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ブログ 心's LOOM

trauma

2014年08月26日

くだらない出だしで恐縮ですが…、
私が初めてトラウマという言葉を知ったのは、魔夜峰央の漫画『妖怪始末人トラウマ!!』で、妖怪を始末する7才の男の子トラウマのお話によってなのでした。なかなか可愛い男の子なんですよ。trauma という響きをとても新鮮に感じていたのと、当時は漠然と「心の傷」を意味するということしか知らず…。今、漫画を振り返ると、「妖怪」が心の傷のメタファーのように思えますが、「心の傷」であるトラウマ君が妖怪を退治する、というところが言い得て妙だなと感心しています。
さて、今学会で【トラウマを受けた自己を癒す(変容意識状態と解離:心、脳、身体はどうやって圧倒的な体験に適応するのか)】という、カナダの精神医学教授ルース・レニアス先生のとても興味深い講義を受けてきました。それまでの様々な講義などで断片的に知っていたことに1本の筋道が通り、臨床的意義に富んだ濃厚な時間でした。
難しいことはさておき、トラウマ体験をもつ人たちの「時間・思考・身体・情動(情緒)」の4つの次元における「意識」について、どのような傾向や特徴がみられるのかということを、最新の脳画像や神経生物学の見地を織り交ぜながら説明されていました。トラウマという言葉については近年かなりの誤用と安易な多用がみられると思うのですが(妖怪始末人トラウマもその一つ?)、過去の圧倒的な出来事を「今まさに体験し続けていること」であり、それは映像や感覚、悪夢といった形において保持しているということを前提として指摘していました。
ずうっと忘れていたけれどあるとき思い出してそれが今の自分を非常に苦しめる、というのもあるのでしょうし、トラウマをトラウマとして認識できずに色々な症状に悩まされながら生きているという場合もあると思います。「トラウマはそれ自体トラウマになるのではなく、後からの意味付けによってトラウマ化される」と言われる先生もいてますます混乱してくるのですが、どれも理に適っているとも思います。それだけ複雑なテーマであり、今後も学んでいきたいと改めて思った次第です。
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午後やってくる…

2014年08月22日

暑い日が続きます。
いつも使う駅では、たくさんの風鈴がチリンチリン〜鳴っているのですが、最初は涼を呼んでいたものの今では空しく響きます。それより吹き出る汗のほうが煩わしい…。

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↓ カウンセリングルームへのお客さん
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わかります?ご近所の miumiu ちゃん。正式な綴りはわかりませんが、ときどき午後になるとやってきます。

8月の…

2014年08月17日

鯨じゃなく…

遠いところに住む学友から蜜柑を手土産にもらいました。8月の蜜柑ということで、すき間の時間に『千両みかん』(落語、youtube)を聴いていました。この落語どこが可笑しいのだろうと人づてに聞いていたときは思っていたけれど、5代目古今亭志ん生のそれは大変可笑しくて心から笑えました。観られないのが残念。

バブル期の不動産のような話だけれど、若旦那の気の病のお話でもある。もちろん譬えで、幾らお金を積んでも買えない「千両みかん」を欲している人、実はたくさんいるのかもしれません。今晩ゆっくり味うことにしよう。
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↑ 触っても微動だにしなかった子。

休みを”いただく”

2014年08月15日

お盆休み期間の東京駅は総じてすごい人出でした。休みの期間は私も東京から離れて涼しいところへ行っていました。
「休みを取る」と言うときにいつも迷うのが言葉の使い方です。学生のときのアルバイト(サービス業)で、お客様との電話対応で「〇〇(職員名)は本日お休みでして…」と言ったら、それを横で聞いていたマネージャーに注意されました。「お休みをいただいておりまして…でしょう」と。その時は即、直しましたが、判然としなかった…。誰にいただいているというのだろう?お客様に?ご迷惑を掛けるから?
今でも、予定外の緊急の休みでない限り、「休みを取っておりまして」でいいと思うのですが、これって一体何なのでしょう。謙譲の美学?おもてなしの一部?世の中はもちつもたれつ、マネージャーがいわんとしていたことはよーくわかるのですが、自分が客の立場なら一体どう思うでしょうか…。
私はどうもこういうところにも対人恐怖の土壌を感じてしまいます。周りの目と、そこに自分がどう映るかを非常に気にする、日本の文化的特質を。漏れなく自動的に私もそのなかに入り込んでいて、ゆえにたった一つの言葉の使い方にも悩むのですよね。
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内側と外側〜When Marnie was there〜

2014年08月07日

さて、この前観に行った映画はジブリの新作『思い出のマーニー』。以前、クライアントさんが原作を読んでみて色々考えさせられた、良かったと教えてくれたので、私も早速読んでみました。
ともかく、映画はとてもよく出来ているなーというのが最初の感想。原作は1967年出版のイギリスの児童文学です。おそらく時代設定もその頃。この原作がとてもよい。何で今まで知らなかったのだろう…というくらい、素晴らしい作品なのです。映画はこのイギリスの文学を、上手く日本(北海道の海辺の村)を舞台にした作品に作り上げているところがさすがです。
最初映画の広告を見たときは、なんでまた金髪碧眼に洋館なんだろうと辟易していたのですが、原作をかなり忠実に生かした作品なのだなと納得しました。
映画は観ていただくとして、主人公アンナ(杏奈)のような子(人)には、臨床でもよく出会うと思います。アンナは、世の中には内と外があって、大半の人は輪の内側にいる人たちで、自分は輪の外側にいる存在だと思っています。そして自分のことが嫌い。原作の舞台はイギリス東部の海辺の小さな町。イソシギという鳥の鳴き声が、アンナには「pity me〜 oh〜pity me〜 (私を気の毒に思って)」と聞こえてきます。アンナの心の投影以外のなにものでもありません。
この作品をファンタジーやミステリーとして自由に括ってもいいと思いますが、「記憶とその再現、再演」、「過去と現在の世界観の描き直し」という、深い癒しに満ちた精神世界の話だと受けとめて読んで(観て)いました。
原作のアンナは最後の方で、内側と外側の境界線が実は柔軟なものであることに気付いていきます。また、それまで「あの人たちは内側の人たちだ」と固く信じていた人たちにも、少なからず「自分と同じように孤独感や疎外感のようなものをもっている」ということを知っていきます。この気づき、とても重要なものですよね。
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涼しいところへ

2014年08月05日

毎日暑くてそれだけで疲れます。
都心でくつろげるところ…。
それは日曜日の映画館の最終回。こんなに空き空きでいいのっていうくらい、空いていました。帰りの電車も空いていて気持ちいい〜。惜しいのが夕飯を食べられるところが限定される点。意外に、東京駅周辺の街はすぐに眠ってしまうんですね。

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8月

2014年08月01日

8月に入りました。緑も水もきらきら輝く季節。それゆえ危険も増えるけれど…。
高いところから川遊びをする人たちを見ていたら、あれ?、この光景なにかに似ているなと。

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↓雰囲気、似てないですかね?

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↑ブリューゲルの絵

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