旅の意味がわからない」「無謀な若い女の子の冒険で、不必要に動物が殺されていった」という感想もあり、それはそれで理解できました。確かにね…。

どこに行っても自分の居場所はないと思い、若い世代の集まりのなかでも疎外感を感じている女の子が、いっそ思い切って場所を変えてみようと約3000キロの砂漠横断の旅に出ます。住み込みで働きながら駱駝(必要物資の運搬用)の調教を習い、徒歩で約半年かけてインド洋に到達する計画です。華奢な体の女の子が巨大な駱駝たちを連れて、熱砂の砂漠を踏破するのです。

ナショナルジオグラフィック誌の時々の写真撮影が条件で資金提供が成され、数週間おきにカメラマンと落ちあいますが、ほぼ単独での冒険で1970年代の実話です。

観ていて思ったのは、この女の子がこの先、人生を生きていくにはこの冒険が絶対的に必要であった、ということでした。彼女の幼少時の心の傷が大変深いこと、それを乗り越えるには大自然と向きあう生死を賭けた苛酷な冒険が必要であったことが、映画の所々から容易に伝わってきます。

パンフレットがいけないなぁと思います。このての映画になると、すぐに「奇跡」とか「自分探しの旅」などの美辞が並べられるのだけれど、大冒険の途中や目的地に「キラキラした本当の自分」なんかが転がっているわけではないのです。あるとしたら「こういうtracksをつけてきた自分」というものが、新たにその人を作り上げる一つの要素になるのだと思います。

それにしても冒険というものは魅力です。お風呂とトイレの心配がなければいいなあ…。

まあ、これほどの冒険や旅ではなくても、一日や数日の旅でも、意味深い時間にはできるのだと思います。

「Tracks」.JPG


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