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ブログ 心's LOOM

一息

2014年07月30日

休日、自然のなかへ。下はマロウの花。

昔はこの根の部分から、マシュマロを作っていたといいます。
マロウ.JPG
近年激減が心配されるミツバチも…。
マーシュマロウとミツバチ.JPG
オラオラオラ〜と蜜を吸っておりました。ミツバチがわんさかいてやや怖かった。

共生

2014年07月27日

先々日のブログで書いた不条理劇『ゴドーを待ちながら』の戯曲(フランス語版訳書)を読んでみました。
主人公はホームレスの男性二人で、よく知らないゴドー(救世主)を待っているという内容です。
ある一本の枯れた柳の樹がある場所で、ただ、ただ、あれこれ時間を潰しながら、ひたすら待っているお話。
途中出てくる他の登場人物は、高圧的な男とその奴隷、ゴドーからの伝言を伝える男の子の三人のみ。待っているところから始まり、待っているところで終わる。ゴドーとは神なのか、人なのか、それ以外なのか、よくわからない救世主を待ちながら。
読んでみると、なんというのか閉塞感で息が詰まってきます。何と言っても序破急がなく、同じようなことの繰り返し(多少の変化はあるのですが)。また慌ただしいト書きのために更に息が詰まります。早く読み終わりたい気分に駆られてすぐに読めました。
とはいえ、この作品の醸す閉塞感は強いものの、読後、心にじんわりと沁みてくるものがありました。
ベケット展で示唆されていたことは、主人公二人の「共生」も一つのテーマだということ。絶望的な状況における、自分ともう一人の存在。この二人の掛け合い、この悲喜劇、多くの人の心を揺さぶっているのが多少わかった気がします。
東京駅舎.JPG

猛暑ですね…

2014年07月25日

心頭滅却すれば火もまた涼し、といいます。熱帯夜も同じか…と思いつつ、ここ2,3日は夜中に目が覚めます。夜中に熱中症になることも多いようなので、水分補給はまめにしましょうね。

駿河湾.JPG


imperceptibly

2014年07月22日

一昨日は演劇を研究している友人らと早稲田大学にある演劇博物館を訪れました。気にはなっていたものの在学時は素通りしていた建物に初めて足を踏み入れました。演劇の良さはとんとわからないのですが、サミュエル・ベケット展をやっているというので誘われたのです。
サミュエル・ベケットってご存知ですか?私は名前と作品名『ゴドーを待ちながら』と、この作品がストーリーやプロットがないように感じられる「不条理作品」ということくらいしか知りませんでした。普段、不条理ものの映画はたま〜に観るのですが、鑑賞後は唖然とするか、怒っているか、時間の無駄遣いだった…と後悔するか。
それが今回の展示を見て、この作品が生まれた時代背景や、時代や国境を超えて何度も繰り返し上演されている経緯などを知ると、興味が湧いてきました。民間航空機が爆撃されたり、世界のどこかで国家的な殺戮が繰り返されていることを思うと、今の時代にもぴったり合う作品だと思い、早速アマゾンで注文しました。
ベケット展がわからずとも、この坪内逍遙演劇博物館はそれ自体昭和3年の建物と言われています。空襲でも大丈夫だったのか再建したのかはわかりませんが、古い館内は大変趣があって面白いし、入館も無料。誰でも入ることが出来ます。
ベケット展の副題は、 The door is imperceptibly ajar.-ドアはわからないくらいに開いている- 
The door を勝手に「心のドア」と置き換えてみていました。
早稲田演劇博物館.JPG サミュエル・ベケット.JPG

cotton candy の季節

2014年07月18日

ふぅ…。今日は外に出るとやや涼しく、オフィスに入ると蒸し暑い。エアコンの適温って案外難しいものです。暑い日中ほとんど室内にいると体温調節が鈍ってくるようで、お昼時間などはまめに太陽を浴びるよう外を歩きます。ここのところ、朝、お昼を買い込んで室内から出ず、帰るときは夜という生活を送っていたら、日中どれくらい暑いのか想像が及ばなくなってきていました。
ここ神保町はなかなか活気がある街で、外に出て街中を少し観察しているだけでいい気分転換になります。
お昼の時間帯はそこかしこから老若男女がワッと出てきて、行列の出来ているお店なども多々あり、そのエネルギーに驚かされます。暑い昼間からよく並ぶと思うし、焼き肉とか天ぷらとかフライものなどよく食べられるな〜と感心します。周辺の本屋さんも混んでおり、休憩時に本を探しに寄るのでしょうね。
入りたいな…と思う喫茶店も横目で見ながら(この界隈は雰囲気ある有名な喫茶店が多いのですが、混雑時は愛煙家向きのお店ですね)、そういう世の中の喧噪からちょっと距離を置きつつ、適当に用事を済ませて戻るのがなかなか楽しいのかもしれません。
さて、下の画像は一体何でしょう?
綿菓子.JPG
これでわかるかな?
キティ綿菓子.JPG
帰りに駅でお祭りをやっていたのでちょっと懐かしい綿菓子を。子どもたちの群れに人酔いした後、甘すぎて胸焼けしました。もうそんな時季なのですね。

