2015年11月08日
さあ、今週も終わり。
立冬の本日は、冷たい雨がしとしと。しばらく続くようですね。
下の写真を撮り終わったら、愛用のリコーのデジカメがうんともすんとも言わなくなってしまいました。刺激を与えてもなだめすかしてもぴくりともせず。いやだなあ。修理に行かなきゃいけない。大型家電店のあの騒々しさが本当苦手。男性は喜々としている人が多いように見えますが、あれは何とも不思議。まあ、もう一台あるのでしばらく代用することにしましょう。
『終わらない夜 imagine a night 』 より ロブ・ゴンサルヴェス「白い毛布」
2015年11月05日
と言っても、ばったり倒れ屋さん(チェブラーシカ御存知?)、の話ではありません。
今朝、通勤途中の電車で、ばったり元クラスメイトに会いました。座っている私のちょうど斜め前に立った人。同じ線を使っているわけではなく、本当に偶然。しばらく話せて良かった。親近感がもてて好きな人だったから嬉しくて足取り軽く神保町まで来たのだけれど、道中全然フルネームが思い出せなくて、オフィスの中に入った途端、名前が出てきました。良かった〜(ホッ)。思い出したのは、よくくれていた手紙の文字でした。彼女の名前を綴った文字を思い出したのです。
そうか…。私は視覚情報を頼りに記憶を想起できたのですね。得意なのは聴覚情報かと思っていたのだけれど。何が言いたいのかというと、何でもメールやラインでお手軽にやり取りができて便利なのだけれど、書き文字もその人の存在を表す貴重なものなのだと改めて思ったことです。
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2015年11月03日
2015年も残り2ヶ月を切りました。一日一日を大切に過ごしたいと思います。
長い夏休みの残り1週間、襟を正して生活するような気持ちに似ていなくもないですが…。
私事でやらなきゃいけないことが沢山あるというのに、週末は名古屋へ研修に行ってきました。日本臨床催眠学会の研修です。ドタキャンしようかどうか最後まで迷っていましたが、行ってみて良かった。EMDR(眼球運動による脱感作)でお世話になった先生の講義でしたが、楽しかった。何がって?内容は勿論のこと、脱線が、です。催眠の歴史、催眠関連にまつわる諸々のお話。『リング』の貞子のモデルのことなども。
西洋では催眠は魔術的なものではなく、トリッキーなものとして認知されているのですが、日本ではまだまだ胡散臭く怪しいイメージがつきまとうもののようです。参加した先生方が大概そういったイメージを持っているのだから笑えますね。催眠は治療暗示をするためのものなので、セラピストが正しい認識をもつことが大事なのだと教わりました。セラピストが前世を信じて前世療法をする人だったら、クライエントも被暗示性が高まっているので(暗示にかかりやすいということ)、前世が見えたり行ったり体験したりするのでしょう。
それに催眠は他の療法のアンプリファイアの役目を果たすに過ぎないので、過大視は危険ということです。「催眠ですぐに治してほしい」という方がよくいますが、そういうせっかちさが現在の生き辛さの問題に影響しているのだと思います。自分の内面を知っていく、自分の姿を見つめ返してみる、自分の行動を変えていく、ということは、じっくりとそれなりに時間のかかることで、それらは「(真の意味において)自分を大切に扱えるかどうか」ということへと収斂されていくのだと私はみています。
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せっかく名古屋まで来たのだから、帰りはひつまぶしでもゆっくり堪能してこようと思っていたのですが、やはり時間がなく何も食べられず…。というのは嫌なので、評価上々の新幹線ホームのきしめんを食することにしました。生まれて初めての立ち喰い。たぶん。女の人はほとんどおらず、早食いの人には向いているのかもしれません。でも、味はあっさり、それなりに美味しく。どうぞ他の先生方に見られませんように…と思いながら食べていました(笑)。参加者は全国各地から集まるので、結構お土産屋さんとかで会うことが多いのです。
2015年10月29日
明日30日(金)から3日間、神田古本祭りが神保町界隈で開催されます。
(渋谷のハロウィーンも面白いのかもしれませんが、アダルトな人はこっちにおいで、ということで。)既に靖国通り沿いには出店が置かれ、賑わっていました。掘り出し物を探しながら、名物のカレーを食べ、喫茶店で一休み、という過ごし方もなかなか乙なものと思います。
私は一足早く、この時期の自分へのプレゼントに、BOOK HOUSEまで足を運んできました。ここは好きな絵本屋さん。一応隈無く探しつつ、好きな作家以外はほとんどインスピレーションで選びます。当たり前のことですが、本棚の目線が低く設定されているので探し辛いのです。
