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ブログ 心's LOOM

芸術の…

2014年10月05日

台風が来ているようですね。
今日も一日無事仕事を終えることができて、心より感謝〜。後は台風で電車が止まらないように祈りながら帰ります。

今回のブログも写真で。
山のうえの彫刻美術館へ行ってきました。現代彫刻の芸術性はとんと理解できないので、動きが面白かったものを何点か…。

少女.JPG
↑ 前から見ると、少女の顔が恐かった…。

飛翔.JPG
↑ こちらも気持ちよさそう。

愛?.JPG
↑ 愛?





実り

2014年09月30日

9月も終わり…。
地上から随分高いところへ登ると、金色に輝く田んぼが見えました。

今以降の秋は、穏やかなときであってほしいものです。

豊穣の秋.JPG






sunset

2014年09月23日

今日は秋分の日。
昼と夜がちょうど同じ時間(でしたよね?)。歩くとやや蒸し暑いけれど、朝晩は虫の音も澄んで、涼しくて気持ちいい。この間、夕日が沈むのを静かに眺めていて、太陽って美しいなあ…と改めて感じていました。

夕陽.JPG




休業日のお知らせ

2014年09月14日

ニュース欄にも載せていますように、16(火)〜19(木)は休業とさせていただきます。
期間中にご連絡の方は、本ウェブサイトのお問い合わせ欄、もしくはメールにてお願いします。ご不便をお掛けしますが宜しくお願い致します。尚、返信につきましては、20日(土)以降にご連絡させていただきます。

橋.JPG


食わず嫌い?

2014年09月09日

昨日…、
カウンセリングルームから近いけれど、繁華街嫌いで寄りつかなかった後楽園へ行ってきました。(後楽園って岡山の後楽園と全く同じ字なのですね。)

そうしたら、意外や意外、案外きれい。温泉で女同士裸の付き合いをしてきたのですが、女性が安心して一晩過ごせる施設でもありました。大雪などで宿も取れず帰宅困難者になったらここへくればいいのかもと思ったのですが、そういうときはやはり東京、きっと激しく混んで芋洗い状態なのでしょうね。平日昼間でもそれに近かった。はぁ…。

後楽園.JPG




September

2014年09月04日

何というか体を硬くしてここのところのニュースを見ているうちに、気がつけば9月に入っていました。

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最近行き帰りによく聴くのが、竹内まりやのSeptember。時代は違うのですが、声が好きなので彼女の曲を聴くようになりました。この曲のなかのシーンに、ボーイフレンドに振られた主人公の女の子が彼に辞書を返すのですが、辞書の一部(一単語部分?)を切り取る、というところがあります。これ、よーく考えると、怖い。カッターか何かで、一人で切り取っているんです。なんていう言葉が切り取られたかは、有名な曲なのでご存知の方も多いでしょうね。ただじゃ振られないわよ、とでもいうようなところ、女の情念のようなものが本当に怖い。

でも、歌というのは、執念も情念も多種多様に味付けできてしまうところが本当にいいなあ、と思います。ポップだけど歌詞はゾクっと身震いするような歌って、実は結構沢山ありますよね?それにしても、竹内まりやの声で聴くと、天晴れ!チャーミングなサヨナラの歌になりますね。


富士山.JPG
↑ Mt.Fuji



trauma

2014年08月26日

くだらない出だしで恐縮ですが…、
私が初めてトラウマという言葉を知ったのは、魔夜峰央の漫画『妖怪始末人トラウマ!!』で、妖怪を始末する7才の男の子トラウマのお話によってなのでした。なかなか可愛い男の子なんですよ。trauma という響きをとても新鮮に感じていたのと、当時は漠然と「心の傷」を意味するということしか知らず…。今、漫画を振り返ると、「妖怪」が心の傷のメタファーのように思えますが、「心の傷」であるトラウマ君が妖怪を退治する、というところが言い得て妙だなと感心しています。

さて、今学会で【トラウマを受けた自己を癒す(変容意識状態と解離:心、脳、身体はどうやって圧倒的な体験に適応するのか)】という、カナダの精神医学教授ルース・レニアス先生のとても興味深い講義を受けてきました。それまでの様々な講義などで断片的に知っていたことに1本の筋道が通り、臨床的意義に富んだ濃厚な時間でした。

難しいことはさておき、トラウマ体験をもつ人たちの「時間・思考・身体・情動(情緒)」の4つの次元における「意識」について、どのような傾向や特徴がみられるのかということを、最新の脳画像や神経生物学の見地を織り交ぜながら説明されていました。トラウマという言葉については近年かなりの誤用と安易な多用がみられると思うのですが(妖怪始末人トラウマもその一つ?)、過去の圧倒的な出来事を「今まさに体験し続けていること」であり、それは映像や感覚、悪夢といった形において保持しているということを前提として指摘していました。

ずうっと忘れていたけれどあるとき思い出してそれが今の自分を非常に苦しめる、というのもあるのでしょうし、トラウマをトラウマとして認識できずに色々な症状に悩まされながら生きているという場合もあると思います。「トラウマはそれ自体トラウマになるのではなく、後からの意味付けによってトラウマ化される」と言われる先生もいてますます混乱してくるのですが、どれも理に適っているとも思います。それだけ複雑なテーマであり、今後も学んでいきたいと改めて思った次第です。

森林浴.JPG








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