スマホ依存

2014年07月16日

昨日の「クローズアップ現代」だったでしょうか(録画で観るのでいつのか確認しておらず)。小・中学生のスマホ依存対策について取り上げていました。ある自治体は夜9時以降はやってはいけないという規則を設けたようですが、これから先どうなっていくのでしょうね。
小・中学生のみならず、高校生、大学生もスマホ依存は多いと思われるし、大人もどうなのでしょうか。最近多いなと感じるのが、電車の乗り降り時に悠長にスマホをいじっている人。ラッシュ時など既にベルが鳴って、尚まだ乗っていない人が沢山いるときでもお構いなし。その人の世界に完全に没頭しているようです。
6月頃のコラムか何かで読んだ記事に、「中学生が一日一時間以上スマホを使うと学習成績が低下する」という東北大の先生が行った統計調査をとりあげたものがありました。これはスマホに没頭して勉強時間がなくなったからではなく、スマホを使用した後しばらくは前頭葉が麻痺するためではないか、ということでした。スマホ時間も勉強時間も多い子より、スマホ時間も勉強時間も少ない子の方が、テストの平均点が高かったそうです。また、一日一時間以内スマホを使う場合は、全く使わない子よりも、頭が活性化されて点数が良くなるようです。
じゃあ、たとえば最初に2時間勉強し、その後スマホを1時間以上使って寝たら、勉強効果は損なわれるのでしょうか。詳しい内容はわかりませんが、スマホ使用と脳の関係について研究や議論が活発になることを願います。子どもの脳は、大人の脳と違うということも大切な点ですよね。

Tokyo.JPG


一人の内の3人の女性

2014年07月13日

さて、先日のブログで取り上げた『ホフマン物語』。感想はこれが今まで観たなかで一番の演出でした。
詩人ホフマン青年の恋愛遍歴の展開は、
①お人形のように可愛らしい娘(オランピア)への恋→②芸術を追い求める元歌手の娘(アントニア)への恋→③手練手管に長けた年増女(ジュリエッタ)への危険な恋、という具合に進み、3人の女性役を一人のソプラノ歌手が見事に演じきりました。
同性の立場からみても、これはやはり一人の女性の3つの側面なのだ、という思いを強くしました。女性の要素の最大公約数的なところをとったらこうなるのではないでしょうか。
②番目の恋愛などは、これはもう一つの普遍的な「家族問題ないし女性問題」として私は観ていました。
元歌手のアントニアは、父から歌を禁じられ、代わりにバイオリンをやるように命じられます。父親は、ちゃらちゃらしている詩人ホフマンとの恋愛も禁止し、二人が会わないように家を引っ越してしまいます。歌を禁止され、恋人とも引き離され、アントニアは苦しみます。
やがてアントニアを探し当てたホフマンは、アントニアは肺病のために歌を禁じられていることを知ります。そして恋人に理由を告げぬまま、「歌をやめて自分と結婚して家庭を作って欲しい」と願いでます。
自分のやりたいことするのか or 愛する人との家庭を選ぶのか
そこへアントニアの医師が「本当にやりたいことを諦めていいのか」とアントニアを唆します。「唆す」という言葉を使ったのは、オペラのなかで医師は悪魔的な人物だからですが、この問は極めて全うなものとも言えると思います。「自分を捨てていいの?」という問。
アンビヴァレントな思いに激しく苦しむアントニア。そこへ母の声(歌)が聞こえてきます。アントニアの母は元歌手で、既に同じ肺病で亡くなっている人。その母の歌ですが、やはり娘に「歌うように」唆しているようにしか聞こえない。この演出の場面が面白いのです。苦しむアントニアの後ろに、母親役の歌手の顔がドーンとスクリーンに映し出されるのです。しかもレントゲン写真のようにモノクロで映し出され、お歯黒を塗ったような歯と唇が浮かび上がり、顔全体が骸骨のようですこぶる怖い。アントニアと母親と悪魔的な医師との歌が重なりあって盛り上がっていきます。
アントニアの葛藤は深まります。
芸術か(自分のしたいことか) vs. 家庭をもつことか
恋人への想い vs. 恋人への不信
父の愛か vs. 恋人の愛か
父の願いか vs. 母の夢か
究極的には、生か vs. 死か
元来、母と娘は同性ゆえに近しい存在。一卵性的密着も激しい葛藤も、心理的距離が近いことの表れであり、問題を孕みやすい危うい関係です。そこを切るのが父親や恋人の役割とされていますが、結局、アントニアは母の夢を生き、歌うことを選び、亡くなってしまうのです。とにかく、あの亡霊のようなお歯黒母の演出。きっと演出家も、アントニアの生き方を単なる悲劇や格好いい生き方(死に様)として捉えていたのではないように思います。
あれれ、男性の恋愛成長ものの話をしたかったのに、女性の生き方の話になってしまいました。まあ、一人の女性のなかには、オランピアとアントニアとジュリエッタが共生しているということを、男性たちには知ってもらいたいなと思います。
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オーケストラピット.JPGのサムネイル画像

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