今回は賢治と外国作家のもの。シュールな絵がとても美しく、よく見る夢とマッチしていたから選びました。中身の感想はまた後で…。
2015年10月25日
今朝は早めに目が醒めました。この時季の花、山茶花の花が咲いていないかなと思い外に出てみると、風がぴゅうぴゅう吹いていました。そんなに強くもなく冷たくもなかったけれど、乾いた感じが深まりゆく秋を教えてくれました。
家に入ると、今度は飼い猫が外の気配に耳をそばだてていました。何か動物でもいるのかと思って外に注意を向けると、どうやら風が打ち付ける扉の音に神経を集中していたようです。猫も季節を感じるのでしょうか…。ニュースで昨年より3日早い木枯らし1号の到来を伝えていました。
風邪の方も増えてきているようですのでご注意下さいね。
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2015年10月21日
先日、ああ面倒…と思いつつ運転免許証の更新に警察署へ行ってきました。
一通り事務手続きを終えて、後はビデオ講習のみの段階になりました。
テレビの前に椅子3個くらいのとても狭〜い一区画でビデオを観ます。するとそこに、グーガーグーガー鼾をかいて寝ているおじさん(おじいさん?)が一人。この人も上映時間を待っているのかな…と空いている席に座ると、署の人から声をかけられたおじさんはむくっと起き上がり、何と講師の方でした!以前は講師の人なんていませんでした。
元警察官で嘱託で働いているのでしょうか。暇そう…。かなり暇そう。だから寝ちゃうのでしょうね。一人で受けていたので、冗談なのか結婚や子供の有無や自転車に乗るかどうか聞かれたり、自転車の乗り方や環状交差点の説明を受けたりしていました。「環状交差点はベトナムやラオスといったアジアの田舎に多いから、あんまり関係ないんだよ」と。ふーん。
ビデオは5年前と同じ。更に5年後も同じ?見覚えのあるママと女の子が最後の方に出てくるもの。
しかし観れば観るほど帰りの運転が怖くなって、気を付けようという意識よりも震え上がって萎縮する感じ。逆効果ではないかと思うのは私だけでしょうか。「車やトラックの後ろの見えない陰からバイクや人が出てくる可能性あり」なんて言われると、じゃあどうしたらいいのだろう。
あな、恐ろしや…。
運転なんて朝飯前という人が羨ましい限り。
それにしてもこのおじさん、一日ここにいるのでしょうかねぇ。
2015年10月16日
随分久しぶりにオペラを鑑賞してきました。R.ワーグナー作の『ラインの黄金』です。これは『ニーベルングの指環』4部作の”序夜”にあたるものです。今後3年間の間で4部作が上演される予定だというのだから、随分先の長い話です。
さてさてオペラに詳しくない私が観てまず思ったのが、あっ、これは映画『ロード・オブ・ザ・リング』の世界だ、ということです。地底に住む小人族、地上に生きる巨人族、人間、水底に棲む妖精たち、天上界に棲む神々、半神、神と人間の間に出来た子などなど。
時代的には『ロード・オブ・ザ・リング』の原作であるトールキンの『指輪物語』より遡る作品が『ニーベルングの指環』であり、これらはヨーロッパ各国の神話や叙事詩を元に作られたので話が似ているところがあるのですね。
映画『ロード・オブ・ザ・リング』や『ホビット』は好きでそれぞれ3部作全て観ているのですが、善悪二元論的で戦闘シーンが多いのが少々気になっていたし、話の展開が速く筋を追うのが大変でした。「闇の世界」を大変醜く描き過ぎではなかろうか…。とはいえ、CGを駆使した大迫力の映像が素晴らしかったのは確か。
一つの指環(指輪)をめぐる物語であるのは、ワーグナーのオペラも同じであるものの、こちら(ラインの黄金)はもっと混沌とした世界の幕開けでした。神々も罪を犯すし愚かだしエゴイスティックだし、嘲られる対象でもあるし、小人にも巨人にもそれなりの言い分がある。それは私たちの社会の構造そのものを映しているように思いました。
芸術監督は曰く、「指環を巡る壮大な物語は、権力、愛、自然破壊、終末、救済など、私たちの生きるこの現代にもそのまま通じる内容が描かれています」と。
権力と支配の象徴である黄金の指環。「指環を手に入れるものは世界を支配する力を得るが、と同時に、指環の奴隷ともなる」という指環にかけられた呪い。
この指環は今ならお金でしょうか。
『ラインの黄金』で天上界の神々は、神の支配力を示すに相応しい巨大な城を巨人達に建てさせるのですが、それは結果、要塞のような、戦うための城として完成し、やがて世界は戦いの地へと化していくようです。これなども’指環の奴隷’となってしまったことを表しているのでしょうね。